愛への絶対条件

(読了目安13分)

今回は、今、人を恨んでしまいどうしようもない状態の人に、長く愛されるための絶対条件を書きます。
ここをクリアできないなら、このnote全体の内容は、役に立たないと思います。
くり返しの多い長文ですが、よかったらお付き合いください。



◎序文



小さな子どもは、なにかに悩むとき、たとえば、「服をうまくたためない」「ゲームが思うように進まない」などのときは、怒ったり泣いたりするばかりで、大人からの助言を無視し、理解しようともしません。
みなさんも遠い記憶の中に、そんな思い出があると思います。


「子ども」ですからね、経験から学んでいく時間はまだまだあります。


大変なのは、上のようなことを、大人になってもやっている人です。
子どもの思考のままだと、なにかに悩むとき、たとえば、「人間関係がうまくいかない」「仕事がうまくいかない」「恋愛が思うように進まない」などのときに、泣いたり怒ったりするばかりで、他人からの助言を聞きもせず、理解しようともしません。


「他人からの助言を聞くことができる人が大人」ということです。
そして人は、歳をとるほど他人から助言をもらえなくなっていきます。
「説教してくれる人がいなくなる」ということです。
みなさんはせっかくマスターと出会ったんですから、「他人からの助言をよく聞く」ということを忘れないでください。
助言を頭から否定してしまうと、あなたの成長が止まってしまい、愛にたどりつけなくなってしまうんです。
ただ、念のために書くと、「他人からの助言をよく聞く」というのは、無条件で助言に従うという意味ではありませんよ。
その助言を「マジメに検討してみる」ということです。


「私はもう大人なんだから誰の指図も受けない!」・・・こんな人は、過去、周りからかなりのプレッシャーを受けて生きてきたのかもしれません。
苦労はわかります、しかしこの考え方では、ただ歳をとっただけの子どもです。
「歳をとっただけの子ども」の方が社会的悪影響が大きい分、本物の子どもよりタチが悪いんです。
あなたが「歳をとっただけの子ども」だと、周囲は逃げるか、表面的な付き合いになります。


長く愛する力を持っているのは、大人の思考をしっかり持った「本物の大人」です。
「本物の大人」は、「歳をとっただけの子ども」をパートナーにしようとは思いません。
また、歳をとっただけの子ども同士の恋愛や結婚は長く続きませんから、あなたが長く愛されるためには、結局、あなた自身が「本物の大人」になることが必要です。


では以下、本題に入りましょう。
「長く愛されるための絶対条件」です。
マスターからの助言がいつも正しいわけではありませんが、「マジメに検討してみる」というスタンスで読んでみてください。



◎長く愛されるための絶対条件


「恨み(うらみ)」は「愛」と共存できませんから、恨みから解放されることが、長く愛されるための「絶対条件」です。


マスターは、20代のとき、人を恨んだことがあります。
マスターの場合、恨み続けているだけでは、恨みは晴れませんでした。
むしろ恨みを晴らすために選ぶ行動が、さらに次の恨みの原因になるんです。
一歩間違えたら、今も人を恨む人生を歩んでいたかもしれませんが、恨みでは次の恨みを生むだけだと知り、恨みから解放されました。


いま、不誠実な人に対して恨みを持っている人に質問です。
(あなた自身のことだと思って読んでみてください)


あなたの人生は、その人を恨むための人生ですか?

それとも、人を愛するための人生ですか?


人を恨み続けていると、「私はこんなに苦しい、なぜ周りはわかってくれないんだ、私のどこが悪いんだ・・・世の中はおかしい」、こんなふうに、特定の人に対する恨みだったはずが、世の中への恨みに発展していきます。
また、たとえその人に復讐をして目先の恨みを晴らしても、次の恨みの始まりになるだけです。


恨みは「復讐」によって晴らすことはできません。
たとえその人があなたに謝ってあなたの気分が良くなっても、また、その人が他の人間関係で苦痛を味わい、「いいザマだ」とあなたが感じても、それは他人の行動によって得た一時的な「痛み止め」です。
自分の苦痛を他人に取り除いてもらおうとしているうちは「受身」の人生です。
受身の人生では、長く愛されません。


長く愛されるための条件はこのnoteに書いてきたとおりですが、中でも基本となる「絶対条件」というのは、「人を恨まないこと」です。


「恨み」と「愛」は一人の人間の中に共存できません。
人を恨めばその人の中の愛は消え、愛をそそげばその人の中の恨みは消えます。
長く愛されないのは、人を恨んでいるからです。
自分の心の中に「恨み」があるうちは、長く愛されるためのスタートラインに立つことさえできません。
社会や自分も含め、「人を恨まないこと」、これが長く愛されるための絶対条件です。



