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第19回ケア塾茶山 『星の王子さま』を読む(2019年3月13日)

※使用しているテキストは以下の通り。なお本文中に引用されたテキスト、イラストも基本的に本書に依る。
      アントワーヌ・ド・サン=グジュペリ(稲垣直樹訳)
      『星の王子さま』(平凡社ライブラリー、2006年)

※進行役:西川勝(臨床哲学プレイヤー)
※企画:長見有人(ココペリ121代表) 



はじめに


西川:
 今日もよろしくお願いします。

 そうそう、今、大阪市の福祉局の人からいろいろ相談を持ち掛けられていまして。一緒に活動しませんか、みたいなことで。まあ、そこで言われたのが、「注文を間違える料理店」[*1]。聞いたことあります?東京のほうで、去年か一昨年くらいに、随分マスコミでは話題になったそうなんです。

 とにかく、認知症の人がホール係をするということみたいですね。元々テレビのディレクターだった人が急に思いついてそういうことやったみたいなんです。「間違うかもしれませんけど、そこはまぁまぁ、寛容にというか、そういうこともあるというふうにしてやってもらえませんか」とやったわけです。介護施設の取材してる時に、ハッと気が付いたそうです。それが案外良かった。
 
 大阪市市庁舎の地下1階に英國屋という喫茶店があるんですけど、そこで「認知症の人と家族の会の大阪府支部」と協力して実現したいという話でした。どうしようかと思うわけですが、まぁこれから前向きに考えていきましょかみたいな感じで話ししとったんです。

 ほんとに今の世の中どんどん高度化して、ほんのちょっとの間違いも許されなくなっていると思うんですけど。だから、おもしろいとは思うんです。まあ、いろいろ批判もあるんですよ。

 認知症の人を見世物にしてるという言い方もあるし、「そんなもんずっと続けへんやろ」みたいな言い方もありますね。最初は僕も大阪市の人たちに、そんなイベント的なことやってどうする、ってなことを言っていたんです。

 そしたら、「まぁまぁそうじゃなくて、他にもっと持続的にやる事業も考えてますから」みたいなことを言われました。まだはっきり決まってないですけど。

 大阪にココルームっていうNPOありますけど、もしそういうことが決まったらココルームで、練習じゃないけどやらしてくれへんかみたいな話をしてきました。あそこも結構いろんな人が集まるカフェなんで、そういうところから始めてみようかなと思います。

 大事なのは、今までケアを受けるだけ、サービス受けるだけとされてた人たちが、もちろん制限もあるし限界もあるんですけど、社会参加するっていうことですね。そりゃもちろん困難抱えたままでやってるわけですから、そのことについてお互い様と言えるような気持ちでお互いが出会う場所みたいなものを、少しずつでも始めるのっていうのは、大事かもしれんなぁみたいに思っています。

 最近はちょっと、まあ昔みたいにあんまり過激に行政と対立するんじゃなくて、ちょっとやってもいいかなぁみたいな感じで今動いてるところです、はい。

[*1]「注文をまちがえる料理店」:2017年にテレビ局ディレクターの小国士朗さんを発起人にスタートした、認知症の方々がホールスタッフを務めるレストランプロジェクト。

 あとまぁ、ひと花センターっていう西成区の事業のことも。釜ヶ崎の、通称西成区のあいりん地域なんですけど、そこで高齢で単身者で生活保護を受けてるっていう人たち山ほどいます。

 その人たちがドヤを改装した福祉アパート(4畳半一間とかっていうとこ多いんですけど)、そういうところに閉じこもりがちになっているんで、社会的つながりが路上生活やってる時より減ってしまうという。そういう訳の分からんことが起きてるんです。

 そういう人たちの社会的なつながりを支援しようということで、事業はじめてもう6年ぐらい経つかなぁ。ひと花センターで、まぁ対話の場をずっと毎月1回させてもらってるんですけど、その参加者の人たちとだんだん仲良くなってきてね。

 その人たちが3年前ぐらいから『ひと花笑劇団』っていう劇団を始めて、僕も参加さしてもらって、今年もシンポジウムがある時に役者として出ますので、よかったらシンポジウム見に来ていただけたらと思います。


