見出し画像

【大学時代vol.3:とある事件と1年目の終わり】

本題に入る前に、皆さんの違和感を解消しておきたいと思います。そうです。僕たちが着ているのは紛れもなく学ランです。

慶應の体育会は制服として学ランが採用されており、普段の授業も部活がある時は学ランを着て通っていました。コスプレじゃないです。

私服などを選ぶ手間も何もなかったので個人的には嬉しかったのですが、大学生になって初めて学ランを切ることになるとは思っていませんでした。
#弱めの前置きを読んでくださりありがとうございます

・得られないチャンスとスタープレイヤーの入学決定(2015.10)

早慶戦終了後、秋のシーズンに向けて日々、自主練を積み重ねていました。

秋のリーグ戦時には怪我人がいたことや諸々の出来事が重なり、幸いにもベンチメンバーに入ることが出来ました。初のAチームでのベンチ入りです。

もちろんまだ、試合に絡んでいくことは出来ませんでした。そんな中のリーグ戦中の一節で慶應大が大幅にリードされてしまいます。その試合の終盤はいわゆる捨て試合となり、普段あまり試合に出る機会を得られていなかった下級生も続々と試合に出ていっていました。

どんな形であれ、「Aチームデビュー戦だ!」とベンチの隅っこでいつ呼ばれるかのとウキウキしながらその時を待っていました。
#ミニバスのデビュー戦的な気分

しかし、その後も僕の名前が呼ばれることはなく、ベンチメンバー(2年生以下)でも僕だけが出場機会をいただくことが出来ないまま試合終了。ここに関してはさすがに何でだよという気持ちにはなりましたね。

そんなこんなでチャンスを得られないまま、リーグ期間中、あるニュースが僕のもとに入ってきます。

そのニュースとは次年度の新入生に関する情報で、当時全国でもトッププレイヤーとの呼び声も高かった山崎純が入学してくるという内容でした。
#僕にとっては一大事件

彼の経歴と言えば中学時代に全国制覇。その後、土浦日大高校に進学し、現在プロで活躍する平岩選手や松脇選手などをキャプテンとして率いていました。また、当時の土浦日大高校は、現在NBAで活躍する八村塁選手が率いる宮城明成高校を最後まで苦しめた存在として、その名を全国に轟かせていました。
#やべえ

更にポジションは僕と同じPG。「あれ、俺ってこのまま試合出れず大学生活に終わっちゃうの?」という不安を抱かざる終えない状況でした。
#ほんとやべえ

・爪痕を残すことなく終えた1年目のシーズン

そんなやばい情報が入ってくる中、自身の状況といえば練習中に足を骨折。ベンチメンバーからも外れることになります。インカレ前に復帰はしましたが、ベンチメンバー外。これといった爪痕を残すこともなく、僕の1年目のシーズンは終わってしまいました。

ただ、直接的に試合に出ることが出来ずとも、高いレベルの先輩方と普段の練習に励めたことは、プレー面だけではなく多面的に自身の力になっていました。

また、高校時代からリーダーってどんな存在なのかと自問自答していた中、当時の主将は僕が思い描いていたリーダー像に限りなく近いものがありました。

プレイヤーとしても185㎝という高身長でありながら僕と同じPGというポジションでアシスト量産。主将としても練習中に何か課題が出れば、こうしていこうとチームとしての指針を明確に示し、それにメンバーがついて行く。

カリスマ性ってこういうことを言うのかなというものを間近で見られたような感覚がありましたし、当時の4年生はチームに対する愛情を持った人が多い学年だったのかなとも何となく感じていました。

つまり、良いチームだったんです。
#まとめは薄い

↑追いコンにて先輩方とはおさらば。

ただ、来シーズンのことを見据えると危機的状況であることは変わりません。そういった中で、高校時代の後輩たちからでっかいエネルギーをもらうことになります。

次回はそんな後輩達の全国大会での快挙と自身に芽生えた不思議な感覚についてのお話を書いていきたいと思います。

↑カリスマ主将には縦割りでもお世話になっていました。
#おまけ

どこぞの青年のサポートをお願いします😌