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故郷繋ぐ夏祭り

わたしは静岡県の海辺の小さい町で生まれ育った。
漁師らも多く住んでいるからか年に一回の大漁や海での無事を願う祭りは盛大に行われる。町内会ごとに揃いの法被に鉢巻をしめた男衆が神輿を担ぎ練り歩く。祭りの間はあちこちで酒が振る舞われいつも誰かが酔っぱらっている。出店が町いっぱいに並び、ソースの焦げた良い匂いや綿あめの甘い香りが漂う。笛や太鼓の祭り囃子が賑やかに鳴り響き、神輿とともに子どもも大人も踊る。夏の暑さと祭りの熱気。普段の焦げ茶色の平凡な町並みが神輿の金色にお化粧の紅色、大勢の人の衣装や出店のお面からもクラクラするぐらい色に溢れる。
もう何十年も前、祭りの花火に見送られるように天国へ旅立った祖母は、町内で指折りの踊り手で、祭りが近くなると近所の人たちや子ども達に祭りの踊りを教えていたそうだが、幼かったわたしには祖母が踊りを教えてくれたことも踊っている姿の記憶もない。祖母が亡くなってしばらくして父の仕事の都合で引っ越した。田んぼと畑のあるのどかさのある町で近所に友達もすぐにできて楽しく過ごしたが、またすぐに引っ越した。次は道路と家ばかりが並ぶ住宅街で思春期を過ごし、大人になりかけの頼りない時期は放浪していたと言えるくらいあちらこちらへ移り住み、ようやく落ち着いた暮らしが出来るようになったのは14年ほど前からだと思う。祭りと言えば思い起こすのは子どもだった自分とこの海辺の町の光景だ。

東北の夏には仙台の七夕、山形の花笠、秋田の竿燈など多彩な祭りが行われる。なかでも青森のねぶた祭りはなんと六日にわたって開催され、地元の人でなくても跳ね人と呼ばれる祭りの踊りに参加することが出来るらしい。それはいつか行ってみたいと思っていたところ、ようやくその機が巡ってきた。おばさん扱いされるのには抵抗があるが、運動らしいことをもう何年もしていない。筋肉痛が心配だが、せっかくなら踊りにも参加したい。祖母は人に教えるほど上手だったが、わたしは踊りを覚えるのが人より遅く、皆が右に手を出すところをなぜか左にしてしまうような不器用さだが、今より歳をとればもっと出来ないことが増えるだろう。若い時はその不器用さを知られたくなくて、やりたいこともやってこなかったように思うが、いろんな経験や学びにふれ気楽になれた気がする。これが年の功というものなのかもしれない。

何万人もこの祭り目当てに訪れるというねぶた祭り。天気は晴れ。こんなに沢山の椅子がどこにあったのだろうという数の椅子が広い大通りに面した歩道に整然と並べられ、祭りの準備が整えられている。衣装をつけた老若男女が行き交う。
熱気のなか徐々に空は暗くなり、お祭りの提灯や照明が輝きだす。やっとしっかり歩けるようになったが、その分目を離すとどこへ行くかわからない孫の手を引いて、見物するのに良い場所を探しながらセカセカ歩く夫からはぐれないよう目で追いながらも、祭りの雰囲気に頬がゆるむ。
大勢の人がてんでに歩いているのに都会で感じるような息苦しさはなく、程よい緊張感といよいよ始まるという高揚感に包まれた。結局、到着が思ったより遅くなり衣装のレンタルなど探しあぐね跳ね人は諦めることにしたが、初めてみるお祭りに心が躍る。
街がすっかり暗くなってくると祭囃子が響きわたる。ねぶたの山車が姿をみせると歓声が上がる。小さい赤い金魚の山車が小走りにやってきて観客席におどけてみせる。大企業や有名どころの山車は見上げるほど大きくて色鮮やかだ。歴史の名場面や縁起の良い絵が立体的に描かれていて迫力があり見ていて飽きない。
歩きながらではなく、ゆっくり座って観たいものだがあいにく桟敷席などの予約はしていなかったので、少しでも立ちやすい場所を見つけては移動しながら見学していた。


「どこから来たの?めんこいこだー。こっちさきさいん」
桟敷席の見知らぬ人から声が掛かった。
孫が褒められると嬉しいもので、頭を下げてニッコリするといつの間にか座れるスペースを作ってくれて手招きしてくれる。ほろ酔い加減なのか地の声なのか、賑やかなグループの人たちで青森の違う地域から毎年ねぶたを楽しみに訪れているそうだ。
畑で採れたトマトやトウモロコシ、地元のお菓子なんかを孫にも私たちにも振る舞ってくれた。なんでこんなに親切にしてくれたのか心当たりはまったくないが、子どもの頃のお祭りを思い出す。みんな誰彼構わず言いたい事を言って、歌って踊って笑っているのだ。誰も彼も上機嫌。あの懐かしい幸せな気持ちが親切な人たちを引き寄せたのだろうか。
初めてでも故郷のように迎え入れてくれるねぶた祭り。次に訪れるときは笹かまぼこや牛タンジャーキーを忘れずに持っていこうと思っている。

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