「勘当だ!」と言われたら

(読了目安12分)


親から「勘当だ!(かんどうだ!)」と言われた経験はありますか?
言われた経験がある人は、どうしましたか?


結論から書くと、「勘当だ!」と言われたら、愛を学ぶチャンスです。


愛がある親は、子供を勘当しません。
子供を勘当するのは、「愛を知らない親」ですから、むしろ勘当された方が、子供は愛に近づくことができます。


以下、少し長くなりますが、「勘当」について書いてみたいと思います。


・・・

はじめに「勘当」の意味を調べてみたところ、こうありました。

「悪行を叱責(しっせき)して親や師が、子や弟子(でし)の縁を切ること。義絶。」

「悪いこと」をすると、「勘当」されることがあるようです。


あなたの親は、あなたが「やりたい」と言うことをやらせてくれますか?
やろうとしたとき、「勘当だ!」と怒鳴られたことはありませんか?
さらに、勘当されるのがイヤで、親の言いなりになったことはありませんか?


「勘当だ!」でよくあるパターンのひとつは、父親と娘のやり取りです。
たとえば娘が「彼氏と結婚したい」と言うと、「そんな男と一緒になるなら勘当だ!」となるわけです。
父親から見れば、その男はどう見ても頼りなく、娘が幸せになれるとは思えないわけです。


しかしこの時点で父親は完全アウトです。
みなさんは、その理由がわかりますか?


父親は、「この男と一緒になると娘は幸せになれない」と思っているんですが、もうちょっとわかりやすく書くと、「この男は娘を幸せにしてくれない」と思っているわけです。
つまり、父親は、「娘を幸せにしてもらおう」と思っているわけです。


「幸せ」は、他人からもらうものでしたっけ?


違いますよね。


他人から幸せをもらおうとしていると、他人任せの人生になり、自分の不幸を他人のせいにしようとします。
これでは自分の成長はありませんし、ただ幸せを待つ人生になってしまいます。


では、「勘当だ!」と言う親、つまり「幸せはだれかが運んでくれるものだ」、と考える親に育てられた子供がどうなるか、想像してみてください。


・・・そうです、父親の考え方で育った娘は、同じ価値観になるんです。
不幸を感じると、「幸せをちょうだい!」と人を責める娘になってしまうわけです。
幸せは、他人からもらうものではなく「自己責任」ですから、娘は、自分の考え方を変えない限り、結婚してもしなくても、そもそも幸せになることはできません。


ということで、娘が幸せになれないなら、それは、
「彼氏が悪人だから」
ではなく、
「勘当だ!と怒鳴る父親に育てられたから」
です。


また、父親は、「この男と一緒になると娘は幸せになれない」と思った時点で、「自分の娘は自分の力で幸せになる力がない」と決めつけています。
さらに、「怒鳴る」というのはもちろん愛ではありません。
怒鳴られて嬉しい人はいませんから、娘のことを本気で考えているなら、冷静に説得するはずです。


ですから、「勘当だ!」と怒鳴った時点で、その父親は「完全アウト」なんです。


もちろんそんな父親に言われてやりたいことを断念する娘も、悪循環の中で生きていくことになります。


一方で、娘がやりたいことをすんなりやらせてくれる父親もいます。
そんな父親は、まずなんと言っても、自分の幸せに責任を持っています。
自分に愛をそそぎ、あふれる愛を、娘にそそいで育ててきました。
愛を込めて育てたということは、自分の子育てに誇りを持っているわけです。
愛をこめて育てたからこそ、子供を信用できるんです。
ですから、子供がなにかをしたいと言ったら、感情的になることなく、基本的にそれを認めてくれます。
そして、もし失敗しても、親に力があるうちは親身になって助けてくれます。
人間は失敗の中から学んでいくものだと理解しているからです。


父親が、「この男と一緒になるなら勘当だ!」と言うのは、

「幸せは他人が運んでくれると考えている」
「子育てに愛がなかった」
「娘を信用していない」

こんなことの現れなんです。



◎勘当は愛か



命に関わることならまだしも、彼氏とのことで、娘の人生を力ずくで押さえ込もうとする親に「愛」はありません。
「勘当だ!」は、愛ではないんです。


親の役割は、子供を助けることです。
子供がなにかをしたいとき、それが命に関わるものなら、命懸けで阻止する必要がありますが、命に関わるものではない場合、まずは自分が育てた子供を信じ、やりたいようにやらせてあげるのが親の愛です。
そして、子供が失敗したり、困ったときに助けてあげるのが、親の役割なんです。


