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桜 ~亡き父の思い出~

父の葬儀の日は雲一つない晴天で、我が家のシナミザクラが満開でした。
だから毎年この桜が咲くと父を思い出します。

父は戦中戦後、我が家に一人残った男(跡取り)として頑張って来たはずで、肩の荷が重かったことは私にも容易に想像できて…。
だからか、私が中学生の頃にはくも膜下出血をおこし、生死をさまよいました。
一度はどうにか乗り越えたけれど、しばらくしてまた…
身体に麻痺も残り、言葉も思うように出ず、寝たきりで、
伝わらない思いに家族にあたることも多々ありました。
でも逆に、私たちの解釈におかしくなったのでしょう、笑ってた時もあったのです。
そんな時はこっちもちょっとおかしくて、でも笑えてたかな?わかりませんが。

医者から覚悟してくださいと言われたことはその間何度もあって、
もう25年以上前のことなのに、今でも覚えている光景があります。
それは亡くなる前日、病院を訪ねた時のこと。
父はバラエティー番組を見ていました。
もう25年以上前のことなのに、その番組内容を今でも覚えています。
自作の水上自転車で水上のボードを滑って、最後は大破して水にドボン。
父は笑ってました。大きな声で。
私は、なんで笑うことが出来るの?私笑えないよ!って。
それが不思議で、笑える父に納得行かず、複雑な思いのまま病院を後にしました。
翌日の朝の父の死に目には間に合わず、それが最期でした。

今私は父と同じような歳になり、思い出すのは死を目前にしても笑ってた父で、
私もいつか死を迎えるけど、あの時の笑顔がちょっと救いで、
父が笑えてたから、私も最期は人生の後悔、残す思い、痛み、辛さ、などなど、いろいろあっても大丈夫かもしれないと思って、それが今では支えです。

桜の季節に逝った父。
父と出かけたことは数少なく、思い出も、闘病中の姿しかないけれど、
そのどこかに笑ってた父の顔を思い出せるのは幸せなプレゼントだったんだなと今になって思います。
思い出のこの桜の木も今ではもう老木。
枯れた枝も多く、花もすっかり少なくなりました。
でも今日は桜にミツバチが来ていました。
晴天のもと、父の記憶がよみがえります。
故あってお骨を拾えなかった私。
ごめんね。そしてありがとう。





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