自己紹介

西川:
 はい。で、今日初めて参加していただいた方もいらっしゃいます。自己紹介をしますね。僕は西川勝といいます。ココペリは随分長い付き合いで、僕が40歳ぐらいのときだから20何年のお付き合いです。

 僕は元々看護師です。大阪大学の文学研究科の倫理学教室が臨床哲学っていう名前に変わったことがあるんですけど、それを変える時に言い出したのが鷲田清一という京都出身の哲学者です。その先生の僕は昔の教え子なんです。

 京都大学の大学院出たての鷲田先生が関西大学に専任講師として初めて先生として就職した時に、僕は関西大学の2部の哲学科の学生でした。地下教室で授業を受けてました。そのころから非常に鷲田先生のこと尊敬したんですよ。

 僕は結局、大学は中退して、精神病院の看護人をしてました。それで働きながら看護学校に通って、30過ぎに看護師になったんです。精神病院に15年ぐらい、それから血液透析で5年、それから老健施設。

 それで、40歳ぐらいの時にたまたまですけど鷲田先生ともう一度巡り合うことがありました。鷲田先生、僕のこと覚えてくれてましたね。

 ともあれ、僕は要するに精神科とか血液透析とかすっきり解決つかない現場で、白衣着て看護師やってたんです。まぁだから患者さんの話は聴きますね。でも自分が有効な答え、相手に希望を持たせる返答ってほとんどできへんわけですよ。

 聴くしかないみたいなときがあります。鍵持って、時には相手の自由を拘束するような仕事でしたから、恨まれたりもする。社会の矛盾がなんかどんどんどんどん小さいところに行くわけです。

 結局、<僕とあなた>っていう、精神科の<看護師と入院患者>という2人の関係の中に社会の様々な矛盾がガッと押し寄せてきます。でもだからと言って、「こんなとこ嫌や」と言って僕が逃げたところで、そういう状況は変わらないわけです。答えのない現場で仕事やってきたっていうことについて、いろいろ考えたんです。

 そんなとき、鷲田さんが、自分がこれからやろうとしている臨床哲学は、そういう社会の様々な現場に行って、苦しみにある人の声を聴く、「聴く」っていう哲学だというわけです。

 哲学って何かテーマについてどんどん論じたりとか、人にこう議論したりだとか、書いたり話したりっていうイメージが強いかもしれない。通常は本を読むっていう形で研究とかします。鷲田さんの場合は、そうでなくて、社会の現場の、そう簡単には口を開いてくれない人の目の前に行って、そこから自分に手渡せる言葉を探す。それについてレポートするとかでもないです。「聴く」っていう哲学。 

 残らないし、傍から見ると聴いてるだけ。でもそういう活動としての哲学があってよいんじゃないか。要するに様々なこと、思索の結果、論文だとか、「形で喋る」ことでしか哲学的な行為は評価されなかった。後は人に教えることですね。哲学史を教えるだとか。

 でもそうではなくて、人の話を聴く、そういう活動としての哲学の実践を鷲田さんが言い始めました。その時誘われて、以降、臨床哲学大ファンという形で仕事してきました。だから最初はモグリで行ったんです。社会人で入れてもらって。それ以降は11年ほど大阪大学で、これも鷲田さんから呼ばれたんですけど、コミュニケーションデザインセンターというところで教員してました。

 大学が終わったのがもう60手前やったんで、「もういいかー、勤めるのは」と思って、風来坊というか、いろいろな話が来たら行くみたいな感じの生活をしてもう2年ちょっとです。

 それで、ちょうど臨床哲学に僕が関わり始めた時に長見さんと会いました。長見さんは障害者のヘルパーやってたんですけど、彼もいろんなことしようとしてて、伊勢真一[*2]監督の『えんとこ』っていうのを自主上映したり、伊勢監督と鷲田さんを対談させたいということでわざわざ大阪大学文学研究科まで来てました。

 車いすの障害者と一緒に、スリッパと半ズボンで。それで、鷲田先生が「ちょっと変わった奴来てるから、西川お前と話できるやろか、ちょっと話ししてくれ」と。そこからお付き合いが始まったんですよね。

