悪漢②

 Aさんは転がらんばかりの勢いで土手を駈け降りますと空き缶の出荷用に備えていた新品のビニール袋1枚と小屋の壁面から剥ぎ取ったベニア板を持って戻って来た。
 手早く男の衣服等を脱がせて裸にし、剥ぎ取った着衣はビニール袋に押し込み、最後に革靴も入れた。下着や靴下は剥ぎ取るには剥ぎ取ったものの、ビニール袋には入れずにその場へ捨て置いた。
 男の身体を起こし、両わきから腕を差し入れて抱え込むと鉄橋の真下まで引き摺って行き、虎ロープを両わきに通して結ぶ。
 それが済むと自転車を、やはり鉄橋の真下に移動させた。
 Aさんの自転車は昭和の時代にお蕎麦屋さんやラーメン屋さんの出前で盛んに使われていたゴツくて頑丈な造りのタイプで、スタンドを立てるとちょっとした踏み台代わりになる程の安定感があるんです。
 Aさんはそんな自転車の荷台に乗りますとベニア板を差し上げて鉄骨の隙間から線路上に差し入れ、虎ロープの端もカウボーイの投げ縄宜しく線路上へと投げ入れますと自身も線路上へとよじ登ります。
 ベニア板を線路上を跨ぐように置きますと虎ロープを手繰って男の身体をそこまで持ち上げた。まぁ、重労働ですわな。
 ひと休みしてから男の身体をベニア板の上に横たえますと言うと、線路上を川の真上辺りまで滑らせて運び、そして乱暴にベニア板を抜き取ります。
 そう、文字通り『死に体』な男を抱きかかえて動かすより、ベニア板をレール上に滑らせて移動させる方が余計な体力を使わないで澄む、という訳でありましてね。
 ベニア板を遊歩道の上から放り捨てましてから男の元へと戻ります。
 二本あるレールの片一方に、今度はレールと同じ方向で載せますと、安定を保つ意味で両手両足を広げさせた。
 二本のレールに跨がせて列車の鉄輪に轢かせても線路上に身体の一部が残る怖れがあるし、それならより破壊面積が多い“一本載せ”の方が効率が良いし、おそらくかなり手前から運転手が線路上に横たわる“異物”に気付いてブレーキをかけるだろうが自動車と違って鉄輪でありますし、何より背後に背負っている貨物の重みで十中八九間に合わない。
 ノーブレーキで通り抜けられるより、間に合うか間に合わないかのギリギリのタイミングでブレーキングされた方が損傷は大きい筈、とAさんは読んだのであります。
 
 じゃあここまで一連の工程が綿密な計算の下で行われたのかと言うと、そうでないのは明らかであります。
 男が遊歩道で死んでいたのが突発的事態なら、Aさんがその夜に空き缶の出荷をすると決めたのも偶発的な事象。ましてやその二つが重なってこうなってしまったのも、これまた何物かの悪戯と言う以外にはございません。
 敢えて言うなら、男が懐中に潜めていた大金を発見してから、Aさんの頭脳は彼の意識などお構いなしに暴走を始め肉体を突き動かせていった、としか言いようが無いのであります。

 男の左手首から抜き取った時計を見ますと時刻は午前1時を少し過ぎた頃。貨物列車の定時運行が午前3時前後でありますから、少しゆとりがある。
 Aさんはビニール袋とベニア板を抱えて土手を降り、それらを小屋の中に放り込むと言うと代わりに液体石鹸とタオルを持ち出して来て全裸になりますとジャブジャブと川へと分け入って身体と髪を洗います。
 心残りなのは月明かりでは暗すぎてひげ剃りが出来なかった事。これは、道すがらの公衆トイレで済ませれば良いか、と思い直したり。
 タオルで水滴を拭い終えますとビニール袋から男のワイシャツやスーツを取り出して身につけます。革靴に素足なのは引っかかる面はありますものの、それでも心は軽い。
 空になったビニール袋にそれまで自分が身に付けていた着衣一式を乱暴に捻じ込みますと言うと、Aさんは再び土手を上がり、その場にビニール袋を置き去りにしたまま自転車を走らせたのであります。

 通い慣れたのとは別のコンビニで煙草とライター、ポケット灰皿、それにカップ酒とおにぎりを買い込みますと言うと、Aさんは再び土手の遊歩道へと戻ります。
 おにぎりをカップ酒で流し込みながら時計を見ると、あと30分程で列車がやって来る。
 何年ぶりかの“食後の一服”を楽しみながら『その時』を待った。

 ガタンゴトン、ガタンゴトン

 三本目の煙草に火を点けた頃、右手側の遙か遠くからその音はやって来た。
 音はしだいに大きく近くなって来て、先頭車輌が視界に入って来た刹那、

 キーッ、キキキキーッ

 けたたましいブレーキ音と共に、列車は滑るように視界に現れ、車輪から火花をあげながら、しかし止まりきれずに眼下の川を渡りきってしまい、そこでようやく止まった。
 衝突音はしなかったが、直後、

 ドボドボドボドボ

 夥しい数の肉片と化した男の身体が一瞬だけ宙を舞い、先を争うように川面を目指して落下して行く。
 その光景をひとしきり見物した後、Aさんは男の下着や靴下を拾い集めてビニール袋へと納め、それを自転車の前カゴに入れると、鉄橋を潜ってこれまでとは真反対の方向へと走り去って行った。

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