花と蜜~なぜ男は美人に寄って集(たか)るのか?~
花の綺麗を愛でる女性は叙情的でありロジカルでもありますが、それに対し男ってのはリアリストと言いますか本能に真っ直ぐな趣味嗜好をしております。
綺麗な花にはいっこうに感心を寄せないくせに綺麗な女性には目がない。
「いくら綺麗ッつっても花なんか腹の足しにもならないじゃんか。でも女の人は……」
ま、これ以上の描写は控えますがね。
実は、男が何故美人に拘泥するのかと言いますと、単なる肉欲だけの話では無いんでありまして。
特に男の子を育てている、もしくはその経験がある“お母さん”なら納得して頂けると思いますが、男の子というのは綺麗な花ほど毟り取ったり踏み躙ったり、なんて狼藉をはたらきがちでありますし、何故か気に入っているオモチャに限って壊してしまいがち、でありますわね?
同様に、綺麗な女性好みのタイプな女性ほど欲望剥き出しでアプローチをかけたりします。
つまり男には、綺麗なもの、好きなものほど汚したい(穢したい)、壊してしまいたい、という欲求が無自覚にあるのです。
これは男として生まれた全ての人に遺伝子レベルで備わっているもので、生まれ育ちも親御さんからどのような教育や躾を受けたかを問わず、そして子供であろうが大人になって以後もず~ッと持ち続ける欲求なのです。
そして、遺伝子レベルの欲求と言えば子孫を残す……あからさまな表現で言いますと“種付け欲求”がありますが、つまり綺麗なものを穢したいという願望と種付け欲求を同時に満たす存在が【美人】という事です。
さて、美人は得だ、という話があります。
私はこれに半分は同意します。
でもそれは「きっかけとかスタート時点の話に限っては」という前提の下でです。
例えば就活時の面接に於いて、まずは美人と言うだけで印象が良い。更にはじゃあそれだけ見てくれが良いのであれば受付係にも使えるし営業職でもイケる。何なら秘書でも…みたいに選択肢が用意されますわ。
でも問題はそこからで、チャンスは与えられました。しかし努力もせず、そもそもその期待に応えるだけの能力を持ち合わせてもいないと、なまじ期待が大きかった分だけ失望もデカいんであります。
一度「アイツはアカン」のレッテルを貼られてしまうとそれを払拭するのは並大抵の労力ではありません。
対してそもそも人目をひくほどの容貌に恵まれなかった方というのは先輩や上司に認められようと初手から努力をし、もともと持ち合わせていた能力(スキル)と併せて頑張る事になります。
それが実を結んだ場合、最初の期待値が低かった分だけちょっとした成果であっても「やるじゃないか!」と評価が上がる事になります。
つまりスタート時点で大差がついていようがゴールに到達する頃にはそんな“貯金”はすぐに底をついてしまい、差など有って無いようなもの。
事ほど左様に人生とは“長距離”走なんであります。
そう。
人生のトータルで考えると容姿の美醜など瑣末なものなんでありますよ。
特に景気が不安定なこの時代、仮に美人であるが故に何処ぞの社長に見初められて社長夫人になれたとて、ダンナの会社が未来永劫安泰である保証など何処にもありませんでしょ?
更に、ちょっと不吉な話をするなら、命に関わる大病を患う確率に容姿の美醜は何一つ関係がありませんわな。
そう考えると人間が生まれてから命尽きるまでの人生に於いて、『幸福な人生』を形成するファクターとしては容姿の美醜などほんの些細な違いに過ぎんのですわね。