 いろんなことやってます。たとえば、ALSの甲谷さんという方の支援、僕には最初、支援という気持ちはなかったんですけど、病院に入っておられるのを何とか退院してもらいたいという活動だとか、甲谷さんがパソコンで描いていた絵を横浜で国際ALS学会があった時に彼の絵の個展をしようとしたりとか。その時には病院から横浜まで行ったりするのに、長見さんにも手伝ってもらいました。そのあたりからココペリがどんどんALSの人の介護に入っていくことになりました。

 で、僕が、今勤め先がないし、っていうことで、定期的にココペリで勉強会とかやってみたらどうですかと誘ってもらって、茶山で、この『星の王子さま』を読んでいます。もう19回目です。それでまだ108ページまでしかいってないということでだいたいお判りでしょうけどものすごくゆっくりやってます。はい。僕に関してはそれぐらいで。

[*2]伊勢真一:(いせ しんいち、1949年1月29日- )、東京都出身のドキュメンタリー映像作家。1995年、重度の障がいを持つ少女の一二年間を追った作品『奈緒ちゃん』で毎日映画コンクール記録映画賞グランプリを受賞。大倉山ドキュメンタリー映画祭、はなまき映像祭など各地でドキュメンタリーの映画祭を企画。近年はプロデューサーとして若手の作品支援にも取り組んでいる。『えんとこ』は、1999年製作。ひとりの寝たきり障害者と彼を支える介助者である若者たちの日常を、3年間に渡って記録したドキュメンタリー。

C:『聴くことの力』[*3]はたぶん読んだと思うんですけど。そういえば、なんか、さっき上田假奈代(かなよ)[*4]さんのココルームの話もでましたけど、釜ヶ崎でなんか教えてはったこともあるんですか?

西川:そうですか。ココルームでは今は「俳句部」をやったりしてます。個人としては、釜ヶ崎の西成市民館っていうところでおっちゃん達と『哲学の会』というのを毎月1回やってます。

[*3]『聴くことの力』:『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』鷲田 清一著、阪急コミュニケーションズ、1990年出版。2015年、ちくま学芸文庫。

[*4]上田假奈代:うえだかなよ NPO法人「こえとことばとこころの部屋」(ココルーム)代表。詩人、詩業家。

C:
 今、話聞いて、鷲田清一理解が深まりました。人から話聴くって確かにソクラテスからしても、そういう面があるなって思います。一応、僕は哲学から離れた面があるんですけど、最近は仏教とかを個人的にまた勉強したりしてます。

 つながりとかいろんなこと考えたりしてる中で、Gさんの『ジャンル難民』という集まりに出会いました。確かに僕は『ジャンル難民』だなぁと思って。名前変わるみたいなんですけど残念です(笑)

 で、僕がまた難民化するという。秋ぐらいから、ちょこちょこまたいろんな会に参加させてもらっている感じです。

D:はい、あの、ココペリに、留学生ですけども、あの、ココペリでヘルパーとして働かせていただいてます、Dです、よろしくお願いします。

西川:いつもチラシを手伝ってもらってます。この『星の王子さま』の勉強会のチラシのデザインを彼です。

B:Bです。演劇の仕事してます。西川さんの知り合いが私の知り合いだったって感じで、ホームページでここのことを、このことが上がってて、『星の王子さま』に大変興味がありましたんで参加させていただきます、よろしくお願いします。

E:Eです。私もココペリで働いてます。来月でちょうど1年。ココペリで『星の王子さま』の勉強会をしていることは知ってて、ずっと出たいなぁと思ってたんです。ようやく!よろしくお願いします。

F:Fです。臨床哲学のファンです!

A:Aといいます。ココペリで働いて、コーディネーター、シフト組んだり、そんな仕事。ここは、なんか実は、シフトずっと遅くまでやってたことがあって盗み聞きしてて、ちょっとおもしろいなと思いながら、じわじわっと入ってきた感じです。よろしくお願いします。

G:Gです。元ココペリで、はい、週に1、2回ぐらいグループホームで夜勤をして、あとはまぁ畑をやったり、話の場を作ったりみたいなことをしています。よろしくお願いします。

ところが…


西川:
 えーと今日はですね、108ページからですね。19章ですね、19章。

 じゃあまずは読んでいきましょか。朗読にその人の理解がある程度滲み出てくるわけです。これは読書ですから、僕たちは文字を読んでいるわけですけど、でもその活字、文字の裏には必ず声があります。

