ホドロフスキーのサイコマジック、観てきました!
渋谷のUPLINKに観に行ってきました。『ホドロフスキーのサイコマジック』。(渋谷のUPLINK、めちゃめちゃ久しぶりに行った。)
映画の冒頭でも話されますが、サイコマジックとはホドロフスキーが「行為」によって精神や身体に癒やしをもたらそうと考えだした治癒方法です。フロイトに始まる精神医学が「科学」を拠り所とし、「言葉」で癒そうとする手法なのに対し、ホドロフスキーのサイコマジックはむしろ精神医学が禁じ手とする「接触」や「行為」を積極的に行います。必要以上の言葉は邪魔だとすら言っているように見えました。
ホドロフスキー曰く、サイコマジックは「アート」だと。(深い!)
アートが人を癒やす、ということを証明したというのが動機にあるようです。
サイコマジックのより詳しい内容を知りたい方は書籍の『リアリティのダンス』を読むことをおすすめします。
細かな処方のあれこれをここで振り返るつもりはありませんが、とにかくまず印象的なのは相談者それぞれの切実さです。
どの症例も相談者自身の独白的な語りで始まります。ナラティブを受け取ることによって彼らが病を抱えた背景を察するわけですが、10例ほど登場するどのケースでも、僕は心がぎゅーっと締め付けられました。
その後に展開されるホドロフスキーの処方と治療がとにかく独特。
ホドロフスキーの持ち前の独特さ、どぎつさも当然あります。ありますが、それ以上に、相談者の内面の宇宙と直結することによって独特にならざるを得ないのだなと思いました。あまりにも奇抜な処方もあるのですが、妙に納得して観てしまうのです。
生きろ
サイコマジックの処方箋がどのようにホドロフスキーの映画に反映されたか、というところも本編の中で紹介されるのですが、その中でも『エンドレス・ポエトリー』の「生きろ!生きろ!生きろー!!」というシーンが改めて印象に残りました。
ホドロフスキーは「人生に意味があるんじゃない。人生は完全に無意味だ」と断言します。その上で「人生は生きるものだ」と再定義します。
セリフ的には、その後に「生きろ!」の連呼が来るのですが、僕はその無音の行間から、なんというか勇気をもらった気がするのです。
人生に意味があるから → 生きる、というのはどうも消極的な生き方だと気付かせてくれるのです。それって、ご褒美がもらえるから → 宿題をやる、という論理となんら変わらないように思うのです。どうも生命の使い方としてはもったいない…。
生命というのは本来無限に自由なものだ、とホドロフスキーは言ってるんじゃないでしょうか。
無限に自由なエネルギーを、言語というエゴの道具で意味づけした狭いレンジに押し込めるような生き方は、本来の人生を生きているとは言えない、と。
人生は無意味だ。むしろそのほうが気楽で気持ち良いと思いませんか。
人生は意味云々ではなく、そもそも生きるものだ。だからまず生きるんだ。生きろ!ってね。
生きた結果として意味はいくらでもついてくる。そんなものは放っておけ。もともと無意味なものなんだから!
…こんなメッセージが読み取れるのでした。
禅ですね。
ホント、ホドロフスキー大好き。
SN
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