後ろの女

 今から40年前。専門学校生だった私は、名称こそそうではなかったものの、所謂“修学旅行”の為生まれて初めて沖縄を訪れたんです。
 船旅でしたので文字通り沖縄に“上陸”を果たしたのが夕方の事で、宿泊先として用意されていたビジネスホテルに入った頃にはもはや夜。
 そのままその日は自由行動となりまして仲間達と、
 「沖縄と言えば泡盛ッしょ!」
を合い言葉に街へと繰り出します。

 平日の、しかも観光シーズンからは完全に外れている時期にもかかわらず、メインストリートである国際通りは尋常ならざる人手で、東京のそれより3~4倍は広いであろう歩道は端から端までビッシリと人で埋め尽くされていて、それが遙か先まで軍隊の行進宜しく一糸乱れぬ隊列を組んでおります。
 これが私の目にどれだけ異様に映ったかと申しますと、後年、これと全く同じ……それこそ「デジャブ?」と思った……経験をします。
 東日本大震災のあの日、東京を中心に一部の地下鉄と路線バスを除いて公共交通機関がズタズタにされ『帰宅難民』が溢れたあの光景です。

 そんな異常な群集に呑み込まれた私は、ある時から背後に視線を感じるようになります。
 群集の真ん中を歩かされておりましたから横を向く事は何とか出来ても後ろを振り返る事など出来ません。
 でも“感じる”のです。
 視線の主は明らかに女性で、それも先を急いで居るらしく、ノロノロとしか進まぬこの有り様に明らかに苛立っている。
 女性の苛立ちは刻一刻と募っていき、私の後頭部目がけて射るような死線を向けてきます。
 
 「しようが無いだろ!こっちだって困ってるんだ」

 心の中で弁解とも反論ともつかない言い訳を投げ返しても、彼女の憎悪はドンドン高まるばかり。
 その『憎悪の圧』に負けた私はとうとう、
 「ごめん!」
と言いながら、右横を歩いていた友人・加藤君の肩を押し人一人が通れる隙間を作って彼女を先へ行かせようとしました。
 「何だよ?」
 加藤君が声を上げます。
 が、先を急いで居るらしい“彼女”は出て来ません。
 「え?」
 私は加藤君に“彼女”の話をして謝ったのですが、
 「彼女って、お前の後ろ歩いてるの須藤君だぜ?」
 私の真後ろには、中学・高校生でも運動部でもないのに五厘刈りの須藤君がキョトンとした顔をしています。
 「女?おらんよ。こんなギチギチなんやから横切って行ったのも居らんし」
 「いや、でも……」
 そう、見た訳ではありませんが、確かに“彼女”は居たのです。私の中では。

 その後、何とか泡盛にもありついて楽しい夜を過ごしたのですが、ホテルに戻った途端に何の前兆もなく高熱が出まして、ホテルの人から渡された解熱剤も効果無く、朝までうなされ通しとなりました。
 ところがそれも朝日が昇る頃にはピタッとおさまり、解熱後特有の気だるさすらも無く、発熱した事が嘘だったような気分になったのを覚えています。

 でも、後年。
 少なくても十年以上の間、怪談噺のノリで“彼女”の話をすると決まって原因不明の高熱が出て一晩中うなされる、という事を繰り返しておりました。

 “彼女”は何故、あんなに急いでいたんでしょう。
 そしてそもそも、“彼女”は何者なのでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?