 どういう声なのか。理解の仕方によっては、まるで違ったメッセージを受け取ることになります。そこら辺は留意しながら読まないといけませんねという話をここではしています。

 文字の背後にある話者の声をどう聴くかは人によって様々なんですよ。様々なのに、いったん自分がそう聴こえてくるとそれ以外の可能性って消えてしまいます。だから、できればいろんな人の朗読を聴いたほうが自分とは異なった読み、解釈に出会えるかもしれない。

 読書会って、一人で読むんではなくて何人かで読む方がよいんじゃないか。その方が本を読む深みが出てくるんじゃないか、と思っているんです。近代以降、黙読みたいな形で、本を黙って一人で読むっていうようなスタイルになりましたが、それは近代以降の話なんです。

 それまでは、源氏物語なんかでもそうですけど、絵巻物広げてみんなが覗き込んでるみたいな絵があります。誰かが読んでそれをみんなが物語を聴いてるわけです。元々、文字を読める人が少ない時には、話す人と読む人と聴く人が複数いてるみたいな感じになるんですね。

 とにかく、いろんな形でこの読書会のやり方をね、いろんなことを試してみたいなっていう気がしています。この間はみんなに、その前の章の1ページ足らずのところですけど、いろいろ読んでもらいました。とりあえずぼくが読みますね。

 王子さまは高い山に登りました。これまでに王子さまが見たことのある山というのは、王子さまの膝までの高さしかない三つの火山だけでした。煙を噴かない火山を王子さまは腰掛け代わりに使っていました。そこで、王子さまは「こんなに高い山の上からだったら」と考えました。「この星の隅から隅まで、それに人間たちが一人残らず一度に見渡せるだろうなぁ……」ところが、登ってみると、とがった岩山の頂が林立しているのが見えるだけでした。

 地の文とそれからセリフのところがあります。例えば、このセリフのところをどう読むのか。これまで王子さまは自分の星を出てから、特に地球にやって来てからはずっと砂漠だったわけですね。

 「人間たちはどこ?」と言っても人間たちとまだ全然出会ってないわけです。その時に高い山を見て、「この山だったら人間と会うはずだ」っていうすごい期待に満ちた気持ちを持って、このセリフをいうわけです。それをどう言うのか。

 ただここでは、「こんな高い山の上からだったら」という、自分の経験からの類推ですよね。王子さまは膝までの高さの山しか知らなかったわけですから。腰かけ代わりに使ってた山だったわけですもんね。

 ところが腰かけどころか、ものすごい高い山が自分の目の前に現れた。「この山に登ったら」は、王子さまの経験からすると「きっとすごいに違いない」となる。なにせ地球の大きさも経験してないわけですから。

 今まで出合った星の中で1番大きいのはたぶん地理学者の星だったと思いますけど、それでも小惑星しか渡ってきてないわけです。初めて小惑星じゃない、惑星といわれる地球にやって来たわけです。でもその地球の大きさはまだ実感してない。

 でもまぁ、そもそも人生の出合いというのは、自分が経験してない事柄との出合いの連続ということではあります。僕たちがそんなに不安にならずに済んでいるのは、ある程度生きれば自分の経験を材料にして、次に何が起きるかを程度類推して、多少の誤差はあってもですね、それほど大外れしないというところにあります。

 まぁ経験を積むことによって知恵も少しずつ幅ができてきて、だんだんだんだん生きていることに対する安定感みたいなんも出てくるような感じですか。ただし、これが、天災と出合うとか、1度も経験したことのない天地を揺るがすようなこととか、今まで穏やかだった海がいきなり自分たちの街を飲み込むみたいな自分の経験にないような事柄が起きてきた時には一気に瓦解してしまいます。もちろん天災だけではなくって人間関係なんかでもそうかもしれない。

