味を決めるのは ―10軒の農家―
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食べ物の味を決めるのはなんなのか・・・
今回の投稿は結論は出しませんので、みなさんがそれぞれ考えてみてください。
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10軒の農家が、「うちのキャベツが一番おいしい」と言っていました。
ではその農家は、自分のキャベツと他の9軒の農家のキャベツ、合計10種類のキャベツを目隠し状態で食べ、自分の畑で採れたキャベツを判別できるでしょうか。
味をつけず生で食べるならわかるかもしれませんが、現実的には味をつけないでキャベツを食べることはありませんから、ドレッシングをかけた状態や、ロールキャベツ、そして炒め物などのメニューでも、自分のキャベツを使ったものを判別できるでしょうか。
仮に「おいしさ」を数値化する測定器があるとします。
10軒の農家が作ったキャベツをその測定器に測定させ、「一番おいしい」と判断されたキャベツを、農家はみんな「一番おいしい」と認めるでしょうか。
もし認めない場合、農家たちが感じる「おいしさ」を決めているのはどんな要素なんでしょうか。
人は「信用できる人が作ったもの」「信用できる人が勧めるもの」をおいしく感じるようになっています。
それは、おいしさは「心」が決めるということを意味しています。
おいしさを決める要素が「心」なら、心の状態を整えることで、どんなものでもおいしくなると言えます。
そうであれば、おいしいものを作ろうとするとき、数値的に「おいしいもの」を作るよりもさらに大切なことがあるということになります。
では、その「大切なこと」とはなんでしょうか・・・
たとえば「露地栽培の有機野菜が一番おいしい」と言っている人は、無機野菜や野菜工場で育てられた野菜の中から、露地栽培の有機野菜を選び出すことはできるのか・・・
そして、その「おいしい野菜」が使われている料理を、全て言い当てることができるのか・・・
もし言い当てることができないなら、おいしさを決めているのはどんな要素なんでしょうか。
やはり野菜のおいしさは「心」の状態が決めていると言えるかもしれません。
そうであれば、おいしいものを探して生きるより、どんなものでもおいしく食べられる心の状態を作り出す方が、愛に近い生き方だと言えます。
「うちの野菜が一番おいしい」と言っている農家は実際にいると思いますが、味を決めるのが「心」なら、その言葉は、よく言えば「消費者を不安にさせないための愛」でもあり、悪く言えば「売り上げを伸ばすための方便」でもあるかもしれません。
食べ物の味を決めるのは・・・みなさんはなんだと思いますか?
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