チョコレート問題
(読了目安9分)
おいしいですよね、チョコレート。
しかし、誘惑に負けて食べ過ぎ、自己嫌悪に陥ることもありませんか?
今回は、「チョコレート問題」と題し、主にチョコレートやその他の嗜好品をやめられない人に、愛をこめて贈る投稿です。
要約すると、「人は、より大きな快楽を得られると、それまでの快楽を忘れることができる」という内容です。
主に食べ物の誘惑に負けそうな女性へ贈ります。
ではいきましょう。
◎チョコレート問題
人間は、より大きな快楽を得られると、それまでの快楽を忘れることができます。
たとえば少女が「プリキュア」を見ているときのことを想像してみてください。
テレビを消すと怒る(イライラする)。
↓
しかし、プリキュアより大きな快楽、たとえば花火大会・お祭り・いちごパフェを食べに行こうなどと言われると、プリキュアを忘れられる。
これをチョコレートが好きな女性で書くと、以下のようになります。
痩せたくてチョコレートを我慢すると禁断症状が出る(イライラする)。
↓
しかし、チョコレートより大きな快楽を得られること(気になる男性とのデートなど)に誘われれば、チョコレートを忘れられる。
ということです。
チョコレートは、太ることを考えると、「できればやめたい」と思うわけです。
でもおいしいからやめられないし、「食べちゃダメ」と思っていても、なぜか発作的に食べてしまうんですよね。
そんなとき、どうすればいいか・・・
そう、上記のように「チョコレートより大きな快楽」を得ることができればいいわけです。
では、「チョコレートより大きな快楽」っていったいなんでしょうか。
車を買うことでしょうか。
マンションを得ることでしょうか。
お酒でしょうか。
タバコでしょうか。
ギャンブルでしょうか。
旅行でしょうか。
お気に入りの男に奉仕させることでしょうか。
たしかにその場ではチョコレートより大きな快楽かもしれませんが、長期の心の安定は得られそうもありません。
しかし上記はその場の快楽は得られるような気がしても、「なんとなく違う」ということには気付きますよね。
そうなんです、上記太文字は、たとえ手に入れることができても、より大きな快楽を得ようとして「さらに高級車・もっと広いマンション・もっと飲みたい・もっと奉仕してよ」となってしまい、次の欲望を生むだけなんです。
そんな欲が満たされ続けるはずもなく、長期の心の安定は得られません。
上記太文字を簡単に説明すると、「その環境に慣れてしまい、現状維持では済まなくなるもの」、つまり依存性や中毒性があるものです。
ですから、いくら手に入れても満たされないんです。
チョコレートも、欲にまかせていくら食べても、やがて次が欲しくなります。
そして、欲のままに食べ続ければ肥満になり、入院するまで続いてしまいます。
結局のところ、「物」を得ることでは悪循環がひどくなるばかりで、根本的な解決はムリだと言えそうです。
チョコレート問題を解決するには、チョコレートより大きな快楽を得ることが大切、しかし「物」では悪循環が始まるだけ・・・
なかなかやっかいな問題です。
以下に続きます。
◎解決するには
チョコレートより大きな快楽を「物」で得ようとするのは、悪循環の始まりです。
「物」では、さらに新しいもの、高価なもの、大きいもの・・・と欲がエスカレートし、お酒やタバコの薬物は、より強い中毒症状を呼び込み、ギャンブルも同様です。
また、お気に入りの男性に奉仕させることでは、「もっとイイ男が欲しい・もっとたくさん欲しい!」となってしまい、キリがなくなります。
やっぱり、チョコレート問題を解決するには、チョコレートを食べ続けるしかないんでしょうか・・・
・・・そんなわけないですよね。
いつの時代だって、人間の未来は明るいです。
たとえば「チョコレートを食べること・高価なものを得ること・お酒やタバコ・ギャンブル・男に奉仕させること」・・・これらはみんな、脳の快楽物質を出すための手段です。
人はなぜ快楽物質を出そうとするのかと言えば、それはとても簡単な話で、ストレスが溜まっているからです。
そうしないと、心のバランスがとれなくなってしまうんです。
つまり、不安や傷ついた心を修復する作業として、人は上記のようなものを欲するわけです。
しかし外側からの力に頼って脳の快楽物質を出しても、ストレスの根治には至りません。
その場限りの痛み止めにしかなりませんし、さらにやっかいなのは、外側からの快楽物質には全て「中毒性」があることです。
傷つくたびに外側からの快楽物質に頼るだけになってしまうと、中毒になってしまうわけです。
その初歩段階が、「チョコレート問題」なんです。
チョコレート中毒ぐらいなら、自分が肥満になって自信をなくし、男性からウザがられて孤立するだけで済むかもしれませんが、それがお酒や覚醒剤などになってしまうと、暴力事件や交通事故を起こして社会問題になりますから、コトは重大です。
ですから、人は自分の力で内側から快楽物質を出す必要があり、また、そうしない限り、ストレスはなくなりません。
「愛をくれ!」と言って外側からもらった愛では、「外側」に頼るばかりでなんの解決にもならないんです。
マスターがいつも「大人は自分の責任で自分を幸せにする必要がある」と書いている意味がわかってもらえると思います。
ということで、チョコレート問題を解決するには、「自分の力で内側から出す快楽物質」があればどうにかなりそうですね。
そして、
「自分の力で内側から出す快楽物質」は・・・
・・・あるんです。
この快楽物質は、あまりの快感のため、一度知ってしまうと出し続けたくなるものです。
しかも、お酒やタバコ、覚醒剤などと違い、人をむしばむことがない「超スグレモノ」です。
チョコレートから得られる快楽とはもちろん比になりませんよ。
人は「自分の力で内側から出す快楽物質」にたどりつきたい一心で、チョコレートやお酒やタバコなどを使うんです。
つまり、「自分の力で内側から出す快楽物質」は、「人が最後に求める究極の目標」なんです。
◎チョコレートを超えるスーパー快楽物質
「自分の力で内側から出す快楽物質」があれば、食べ物に誘惑されることはなくなります。
食べ物から得られる快楽よりも強い快楽だからです。
では、「自分の力で内側から出す快楽物質」とはいったいなんだと思いますか?