 その自分の経験で類推した事柄が全く外れてしまうっていうこともあるわけです。それが「ところが」っていうことですね。

ところが、登ってみると、とがった岩山の頂が林立してるのが見えるだけでした。


こだまとの会話1


西川;
 では、次のページになります。

 「こんにちは」と、王子さまはともかく呼びかけてみました。
 「こんにちは……。こんにちは……。こんにちは……。」とこだまが返ってきました。
 「君たち、だれなの?」と王子さまはききました。
 「だれなの……。だれなの……。だれなの……。」とこだまが答えました。
 「友だちになってよ、ぼく、独りぼっちなんだよ」と王子さまは言いました。
 「ぼく、独りぼっちなんだよ……。ぼく、独りぼっちなんだよ……。ぼく、独りぼっちなんだよ……」とこだまが答えました。
 「なんてヘンテコな惑星なんだろう!」と王子さまはそのとき思いました。「乾きに乾いているし、とがりにとがっているし、どこもかしこも岩塩だらけだ(第1刷では、「岩塩で白っぽくなっている」)。それに、人間たちはまるで知恵が回らない。言われたことをオウム返しにするだけだ……。ぼくの星には、花が一輪咲いているけれど、その花はいつだって自分のほうから話の口火を切ってくれたのに……」

 まずはここのところ。

 「こんにちは」と、王子さまはともかく呼びかけてみました。

 <挨拶>に注目しましょうというのはいつも言っていますね。小惑星巡る時に挨拶があるかないか、どちらから挨拶しているのか、それから別れの挨拶があるのかないのか。全部それぞれ違うんですね。だからそのことの意味が何なのか。今のところまだぼくにも答え出てないですけども。

 地球にやって来てからでも、例えば102ページです。

 というわけで、地球上に降り立って、王子さまは人っ子ひとりいないことにびっくりしました。「これは降りる惑星を間違えたぞ」と心配になってきていました。そんなとき、月の色をした、まるい輪のようなものが砂の中でぴくっと動きました。
 「こんばんは」と王子さまは一応、声をかけてみました。
 「こんばんは」とヘビがあいさつを返しました。


 ここも王子から挨拶しています。次の章はどうでしょう?

たった一輪の花に出会っただけでした。花びらが三枚だけの花。まったく貧弱この上ない花でした……。
 「こんにちは」と王子さまは声をかけました。
 「こんにちは」と花はあいさつを返しました。

 ここも王子から声をかけてますね。「こんにちは」って、王子が自分が出会うもの、ヘビだとか一本の花だとか、に声かけていくわけですが、ここでは、誰も見えない、尖った岩山の頂がこうやって見えているだけの場所で「ともかく」呼びかける。この時の気持ちっていうのは一体どういうことなのでしょうか?

 それから、「それに、人間たちはまるで知恵が回らない」と言ってるわけですから、この返事をこだまだとは思っていないわけです。こだまも知らないから、姿は見えないけれどもこれは恐らく人間が返事してるんだろう、と思ったわけです。

 地球を全部見渡せるような高い山が存在しないことを知ってる我々大人だとか、それから山の上から声を出せば返ってくるこだまというものを知ってる人間にとっては、この王子の有様っていうのは、まぁまぁ、要するに経験が足らないなっていうことになるんですけどね。 

こだまとの会話2

西川:
 それと、この「君たち、だれなの?」という言い方もけっこういろんなところで出てきます。しかし、この人は自己紹介をしないですね(笑)。すぐに相手のこと聞く。

 そして、急に「友だちになってよ、ぼく、独りぼっちなんだよ」と続きます。ものすごく簡単そうに書いてますけど、これが王子の旅の目的になるわけですが、「友達を探している」と明確に述べるセリフはここが初めてなんですよ。

 「さみしい」っていうことばは、地球に来た時に、この本でいうと103ページにあります。

 「人間たちはいったいどこにいるの?」と、とうとう王子さまがまた口を開きました。「砂漠では独りぼっちで、ちょっとさびしいね……」 

 ヘビに対して王子は言っていましたね。自分がちょっとさみしいっていうことを初めて言った部分です。それまではさみしいとは言っていない。でも、地球に来る前に地理学者と出会って、「儚い」という言葉の意味を教えられてから、自分が星を出てきたことを後悔しました。

 そこからバラのことがまた気にかかるようになったわけです。ここから「独りぼっち」とか、「さみしい」とか、「友達を探してる」と気持ちが変わっていくわけです。最初から友達を探すためには星の外に旅立っていない。

 最初に、花といざこざがあって出て行った時には、何か人の役に立たないかみたいなことを書いてあったと思います。この本だと59ページ、章でいうと第10章。小惑星の旅に出る前ですね。

