消去法 ー愛ではないものを排除した先にー

(読了目安8分)

人生の中で、自分が本当に求める目的に近づいているかどうか不安になるときがあると思います。
また、自分探しの途中で挫折しそうな人もいると思います。
今回はそんな人にちょっとしたヒントです。


目的のものを見つける方法は2つあります。
ひとつは目的物そのものを直接見つける「直接法」です。
そしてもうひとつは、目的物ではないものを排除しながら残ったものを手に入れる方法で、それが今回のテーマ、「消去法」です。


たとえばいま目の前に「スプーン・フォーク・ナイフ」の3つがあるとします。
「この中からスプーンを選びなさい」となったとき、スプーンを知っていれば直接スプーンを選びますよね。
スプーンを知らない場合でも、もしフォークとナイフを知っていれば、それ以外がスプーンですから、スプーンを知らなくても、スプーンを選ぶことができるんです。
結果的に、「これがスプーンね」とわかるわけです。
3つのうちナイフしか知らない場合でも、消去法を使ってナイフを排除してしまえば、スプーンにたどりつく確率を「3分の1」から「2分の1」に上げることができます。


これをみなさんの人生の話に置き換えると、なにが愛かわからないとき、直接愛を選ぶことが難しいなら、「愛じゃないものを排除する」という選択を繰り返すことで愛に近づける、ということになります。
100個の中からいきなり1つの愛を見つけることよりも、「愛ではないもの」を排除し続け、もし95個排除できれば、あとは5個の中から選ぶことができます。
そして、100個の中から95個を排除する作業そのものがあなた自身を鍛えてくれますから、愛ではないものを判断する力は、どんどん身についていき愛に近づけます。


このように「消去法」を使っても、人は愛に近づくことができるんです。
むしろ積極的に消去法を使った方が確実かもしれません。
というのも、人間は、「これは愛!」と一度信じてしまうと他を見る余裕がなくなり、それだけに固執してしまうからです。
「消去法」を使って人生の中で愛を見つける作業は、スプーン・フォーク・ナイフからスプーンを探す作業ほど単純ではありませんが、「愛ではないもの」を排除していくと、自分の生活がとても心地よくなっていくことに気付く場面が出てきます。


その「心地よさ」や「清々しさ」をエネルギーにし、さらに「愛ではないもの」を排除し続けていくことで、より安定した心に気付きます。
こうなれば、もう昔の状態に戻ることもなく、戻りたいとも思わなくなり、愛に続く道を歩くことができます。


たとえば「愚痴・口論・三悪」などは、「愛ではないもの」です。
愛ではないものを排除していくには、数年、数十年かかるかもしれませんが、少なくとも直接法だけで愛に近づくより、併用した方が確実と言えます。


「愛ではないもの」を判断する方法は、「それは、私もあなたも周囲も楽しい状態だろうか」と考えることです。
ただ、少ない人生経験から思う「愛」と、多くの人生経験から思う「愛」はまるで別物です。


簡単に書けば、人生経験が少ないと、彼氏にパチンコをさせることを「愛」だと信じたり、芸能界の若いアイドルが語る愛を「愛」だと信じてしまいますが、人生経験が豊富な人は、それまでにたくさんの「愛ではないもの」を見てきた経験がありますから、パチンコや、アイドルが語ることが本物の愛ではないとわかるわけです。


マスターも昔、「右手に酒、左手にタバコ、隣には女性」みたいな生活を「愛」だと思い、それに共感する女性と付き合っていたことがありましたが、そんな生活は安定せず、長く続きませんでした。
欲のままに生きることは人間を成長させませんから、悪い意味での相互依存状態が強化されていくだけなんです。


以下、上記とかぶるところもありますが、「愛や神、知恵などの本質がわからないとき、消去法を使うことでそれらに近づける」という話をしますね。


「神」という言葉が出てきますが、宗教的な話ではないです。


多くの色のゴムボールから「青いボール」を選ぶとき、青ではないものを排除して、残ったものが青いボールですよね。
この方法では、青いボールに直接近づくことはできませんが、青ではないボールを排除し続けることで、確実に青いボールに近づきます。
青ではないものを排除していった先に青があるわけです。
同じように、本物の神(愛・知恵)を見つけるには、「本物の神を直接探す方法」と「ニセモノの神を排除する方法」の2つがあり、はじめに書いたように、後者が「消去法」です。


このnoteは、愛にたどりつくための方法として、「消去法」も使っています。
思考のシフトマガジンをはじめとして、みなさんに問いかけているのは、「ちまたで信じられている〇〇は、はたして愛でしょうか?マスターは愛ではないと思います、その理由は・・・」というものです。


〇〇に入る言葉は、ダイエットはもちろん、スピリチュアル、オーガニック、ヨガ、マクロビ、セミナー、お酒、宗教、エステやコスメなどがあり、それぞれについて説明しています。


