人生は車の運転と似ています

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人生は車の運転と似ています。


「車の運転がうまくできるようになりたい」と思ったとき、どんなことをすればいいか考えてみてください。


そうですよね、「練習」です。


本を読むだけでは上手になりませんから、実際に公道に出て運転します。
そして急ブレーキを踏み、クラクションを鳴らされ、ドキドキしながら上達していきます。
時には交通事故を起こし、ケガをしたり、免停になったり、罰金を払ったりします。
自分の未熟さの責任を自分でとり、それでも練習を続けた人は、徐々に上手になることができます。
事故の教訓から、冷静になることやイライラしないことの必要性を学び、それを実践していくほど上手になっていきます。


では、初心者が運転する場合、1人で運転するのと、運転の経験者が助手席に乗るのでは、どっちが安全だと思いますか?

もちろん経験者が助手席に乗った方が安全です。
その理由は、経験者は、初心者がなにをするかわかっているため、先回りして「予測される不都合」を回避する指示ができるからなんです。
実際、マスターも多くのペーパードライバーの練習に同乗しましたが、マスターが隣に乗って事故を起こした人は1人もいません。
ときどき、「マスターが隣にいると緊張してうまく運転できないです」と言う人もいるんですが、それでもマスターが乗っているときは無事故で、その後自分だけで運転し、事故を起こした人は数人います。


経験者が助手席に乗り、視点が多くなることで事故が未然に防げるわけです。
また、たとえ事故が起こっても、経験者が隣にいれば冷静に対応でき、本質的な解決に向かうことができます。



そして、これは人生にも同じことが言えます。
「幸せに生きていきたい」と思ったとき、本を読むだけでは決して幸せになれませんから、実際に社会に出て生きる必要があります。
時には人間関係の失敗を起こし、怒鳴られたり、無視されたり、批判されたりしながら、一歩ずつ幸せに近づいていくんです。


自分の未熟さの責任を自分でとり、それでも前向きに生きた人は、徐々に幸せになることができます。


失敗の教訓から、冷静になることやイライラしないことの必要性を学び、それを実践していくほど幸せになっていきます。


そのとき、誰か助言をくれる人が近くにいれば、失敗を未然に防ぎながら、幸せに近づくことができます。
ただ、助言をくれる人が愛をこめて助言をくれるかどうかは、あなたが判断する必要があります。
ですから、愛とはなにか判断する力がとても大切になります。
人生のトラブルが続く人の特徴は、「愛の判断を間違えている」ということです。
車の事故が続く人の特徴が、「安全の判断を間違えている」というのと同じことです。


車の運転の経験者は、初心者がどんな失敗をするかわかっています。
そしてその失敗を未然に防ぐための助言もできます。
人生の経験者も、若者がどんな失敗をするかわかっています。
そしてその失敗を未然に防ぐための助言もできます。
あとは、その助言を聞くかどうかです。


さらに言えば、人生の経験者は、若者が助言を聞かないことが多いこともわかっています。
それは、自分もそうだったからです。
人生の経験者の助言を聞けば失敗を未然に防げる確率が上がるのに、若者たちは、助言を聞かず生きていこうとします。


しかしそれが、新しい発明や発見につながっていくのかもしれません。
マスターは、人生の経験者の助言を聞いた方が早く幸せに近づけると思っていますが、助言を聞かず苦労をするからこそ、幸せを深く味わう心の準備ができるというのも本質かもしれません。


実際にマスターは後者の方法で幸せに近づいていったような気がします。
マスターの経験から書くと、助言を聞かずやりたいようにやるのが20代まで、その後は人生の先輩から助言を聞きながら、幸せへの道を最短距離で進むのも賢明な方法だと思います。


◎まとめ

人生は、車の運転と似ています。
ドキドキし、ミスも重ね、事故も起こすかもしれません。
しかし教訓を活かし練習を続けていけば、幸せに近づくことができます。


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