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【中学校時代vol.1:無名から府選抜メンバーへ】

僕の中学時代を振り返ると「下克上」という一言に尽きると思います。

「やれば出来る。やると決めたらやり切る。絶対負けたくない。」
そんなメンタリティを育めたのがこの中学校の期間であったのかなと今振り返ると思います。

そんな僕の中学時代のお話です。

・バスケ部かラグビー部か

中学は地元の公立中学校に進学しました。その上で最初に悩んだことは
「何部に入るか?」ということです。

実は父の影響で、幼稚園児の時からラグビースクールに通っていました。中学入学前にしてラグビー歴は8年、バスケよりも長く続けていました。

正直、どちらも楽しくてどちらでもいいなとは思っていました。

そんな中で父からは「バスケをするなら府選抜に入るくらいやれよ。」と言われたことがとても印象的だったのは今でも覚えています。
父親としてというよりも、単純に自身が取り組んでいたスポーツを続けて欲しいという想いがあったのだと思います。
#何の意図があってのプレッシャーだったのか今でもわからない

結局、漠然とバスケの方がしたいという想いが強かったのでバスケ部に入部をすることにしました。

・助っ人を借りて大会に出ていたバスケ部

バスケ部に入部したものの先輩は4人しかおらず、チームも圧倒的弱小チームでした。

僕たちの学年が入学するまでは、他の部から助っ人を借りて大会に出ていたという話も聞き、本当にこのチームは大丈夫なのかと1年生ながらに感じてもいました。

ただ、そんな弱小チームながらも練習は超絶ハード。夏の練習時には滝のようにゲロを流している部員も中にはいました。

そういった中で、1年の夏に1人の転校生がやってきました。僕たちにとってはまさに救世主ってやつでした。彼とはミニバス時代の市選抜で共に闘った仲で、「転校先をどこにするか悩んだけど、ここが1番楽そうだからここに来た。一応お前もおったし。」ということで転校先をうちに決めたみたいでした。
#その後の2年間彼は地獄を見ることになります

その後、僕の中学校は着実に練習を積み重ね、1年生、2年生と目に見えてチームは成長していきました。

そういった中で幸いなことに、僕は東大阪市の選抜メンバーに選出、その後中河内地区選抜メンバーにも選んでいただき、キャプテンも努めさせていただきました。

その後、地区対抗戦も僕が所属していた中河内地区は優勝。加えて、本大会は大阪府選抜メンバーの選考も兼ねて行われておりまさかの大阪府選抜チームのメンバーにも選出していただけました。
#父親の謎のプレッシャーを実現してしまった瞬間でもありました

そんなこんなで僕の大阪府選抜チームでの活動が始まります。

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