 325、326、327、328、329、330といった小惑星のあるあたりに、王子さまは来ていました。なにか役に立ってあげられることはないか、なにか勉強になることはないか。そう思って、王子さまは手始めに、そうした小惑星を訪ねて回ることにしました。

 最初の旅の目的から変わりつつあることがわかります?誰かの役に立ってあげれること、自分の勉強になること。この時点では、結局、自分が自分の有用性をまだ信じてるわけですよ。

 バラとはうまくいかなかった、一生懸命好きになって世話したつもりだけど、バラには自分の気持ちがちゃんと思うように伝わっていないと思って出てくるわけですよね。だから、もっと自分のなんか人のためにとかっていう気持ちを分かってくれる人はいないか、自分がもっと勉強できるところはないかって出てきたわけです。

 そして小惑星に行ってる時に「変な大人たちだなぁ」ってほとんど学べなかった。ここは、普通、純粋な王子がですね、愚かな大人たちを風刺していると読むのが通常の読み方です。でも、僕は「いやいや違いますよ」っていってきました。出会って何も学べてなかった王子のほうがまだ要するに成長してない。おバカさんだったんです。

 人との出会いの中で徐々に何かを学ぶ、本当の意味で学ぶ人になっていく。役に立てないかというその気持ちから、人をバカにするところから、そうじゃなくって、自分自身についても何かをほんとに学んでいく。その変わりようが地球に来てからなんです。そしてその時にさみしいっていう言葉、独りぼっちなんだっていう言葉が先に出てきてるね。

 新しく王子が変化する時の1番のポイントは「儚い」を知って花のことを思った点です。儚いあの花を置いてきてしまったっていう自責の念はある。けれど自責の念というのはまだ自分に力があると思ってることです。そうじゃなくて、砂漠でヘビと出会い、「人間たちのとこにいてもさみしいよ」なんてことを言われ、それで花と出会って、「人間たちあいつら根がないからねって、苦労してるよ」ってこと言われて、それでも人間に全然会えなくて山の上に登る。

 さみしい、無力な自分、情けない自分に徐々に気が付き始めてる。これから星の王子さまが大化けしていくわけですけど、その前段階にあるということです。

こだまとの会話3

西川:
 それと、通常は、孤独とか孤立とかっていうのは非常にマイナスとして捉えられます。だから、できるだけ相手を孤立させない、それから孤独じゃなくて人との関係の中で人生っていうのは生きらなあかん、できるだけ沢山の人たちと仲良くなって、お互いを理解し合ってということをスタート地点にすることが多いですよね。そこから希望が始まるみたいなこと言うこと多い。でも、僕はやっぱりそれは嘘だと思てるんです。

 たとえば、釜ヶ崎の高齢者の人たちと哲学の会をやってますけどあの人たち孤独やったんですよ。強烈に孤独やったんです。仕事を失い、家族を失い、そして生きがいを失った。路上でも「明日の朝目覚めんでもええのにな」みたいな気持ちにいる時になかなか福祉とかそういうサービスの手が差し伸べられても「もうほっといてくれ」みたいなことになってしまう。

 それぐらい非常に孤独で、人のことが信じられず、もちろん自分のことも信じられない。人間関係というものに自分が収まりきれない。そのことに絶望し尽した果てが冷たい路上であったりするわけです。でも、そこで徹底的に、孤独、孤立みたいなもの感じた者同士が初めて出会うこともあります。それについて『孤独に応答する孤独』[*5]っていう研究報告書みたいなの、ココルームの人たちと一緒に作ったりもしました。

[*5]『孤独に応答する孤独』:西川勝編『孤独に応答する孤独 : 釜ヶ崎・アフリカから : 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター高齢社会プロジェクト活動報告書』(2013年、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター)

 あと、これは自分の経験でもあるんですが、いろいろあって一人で街を彷徨うこともあったりだとかしていたことがありました。いつだったか、それで北海道へ行って湖かなんかでスケッチしてたんですよ。そしたらいきなり話しかけられてね、「何書いてるんですか?」とかって。これは僕が一人きりだったからその人は話しかけてきたんだと思います。何人かで行ってたら話しかけてこない。いわゆる誰かを引き寄せるためには、確実に一人であることが大事なんですよ。一人だったら人は話しかけて来るんです。

