「人生」と「スポーツ」の違い

(読了目安4分)

スポーツは、練習をするほど疲労は増えますが、その疲労が回復したとき、「上達」という結果を得ることができます。
そして上達するほど、そのスポーツの奥深さが理解でき、初心者のときに苦労した自分を、まるで別人のように感じることがあります。


逆に練習をせずサボっていると、サボっている瞬間は楽かもしれません。
しかし上達はありませんから、そのスポーツの楽しさは実感できません。


人生も、苦労をするほど心の傷は増えますが、その傷が回復したとき、「成長」という結果を得ることができます。
成長するほど、人生の奥深さが理解でき、若いころに苦労した自分を、まるで別人のように感じることがあります。


逆に苦労をせずサボっていると、サボっている瞬間は楽かもしれません。
しかし成長はありませんから、人生の楽しさは実感できません。


スポーツも人生も、苦労するほど成長でき、成長するほど楽しめるものです。
そう考えれば、「若いころの苦労は買ってでもしなさい」と言われるのは当然のことです。
その苦労が、スポーツや人生を楽しめる力を身につけさせ、将来を明るくするからです。


ところで、人生とスポーツの「違い」ってなんでしょう・・・


・・・


なんだと思いますか?



気が付きました?


・・・

「やめることができるかどうか」です。



人生は、つまらなくてもやめることができないですよね。
スポーツは、つまらないならやめることができますよね。


人生は「やめることができない」

スポーツは「やめることができる」

これが違いです。


テニスがイヤならやめてしまうか、たとえばスキーに変更すればいいんですが、人生ではそれができません。
「この人生がイヤだからあっちの人生にする」なんていうのはできないんです。
人生はたった一度の本番で、イヤになっても他人の人生に変更できず、しかも「強制参加」です。


母親に対して「なんで私を産んだのよ!」となげく女性もいます。
たしかにそのときは本気でそう思うんですが、いくらなげいても、産まれる前には戻れません。
人生という舞台に参加したからには、もう楽しむしか方法はないんです。
そして、楽しむためには・・・練習、つまり苦労が必要なんです。


初めに書いたように、テニスを楽しむには練習が必要ですが、サボってしまったら、テニスの楽しさがわからないまま、テニスをやめることになります。
同じように、人生を楽しむには苦労が必要ですが、サボってしまったら、人生の楽しさがわからないまま、人生を終えることになります。


楽しむためには、初めに苦労が必要ですから、今の苦労は、人生を楽しむための「練習」だと解釈できます。
「楽しいならやります」ではなく、やるから楽しくなるんです。
成長することで、人生を楽しめるようになります。


続いて短編2つです。

◎充実感がないなら


人は人の役に立つと充実感を味わえますが、「私は役に立っている」と本心から思えない限り充実しません。
「人のために仕事をしている」「人のためにがんばっている」こう思っても充実感がないなら、心のどこかに「私は本当に人の役に立っているんだろうか」「相手は大げさに喜んでくれているだけじゃないんだろうか」「私は相手から利用されているだけじゃないんだろうか」「私は褒め言葉を期待しているんじゃないだろうか」などの気持ちがあるからです。


これらの不安や欲をなくし充実感を得るには、自信をつけることが必要です。
自信を得るには、結局は「地道な努力」なんです。



◎大切なのは


人として生き、幸せをつかもうとするとき、学歴・収入・職歴・美貌は無関係です。
たしかに、高学歴高収入なら、それ相応の苦労に耐えられる人だということではあります。
しかし「長く愛される」と考えた場合、人は学歴も収入も美貌も関係なく、みんな平等です。
東大の卒業証書があっても、医師免許があっても、給料のいい一流企業の社員証があっても、そしてグラビアイドルでも、結局のところ夫婦ゲンカをやめることはできないんです。


大切なのは、「人としてどうか」ということだけです。
「人としてどうか」の判断を間違えると、なにをしてもうまくいきません。
状況証拠が「幸せ」ではないなら、判断を間違えていると考えてみてください。

・・・

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