愛とは具体的になんなのか、人類はまだ共通認識としてその答えを持っていません。
ですから、本物の愛を見つけるには、ニセモノの愛を排除する方法、つまり「消去法」を使う必要があります。
愛そのものを知らなくても、「愛ではない」と感じるものを判別できれば、徐々に本物の愛の姿が浮き彫りになってくるわけです。
ですから、この方法は、たとえば「子どものころに愛されたことがない」「私は愛を知らない」「愛するとはどういうことかわからない」、などの悩みを持つ人にとっても有効な方法です。


「愛」そのものを知らなくても、愛に近づけるからです。


「愛を知らないんだから愛じゃないものもわからない」と思うかもしれませんが、「私もあなたも周りも楽しい」という状態ではないなら、それは「愛ではないもの」と判断していいんです。
たとえば、あなたが夜遊びをすることで周囲が心配するなら、それは愛ではないということです。
逆に、彼氏が夜遊びをすることであなたの心が乱れるなら、彼の行為は愛ではないんです。


ということで、マスターは、みなさんが愛にたどりつくために、「愛とはなにか」という「直接法」も使いながら、「〇〇は愛ではない」という「消去法」も使い、愛へのヒントを書き続けていこうと思っています。


愛を求めて200万年の旅を続けている人類は、近年「インターネット」を手に入れました。
人々は自宅にいながら世界中の人や情報と関わることができ、多くの価値観を短時間のうちに、しかも安全に手に入れ、それらを自分の頭の中で取捨選択することが可能になりました。
ようやく一部の人類が、先人たちの英知をまとめ上げ、本当の愛とはなにかを認識しつつあるようですし、愛ではないものを見抜く力がある人は、インターネットのおかげで、より確実に愛に近づける環境を手に入れることができるわけです。


インターネットの力を上手に使うことができれば、近いうちに愛に対しての共通認識が広まり、人類が飛躍的に成長する時代が来るはずです。


さてさて、「ニセモノの神を排除することで本物の神に近づく」こんなことをすごくわかりやすく表現したものとして、以前投稿した「オーブ見せます」とか「妄信者・探求者」があります。


このあたりの話は「スピリチュアル?」マガジンを参考にしてください。


たとえばマガジンにある「オーブ見せます」というタイトルでは、「オーブ」を妖精とかエネルギー体と信じている人の話が出てきます。
スピリチュアルの世界にどっぷり浸かっている人の中には、オーブについて「私は本物の妖精を見つけた」と安心している人もいるかもしれませんが、オーブの正体は主に「光とホコリの組み合わせ」ですから、彼らは「ホコリ」を神聖なものだと崇めてしまっているわけです。
もしどこかに「本物の妖精」がいるなら、ホコリを妖精だと信じる人間たちを見て、がっかりするはずです。
ニセモノの妖精を本物だと信じてしまうことは、人間の怠慢であり、同時に妖精に対する侮辱です。
ですから、もし本物の妖精を信じていて、その妖精に出会いたいなら、そしてさらに、本物の妖精に敬意があるなら、ニセモノの妖精は徹底して排除する必要があるわけです。


ニセモノの妖精の排除・・・その行為こそ「本物の妖精に対する誠実な態度」なんです。


オーブを本物の妖精だと信じる人は、実際は、「本物の妖精を探すのはもう疲れた、このあたりで見つけたことにしよう」と、楽をしていると言えます。
残念ですが、これではもう本物の妖精にはたどりつけません。
ニセモノの妖精を崇め、ホコリを祀りあげながら命を終え、その子孫もまたホコリを妖精だと信じながら生きていくことになってしまいます。


同じように、心霊写真やミステリーサークルなども、「ニセモノの神」と呼べるものですが、極論すれば、これらを神としていまだに信仰していたり、ニセモノだとウスウスわかっていても、後に引けない妄信者は数多くいます。
たとえば「いま付き合っている男性に、実は彼女がいる」、という話を友達から聞いた女性がいるとします。
その情報を検証せず、「私の彼氏には他に彼女はいない・彼だってそう言ってるし」と妄信し、他に彼女がいる可能性に目をそむけることも、ニセモノの神を信じる行為です。
これらは、本質を知る人たちから見れば、前進することを放棄した人たちなんです。
ですから長く愛されることはありません。
長く愛する力を持っているのは、いつの時代も「これは愛なの?」と探求を続け、本質に迫ろうとする「探求者」です。


◎まとめ


愛に近づく方法は、「なにが愛なのか」と理解し、愛に直接近づく「直接法」、「なにが愛ではないのか」と理解し、それを排除する「消去法」の2つがあります。


愛ではないものを排除するたびに、人は確実に愛に近づきます。
なにが愛かわからないときは、愛ではないものを排除していった先に愛があることも思い出してください。

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