見出し画像

人間性は運命として表れる vol.35

善因善果、悪因悪化と言う言葉があります。

良い行いからは、良い結果が
悪い行いからは、悪い結果が出る
と言う意味の言葉です。

まんまですね。

真心で、優しく思いやりを持って、人に接する人は
人から好かれるやろうし

悪口ばかり言う人や、自己中の人、いつも不機嫌な人とは、出来るだけ一緒にはいたくない。

そんなもんですよね。

そんな中でも、人前では良い人だけれど
誰も見ていない所では、ポイ捨てはするし
困っている人が居ても、見てみぬふりをする。

これはどうでしょうか?

誰も見ていない時と言うのは、気が緩みがちではあります。

私は、こういう誰も見ていない所で、どんな行いが出来るのか?を自分自身に問うように心がけています。

と言うと、めちゃくちゃ硬い考えの人っぽいですが
普段、すぐ気が緩むので、あえて問うています。

例えば、徳を積むと言う言葉がありますが
徳を積むと良い事があるから、徳を積む!になると

自分に良い事が起こる為に徳を積む。
つまりは、損得の『得』になってしまう様に私は感じます。


じゃあ、どうしたら良いのか?

私の方法はいたって簡単で
『そんな自分は好きか?』と自分に尋ねます。

例えば、地面に誰も気付かない程のゴミが落ちていて
多分、拾わなくても、誰も気付かない。

でも、自分は気付いてしまった。

さて、どうするか?
それを無視して放っておく自分は好きか?
それとも、拾う自分の方が好きか?

う……ん。拾っとこか。

と決断します。

一回拾うと決めてしまったら、次からは、拾った方が
自分を好きでいられる事は、わかっているので

問う事も、一々考える事もなく
『拾う』を選択できるようになりますし

やっぱり、見てみぬふりをする自分よりも
拾える自分の方が圧倒的に好きです。

誰も見ていなくとも、誰よりも、自分の目が見ているし
自分の耳が聞いているし、自分の心が感じています。

現にゴミが落ちている状態って、気持ち良くはないですし

もしも、困っている時に、そっと助けてくれる人がいたら、嬉しいですもんね!

誰も見ていない時の行いこそが
忘れた頃に、徳として自分に返って来る。

つまり、運命として表れるのだと思います。

良い人であろうとするのではなく
好きな自分でいる事。

これが、上心や下心ではない真心
自分を信じられる一番の方法なんじゃないかな?
と私は思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?