見出し画像

【中学校時代vol.2:大阪府選抜チームでの活動】

・まさかのキャプテンに

そんなこんなで大阪府選抜チームでの活動が始まったわけですが、まさかまさかの私はキャプテンをすることになりました。(2010年12月、中2の冬)

チームのメンバーはミニバス時代から有名な選手や以前からの顔見知りが多い様子で、僕はどちらかというとよそ者感が否めませんでした。
#こんなやつにキャプテンやらせるなよ

そんな悩みもありつつ、練習が始まるとやはりハイレベル。当時、大阪No. 1との呼び声も高かった森田雄次(現、B2所属のプロ選手)とはポジションも同じであったため基本的には彼とペアで練習メニューをこなしていました。

中学生ながらに「こんなやつが同級生にいるのか。」と感じざるおえないほど高いレベルのプレーヤーでした。何はともあれ、この期間に彼と練習を積み重ねられたことは自身にとってとてつもなく貴重な経験でありましたし、大きな刺激を得ることができたと思います。(彼との関係は今後のバスケ人生において、切っても切り離せない存在になります)

・チームに馴染む(遠征での出来事)

元々、どちらかというと人見知りの僕はどのようにチームメイトと打ち解けていこうかという点について中学生ながらに考えていました。

チームで遠征に行った際にも朝6時半集合にも関わらず、目覚まし時計(よくあるジリジリ爆音のやつ)が鳴ってもなかなか起きないメンバーや、起きてるけど寒いからと布団から出てこないメンバーなどなど、一言で言うと個性的なメンバーでした。
#その後集合時間に遅れて怒られた

そんな中で、チームメイトと少しは打ちとけられたかなと感じた出来事が一つありました。それは遠征先の宿の大浴場でのことでした。

それなりの宿であったのか、あまり大浴場で風呂に入る機会もなかったため、嬉しくなった僕は軽快に浴場へ走っていきました。
すると、割と床が濡れていて、浴場内で足を滑らせ盛大に転げていってしまいました。

その姿を見ていたチームメイトは大爆笑。「アホなん?笑」的なことをちょこちょこ言われたような覚えが何となくあり、そういったしょうもないことでメンバーとの距離感を多少は縮められた出来事だったと今では思えます。
#風呂場は走るな

チームとしても着実にステップアップをしていき、全国大会へのモチベーションも次第に高まっていきました。
しかし、その大会が開催されることはありませんでした。

そうです。大会の予定は2011年3月。この年は東日本大震災が起きた年です。大阪にいたということもあり、震災の被害の規模感も漠然としか理解できていませんでしたが、この事実に対しては特に否定的な感情を覚えていなかったことは何となく覚えています。

中学生ながらに、今はスポーツをしているどころではないということはテレビのニュースを見て感じられてはいたのだと思います。

何はともあれこのチームでの活動は、自身が人としてもバスケットボールプレーヤーとしても、何段階も成長をすることができた経験であったと思います。

そんなこんなで自身のチームへ戻り、中学3年、全国大会をかけた最後の大会が始まるのでした。

どこぞの青年のサポートをお願いします😌