子供に愛をそそいできた親は、自分が育てた子供の判断を信じます。
子育てに自信がない親ほど、「勘当だ!」と力尽くで子供に介入します。
さらに、周囲の親戚も一緒になって「そうだ勘当だ!」と言うなら、その家系は間違いなく「悪循環」に入っています。
先祖を遡れば、お酒・ギャンブル・暴力・浮気・借金など、いろいろなトラブルがあったはずです。


たとえばあなたが子供を産んだとします。
子供の人生は、誰の人生でしょうか。
・・・そうです、子供の人生は子供のものです。
ということは、あなたの人生は、あなたのためにあります。
親のためにあるわけではありません。
そして親も、子供の人生を自分のものにしようとしてはいけないんです。
親がしていいのは、子供が困ったときに「助けること」です。


世の中には、なにかあると「勘当だ!」と怒鳴る家系はたしかにあります。
しかし現代は、だれでも自分の生き方を選べる時代になりました。
「勘当だ!」を恐れ、そんな家系に残り、悪循環の一部になってしまうのか、それとも勇気を出して飛び出し、その鎖を断ち切るのか、あなたは自由に選べます。
親子で依存し合って、お互いが自立できないままでは、幸せな人生を作ることは不可能です。


さて、みなさんの親は、自分の寂しさを子供に押し付けていないでしょうか?
親の役割は、子供を助け、命のバトンを未来へつなぐことです。
「勘当だ!」と、自分の子供を脅す親、そして、その言葉に逆らえないように育てられた子供・・・そんな親子に明るい未来はあるのか、答えは明白です。




◎親は子を勘当しない



そして、ここが一歩踏み込んだ大切なところです。
初めと矛盾するような形になりますが、「勘当だ!」と言って本当に勘当する父親はいません。


理由は単純です。


「勘当だ!」と言う父親は、自分の幸せに責任を持てない人ですから、本気で子供を勘当するはずはありません。
自分の寂しさを癒すことができなくなってしまうからです。
子供依存と言ってもいいかもしれません。


子離れできている親は、子供を1人の大人として見ますから、感情的になることなく話ができます。
子離れできていない親ほど、「勘当だ!」となるわけです。
おそらく結婚式で誓った妻との「永遠の愛」も、守れないはずです。
「娘のためだ」という理由を中心に、いろいろな理由をつけますが、冷静になって考えれば、親は自分の価値観を押し付けているだけです。
結局、「勘当だ!」と言う親は、ただ寂しいだけだとわかります。
ですから、言ってみたものの、結局は勘当しません。
しばらくは強がっているかもしれませんが、戸籍を抜く手続きもせず、親子関係を続けようとします。
場合によっては、何事もなかったかのように連絡してくるかもしれません。



◎子は親を勘当する



本来の意味とは逆になってしまうんですが、子が親を勘当する場合はあります。
「逆勘当」が成立しやすいのは、親が酒グセが悪い、借金まみれ、暴力、浮気グセが治らないなど、子供が親を気に入らない場合です。
親が「勘当だ!」と言えば、「それでいいよ」となるわけです。
しかし、戸籍や住民票など、絶縁に必要ないくつかの手続きなどする親子は皆無です。
そのあたりを理解すると、通常は、その場限りの感情的な問題であって、本当の意味での「勘当」はほとんど成立しないということがわかると思います。



◎大切なのは未来


そもそも「勘当だ!」と言う親は、子供に愛をそそいでいないわけですから子供としては、勘当されてもいいはずです。
子供側に「まだ親に甘えたい・親に嫌われたくない」という気持ちがあると、親の言いなりになってしまいますが、言いなりになるというのは、自分の価値を下げるということです。
子供がやりたいことを諦め、自分の価値を下げていく・・・これは自分に対する愛でしょうか。


