褒めてもらいたいなら
(読了目安4分)
◎褒めてもらいたいなら
人は褒められないと寂しくなり、褒められると幸せになります。
しかし、ただ褒められていればいいのかと言うと、そうではないんです。
子どもは大人からの言葉だけでいいんです。
しかし大人になると、言葉で褒められても、その言葉に納得できなければ幸せになれません。
なにもしていないのにいきなり褒められても、幸せになれませんよね。
たとえば、いまあなたが80億人から褒められても、幸せではないはずです。
それは、褒められている「理由」がわからないからです。
褒めてもらっても、その理由がわからない状態では幸せになれないわけです。
褒められる理由を知るには、「これは褒められるに値する」と思えることをする必要があります。
それが「努力」です。
あなた自身の「努力」が、周囲の褒め言葉を信じるための必要条件なんです。
「人は褒められれば幸せになれる」
「努力をすれば、褒め言葉に対して素直に喜べる」
つまり、「幸せになりたいなら努力が必要」ということです。
言い換えれば、「努力をすれば幸せになれる」ということです。
努力とは、幸せを感じる力を身に付けるための行動なんです。
また、人間の心理としては、少しの努力でたくさん褒められても嬉しくなく、ものすごい努力をして少ししか褒められなくても嬉しくありません。
人は自分の努力に対して、自分が褒められる度合いを期待しているわけです。
「ちょうど良く褒めてもらいたい・期待通りの褒め言葉が欲しい」ということです。
しかし、それって不思議ですよね。
自分の努力に対して、周囲からの称賛の大きさを期待しているなんて。
・・・そうです。
たとえば「このぐらい頑張ったんだからもっと褒めてよ」とか、「この程度のことで褒められても信じられない」などは、自分の幸せを他人に依存している状態ですから、「子どもの思考」です。
子どもの思考のままで、「努力したんだから私を褒めて」「努力してないのに褒めないでよ」などと言っていると、物事が思い通りにならずストレスが溜まり、最終的にはお酒や薬物に手を出すことになるわけです。
褒めてもらいたいなら、まず第一段階として、褒め言葉を受け入れることができる努力をすることが大切です。
次の段階として、他人に依存せず、自分で自分を褒めてあげることが大切です。
自分で自分を褒めることができるなら、それが一番腑に落ちるはずです。
しかし、自分にウソはつけませんから、自分で自分を褒めるためには、「本当の努力」が必要になります。
本当の努力をすれば、周囲からの褒め言葉ももちろん信じることができ、自他共に認める幸せな人になれますが、もし「こんなに頑張っているのになぜ幸せになれないの」と思うなら、それは本当の努力ではないからです。
意地になっているだけだったり、我慢に我慢を重ねた「負の努力」だったり、叱られないために頑張っているだけだったりすると、幸せにはなれません。
自分に愛をそそいでいないんですから、仕方ないことです。
◎頭に来るなら
あなたは、他人が自分の利益のためにウソをついたり、約束を破ったりしたら、頭に来ますか?
頭に来るなら、ちょっと冷静に考えてみましょう。
あなたは自分の利益のためにウソをついたり約束を破ったりしたことがありますよね。
では、なぜ他人がそれをしたら頭に来るんでしょうか。
自分がしたことですから、怒るのはヘンです。
また、ウソをついたり約束を破ったりして、その後、楽しいことは長く続きましたか?
・・・続かなかったですよね。
ですから、周囲がウソをついたり、約束を破っているからといって、それに対して怒ったり、約束を破るのをマネする必要はないはずです。
あなたは、周囲がウソをついても、周囲が約束を破っても、それらに対して怒らず、マネをすることもせず、愛をそそいでください。
◎自分の力で幸せに
知人や上司、同僚などのイジメに対して、「あいつさえいなければ私は幸せなのに」と思っている人も多いと思いますが、あなたの人生が、「あいつ」の存在に左右されるのはもったいないです。
日本は「生き方」を選べる国です。
今日の食事に困るような国でもなければ、犯罪に怯えて外出できないような国でもありません。
そんな国に住みながら、他人に自分の幸せを左右されてしまうなんてもったいないと思いませんか?
「あいつ」なんか無視して、自分主導で自分を幸せにしてあげてください。
幸せな人は人をいじめたりしませんから、あなたをいじめる人たちは、プライベートで相当苦しんでいます。
彼らはその苦しみを感染させようとしますが、感染するかしないかはあなたが選べることです。
・・・
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