◎具体的にはどういうことか

「人を恨まない」ということを具体的に書くと、もしあなたが離婚調停などで法的な争いをしているなら、「すぐに止めて無条件で手を引く」ということです。


マスターがこの提案をすると、夫婦問題で悩んでいる女性の多くが、「なんで?誰が私の生活を保障してくれるの?悪いのは彼よ」と言い、トラブルの原因が自分にもあることを忘れ、またはあるとわかっていても「相手の方がもっと悪いんです」と、争いごとを長く続けてしまいます。


その間、人を恨み、愚痴や不満を言い続け、精神的な負担を負い続けることになります。
愛はお金では手に入りませんし、詫び状でも、反省文でも、念書があっても手に入れるのはムリです。
「慰謝料」を請求する人もいますが、その100万円や1千万を手に入れるために、何年も人を恨み続け、ストレスを発散するためや争うための費用として、結局そのお金を全部使ってしまうんです。
「慰謝料を手に入れるために、慰謝料と同じ金額を使ってしまう」ということです。
これでは、手元に残るお金はゼロのまま、時間と精神力を使いますから、その分マイナスになるんです。
時間と精神力だけでなく、さらに「社会的信用」も失います。
周囲の人は「あなたは悪くない」と言ってくれるかもしれませんが、人は、「他人と争っている人と付き合いたくない」というのが本音です。
きっとあなたも、人と争って愚痴が多い人と付き合うより、恨みを忘れて前向きに生きようとしている人に魅力を感じるはずです。
ですから、長く愛されたいなら、争ってはいけないんです。
争いをやめ、健康に感謝しながらありがたく働けば、お金だけでなく、知恵も手に入るんです。


たとえば、あなたは男性に「100万円の慰謝料」と「詫び状」を求めているとします。
それを見たマスターが、解決策として、その男性に150万円を渡し、「50万円はあげるから、詫び状を書いて、残りの100万円を彼女に支払いなさい」と言ったとします。
マスターの言うことを聞いた男性が100万円と詫び状をあなたに収めたら、それであなたの心は晴れますか?

・・・ムリですよね。
「あいつが苦労して働いたお金じゃないと受け取らない、本心から詫びる気持ちが欲しい」こんなことを言い出しませんか?
相手が涙を流しても「そんなことではだまされないわ」となり、お金をすぐに用意して持ってきたら「本当はもっとあるんじゃないの?」、こんなことを考えませんか?
裏にマスターがいることを知ったら、「裏でマスターが動いたのを知らなければ心が晴れたのに」などと言いませんか?


あなたはいったいなにが欲しいんでしょうか。


「お金」ではなく、「苦労して稼いだお金」なんでしょうか。
「詫び状」ではなく、「心がこもった詫び状」なんでしょうか。
他人が苦労して稼いだとか、心がこもっているとか、あなたが判断する基準はなんなんでしょうか。


100万円もらえば、しばらくはそのお金を「痛み止め」として使えますが、お金に頼って物事を解決しようとすれば、あなた自身の成長は止まります。
もらうお金が多いほど、お金がなくなったころには、「子ども思考の高齢者」になっているかもしれないんです。
やがてお金がなくなれば、心の傷みが再発します。
そのとき、お金と同時にもらった「詫び状」を読めば、あなたの心は癒されるんでしょうか・・・


「あの人が苦労して稼いだお金と心がこもった詫び状があれば心が晴れるのに」・・・これでは「他人任せ」です。
お金や詫び状など、あなたが出す条件が全部認められ、その場では一時的に気持ちが晴れたとしても、「他人任せ」の人生では、心の晴れ間は長く続きません。
幸せは、全てあなた自身の心の問題です。
自分の幸せは、他人がどうであれ、自分の力で手に入れてください。


たったひとつできることは、あなたが愛をそそげるか、これだけです。
そしてそのために必要なことが、「すぐに争いを止めて無条件で手を引くこと」なんです。
今すぐに争いごとから無条件で手を引けば、その瞬間からあなたは愛をそそぐ人生をスタートできます。


相手の男性は「ラッキー」と、また同じ事を繰り返すかもしれませんが、あなたにとって重要なことは、「あいつが反省もしないでのうのうと生きていること」ではなく、「自分が幸せかどうか」です。
「あいつの苦しみが私の幸せなのよ」という考え方ではいけません。
「あいつ」が苦しまなければあなたが幸せになれないなら、あなたの幸せは「あいつ」に依存していることになるからです。


中には「私のような被害者を増やしたくない」と言って男性との争いを続ける女性もいます。
もしそれが本心で、その女性の動力源が「愛」なら、その争いは必ず思ったように実を結びます。
逆に、思った結果が出ないなら、目先の欲で動いていたということです。


◎見返してもムダ


「あの男を絶対に見返す」・・・こんな言葉を聞くことがありますよね。
しかし、そう思い続けているうちは、その女性は、「あの男」に縛られていることになります。
言ってみれば、「あの男」のために生きているんです。
「時間」は、あなたを成長させ、知恵に近づけてくれるものです。
その貴重な時間を、「あの男」を思い出すために使っているなんて、つまらないことじゃないでしょうか。