親から勘当されても、親に感謝する気持ちは持っていていいんです。
親に感謝する気持ちがあれば、少なくとも子供の幸せは揺るぎません。


また、親子のつながりがなくなることによる精神的空白がつらいため、親の言いなりになる人もいます。
しかし親はいつか必ずこの世を去り、別れは間違いなくやってきます。
大切なのは、いつまでも親と一緒にいることではなく、新しいパートナーと心と心の付き合いを構築し、命を未来につなげることです。
肉親が大切なことは言うまでもありませんが、もし「親」か「未来の家族」か選ぶなら、間違いなく「未来の家族」ですし、愛のある親なら、当然それを願っています。



◎親への恩返し


親に対する恩返しとは、子供が自分自身を認め、自分に自信を持ち、親から精神的に自立することです。
「勘当だ!」と言われて子供が怖がるなら、それは、「親から嫌われたくない、肉親を失いたくない」という欲があるからです。
言ってみれば、自分に自信がないからです。
しかし、いつまでも親と一緒にいて、自信がつくはずはありません。
依存の度合いが増えるだけで、歳を重ねていくうちに、さらに離れられない関係になっていきます。


パートナーを見つけ、家庭を持てば、新しい心のつながりができます。
それこそが命のバトンをつなぐことであって、自分の未来を明るくすることです。
さらに書けば、親に孫を見せるチャンスもできるわけです。
大切なことは、「親から嫌われないこと・親に甘えられなくなること」ではなく、「愛をそそぐこと」です。
言い換えると、「パートナーに好かれ、子供を甘えさせてあげること」です。


「勘当だ!」に抑えられてなにもできないうちは、愛をそそぐことはできませんから、結果として、「親の言いなりになっているうちは、愛されない」ということになるわけです。
みなさんは、未来を見て生きてください。



◎毒親


「毒親」という言葉がありますが、「勘当だ!」と怒鳴る親は、もちろん毒親です。
しかし多くの子供は、それを毒親だと理解できないように育てられています。
それどころか、周囲から「毒親」と言われると、親をかばう子供さえいます。
それは、「私は愛された」と信じたいあまり、親を肯定したいからです。


しかし本質は違います。
「勘当だ!と怒鳴る親は、子供を愛していない」と認めることが、今後の幸せのために必要なことです。
親は完璧ではありませんから、毒親でいいんです。
過去のことはどうにもなりません。
今後みなさんにできることは、人間の不完全性を認め、親の不完全性を認め、悪循環を断ち切る勇気を出すことです。


◎相互依存

「そんな男と結婚するなら勘当だ!」と怒鳴る父親の言いなりになる娘は、
誰と結婚してもうまくいきません。
その理由は、「幸せは他人が運んでくれる」、こう信じている父親の価値観を受け継いだ女性だからです。


父親は、「あの男と一緒になると幸せになれない」と言いますが、本質は、「そんなことを言うオレが育てた娘だから幸せになれない」です。


幸せになる実力がある娘の父親は、娘の判断を尊重し、娘が困ったら助けます。
決して「勘当」という言葉を使いません。



そして、親から「勘当だ!」と言われた以上、やりたいことをやっても、やらなくても、娘にストレスは溜まります。
やってもやらなくてもストレスが溜まるなら、やりたいことをやった方が「自分の人生」と言えます。
親から力尽くで抑えられ、やりたいことができずに後悔することが、なによりも自分を愛さない行為です。
自分を愛さない人が他人から愛されるはずはありませんから、「勘当だ!」という親の言葉の言いなりになっている子供は、愛されることはないということです。

父親 「勘当だ!」

娘 「ごめんなさい、言うとおりにします」


この会話は、愛を知らない親と子の「相互依存」が生み出すやりとりと言えます。


◎まとめ


「勘当だ!」と怒鳴る親は、愛をそそげない親です。
愛をそそげない人は愛されませんから、親は愛されていない人ということになります。
愛されたいなら、愛されている人の助言を聞く必要がありますから、「勘当だ!」と言う親からは、愛されるヒントは得られないわけです。
愛されないのは、「勘当だ!」と言う親の言いなりになっているからです。
愛されたいなら、「これは愛なの?」と常に自分で考え、愛だと思うことを実践し続ける必要があります。


◎最後に


ここまで書いた理由からマスターが言えることは、
親から「勘当だ!」と言われたら、勘当されてください、
ということです。
自分の責任で愛に近づかなければ、自分の人生ではありません。
あなたの人生は、あなたのものです。


以上です。
最後までありがとうございました。


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