・・・
・・・
・・・
・・・そう、
人間が最後に求めるもの、「愛」ですよね。
しかし「愛されること」じゃないですよ。
「愛をそそぐこと (愛すること) 」です。
「愛をそそぐこと」、これが、どんな薬物よりも強力で、しかも副作用がない「スーパー快楽物質」です。
愛をそそぐことができればストレスはなくなり、チョコレートをはじめとした「道具」は無用になります。
結果的に食べ物に快楽を求めることがなくなり、しかもなにを食べても感謝できるようになります。
◎チョコレート問題は心の問題
嗜好品は、快楽を求めて食べるものですから「チョコレート問題は心の問題」ということです。
まとめると、「愛をそそげない人」は、快楽を外側に求め、やがてエスカレートすると中毒になる。
「愛をそそげる人」は、自前で快楽物質を出している状態だから、中毒にはならない。
・・・ということは、自分を愛せない人は他人を愛せませんから、まず、自分に愛をそそぐことが大切です。
ということです。
それが本物の愛なら、必ず自分に返ってきます。
もちろん、愛ではないならそれも自分に返ってきますよ。
「人生がうまくいかない」と思うなら、それは愛をそそいでいないことが原因です。
いつも書いていることですが、ただ漠然と「愛されること」では快楽は続きません。
愛されているかどうか知るには、まず「愛とはなにか(愛し方)」というのを知らなければならないからです。
欲する愛と同じ愛をそそぐ力がないと、自分が愛されているかどうかわからないんです。
ですから、人は愛することでしか本当の快楽を得ることはできないわけです。
愛をそそげていない人は、溜まったストレスを解消するため「外側」に頼ろうとします。
食べ物に頼り過ぎて過食で太ったり、食について偏った考え方を妄信する人、お酒やタバコに走る人、ギャンブルに走る人、浮気をしたり、過剰な趣味に走ったり、宗教やペットに走る人もいます。
もちろんこれらを全部いっぺんにやっている人もいます。
彼らは、愛をそそげず、人と人との「心の関わり」を放棄してしまったわけです。
そんなことにならないように、まずは自分に愛をそそいでください。
それが愛する努力です。
◎病人は愛をそそげないのか
世の中には「不健康だとストレスが溜まり、食事が偏って太ってしまう」という考え方から、身体を鍛える人もいます。
しかしそれでは病気で動けない人はみんなストレスが溜まり、太ってしまうはずですし、「ストレスを抱えたまま幸せになれない」、ということになりそうですが、べつにそんなことはありません。
愛をそそげていれば、病気でも、運動ができなくても、幸せになれます。
むしろ病気が愛のそそぎ方を教えてくれ、ストレスから解放されるというケースも多いかもしれません。
◎まとめ
繰り返しますが、人間にとって一番大きな快楽は、「愛をそそぐこと」です。
笑顔で赤ちゃんをあやしているお母さんは、それだけで満たされています。
(育児をストレスだと感じるお母さんはチョコレート中毒かもしれません・・・)
子どもなら、「愛して!」と叫んでもいいんです。
しかし大人は「愛して!」では愛されません。
チョコレートに頼って「チョコレートさん!私を癒してー!」と叫んでいたら、「お母さん!だっこ!」と叫ぶ子どもと変わりませんよね。
「食料」というのは、人の命をつなぐものです。
そして人生の目的は、愛をそそぐことです。
ということは、「食料」というのは、人が少しでも長く愛し続けるための糧であって、肥満や中毒者を生むためのものではないんです。
あなたがもし「人間に食べられる食料」という立場だったら、あなたを食べた人間が肥満や中毒者になったら残念ですよね。
逆に、あなたを食べて生きていく人間が、愛をそそぎ続けてくれたら、きっと嬉しいはずです。
「私は愛をそそぐために生きる、そして、生きるために食べる」、こう思うことができれば、食べ物に対する感謝も生まれます。
チョコレートも含め、「食べ物」は、あなたを太らせるためにあるわけではないということを覚えておいてください。
「食べ物」は、あなたが幸せになるためのパートナーなんです。
・・・
ということで、今回は「チョコレート問題」でした。
今後チョコレートを食べるときは、この投稿を思い出してみてください。
チョコレートをありがたく食べることができれば、人もチョコレートも、お互いに嬉しい関係になることができそうです。
・・・
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