「他人を恨み、憎しみの中にいる男性」が、あなたの近くにいるとします。
あなたはそんな男性に自分から近づきますか?
もしあなたがそんな男性に近づくなら、それは愛ではなく、お金や他のものが目当てじゃないですか?
同じように、もしあなたが男性を恨み、憎しみの中にいたら、近づいてくるのは身体かお金が目当ての男性です。
これでは悪循環から抜けられなくなり、あなたは愛にたどりつくことはできません。


「あの男を見返す」とは、「あの男を忘れる」ということです。
「あの男」を忘れた時に、本当の意味で見返したことになるんです。
世の中にはこのことを理解できず、人生の貴重な時間を、過去の男を恨み、見返すために使っている女性がいます。
「あの男」を見返すための強いこだわりを、愛をそそぐ方へ向ければ、どれだけ大きな力になるかわかりません。
なにかを手放せば、必ず相応のものが手に入ります。
大きな恨みを手放し、前に向かって歩き出したとき、やがて大きな愛が手に入ります。


◎恨みを晴らすということ 


今、あなたが「私には恨みしかない」と思うなら、その気持ちやこだわりを全て忘れてください。
それが、長く愛されるために必要なことです。


もちろんそれはとても苦しいことです。
恨みや憎しみ、激しい苦しみ・・・マスターもよくわかります。
どうしようもなくやり場のない気持ち・・・マスターも経験してきました。
しかし、それらに縛られているうちは、本当に欲しいものは手に入らないんです。


深呼吸して、もう一度考えてください。


あなたは、人を恨むためではなく、愛をそそぐために今そこにいます。
あなたが「恨み」を忘れ、新しく愛をそそぐことができたとき、同時に恨みを晴らしたことになります。
愛をそそぐことができたとき、過去の全てに感謝することができ、あなたの心はスッキリと晴れます。
それが「恨みを晴らす」ということです。


「恨みを晴らす」というのは、「愛をそそぐ」ということです。



人を恨んでいる全ての人に伝えたいことは、「あなたは人を恨むために生きているのではなく、愛するために生きている」ということです。


人を恨むほどあなたは愛から遠ざかります。
恨みを持った心からは愛を発信できません。
「恨みを忘れること」は、恨み続けるよりつらいことかもしれませんが、それこそが長く愛されるための第一歩、「愛への絶対条件」です。


◎恨みの気持ちを自分主導で消化する方法


他人が謝ってくれないと幸せになれない生き方は、「受身」の生き方ですから、愛されることはありません。
愛されるには、自分主導で生きる必要があります。


以下、恨みを消化する方法のヒントです。


ひとつは、「自分が正しいと信じないこと」です。
言い換えれば、「人間の不完全性を信じること」です。
恨みの原因は、お互いの誤解や不手際によるものかもしれません。
世の中には、完璧なものはありません。
「自分が正しい」と信じると、不都合が起こります。


もうひとつ、これは多くの人が忘れていることですが、相手の「病気・障害」の可能性を考えることです。
相手の「ASD」や「精神疾患」などの可能性を考える余裕を持ってください。
他人を自分と同じ価値観にはめ込もうとするほど、ストレスになります。
多くの人が忘れがちですが、世の中には全体の数パーセントほど、生まれつき脳の状態が他の大勢の人と違っている人がいます。
その人たちの言行に対してイライラしても仕方ありません。
ASDや精神疾患を勉強するほど、恨みは消えていきます。


また、非常識な人に対して恨みを持つ人も多いですが、「非常識な人にイライラするのはおかしい」と気付ければ、恨みは晴れます。
「あいつは非常識だ」と、ある人に対して「非常識者の認定」をしたなら、その瞬間から、その人のことでストレスは溜まらないはずです。


非常識な人に常識を求めるからイライラするわけですから、たとえばあなたが「あいつは非常識」と本当に認定したなら、もうあなたはイライラするはずはありません。


もしイライラするなら、その認定は表面的なものであって、心の中では自分と同じ価値観を期待しているんです。
つまり「あんたは非常識者で確定よ!でも常識的でいてよね!」と、むしろあなたが非常識なことを相手に求めていることになり、非常識な人に対して恨みを持つということは、あなたが「私は非常識です」と言っていることになってしまいます。


あなたがもし誰かを「非常識者」と認定したなら、その人をいたわり、心配する気持ちを持ってあげてください。
それが愛をそそぐということです。


◎最後に


愛は、恨みとは共存できませんから、愛への絶対条件は「人を恨まないこと」です。
マスターも完璧ではないですから、人に言えるような立場ではないかもしれません。
しかし、マスターが若いころに学んだ教訓から言えるのは、間違いなく「愛されたいなら人を恨んではいけない」です。
これに気付き行動を起こすのが早い人ほど、長く愛されます。


マスターは、勇気を出して新しい一歩を踏み出す人を応援します。
深呼吸して、恨みの気持ちを切り離し、愛への第一歩を踏み出す勇気を出してください。

・・・

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