 でも、まぁ、孤独な者と孤独な者とはそう簡単に仲良くしましょっていう訳じゃありません。訳じゃないけど、釜ヶ崎なんかでよくある刹那縁っていうんですけど、たまたまのご縁で一瞬だけしばらく一緒にいてるみたいなこと。あれはお互い孤独だからあり得る気がしています。

 メンバーの内的な目的以外に、外側に目的がある。学校でも会社でも何でもそうです。世の中にあるいわゆる組織は、理念みたいなものがあって、グループっていうものがあって、それに賛同する人が入って来ます。つまり、ある意味で予め来る人間っていうのは同質なんですよ。

 でもそうじゃなくって、どこの誰とも分からないような孤立、孤独の状況にいる時に、一番力になってくれる人はやっぱりそういう孤独にいる人が可能性としては一番高いんですね。きちんとやってる人は絶対に来ません。絶対に来ない。ていうことを、僕なんかは随分いろんな所で感じたりしております。釜ヶ崎の人たちの話聴くたんびにそういう思いを強くしたんです。

こだまとの会話4

西川:
 『星の王子さま』も、いろんなテーマで考えることできると思いますけど、友情もものすごく大きなテーマの一つです。でもその友情の真の意味が分かるのは地球においてキツネとの出会い、それから飛行士との出会いなんです。

 ともかくガラッと、それまでの王子の在り方とは変わっている。そこをちょっとしっかり読み込むことが大事じゃないかなぁと僕は思います。

 例えば、こだまも非常に比喩的です。人はたった一人であっても言葉を持ってる。言葉は誰かに分かるものです。誰かから教えられたものですから当然ですね。自分がオリジナルに一から考えてきた言葉はないわけで、必ず自分以外の人から教えられてるというか、自分以外の人の言葉を自分の中に取り込んで他の人たちと話し合うようになっているわけです。だから言葉は独り言であっても、必ず聴く人があるようにできています。 

 浜田寿美男[*6]先生が「独り言といっても人間の言葉っていうのは必ず対話性を持ってる」とおっしゃってたんですけど、いやほんとにその通りだなって思います。

 こだまは内なる自分の声ではないですけども、たった一人で、要するに、明確な主体的な相手がいなくても自分の中で「さみしいな」って言った途端に「さみしいな」という言葉は自分にも聞こえるわけですよ。

 だから自分の発話行為は必ずしも他者に向けられてるだけじゃないんです。自分が何か言葉を発したら、その言葉はこだまのように自分に必ず返って来てる。そう考えることもできます。

 ここでは実際には登場人物いないわけですよ。そうですよね?こだまですから。でもそのこだまも王子が大きく変わる「相手」になりうるわけです。なりうるっていうこと。まぁそういうところも読んでみてもおもしろいんちゃうんかなーって僕は思います。

 「友だちになってよ、ぼく、独りぼっちなんだよ」と言って、地球に対する不満を述べた後にまたバラのことを思い出してますね。「その花はいつだって自分のほうから話の口火を切ってくれたのに」って。あの高慢でかなわんなと思ってたバラのことなんですけど、いつだって向こうから口火を切ってくれたっていうふうに良い形で思い出すようにもなってますね。

[*6]浜田寿美男:(はまだ すみお、1947年 - )日本の発達心理学者。奈良女子大学名誉教授。発達心理学の分野で著作、翻訳書が多数ある。香川県小豆島生まれ。


人間たちがいるところ

西川:
 あと、「乾きに乾いているし、とがりにとがってるし、どこもかしこも岩塩で白っぽくなっている」の部分。もちろん砂漠ですし、砂漠に山っていうのはちょっと急に不釣り合いやなと思うかもしれません。

 サン=テグジュペリはパイロットとして、行動する作家として、いろんな作品書いているわけですけど、飛行機から地球を見るという、それまでなかった体験を初めて文学にした人です。これまでとの一番の違いは何でしょうか?

 地べたを這ってる限り、我々はほとんど人が通れるような道を歩いてるわけです。そして、人がいるところに向かっていくわけです。で、人から人に、人が住んでるところから人が住んでるところへつなぐ道は、例えそれがジャングルであろうと砂漠であろうと人が造った道なんです。人から離れてはいません。だから地球が人でいっぱいだと思いがちなんです。

 大人たちは地球をまるで人間たちが覆ってるかのように思うかもしれないけど、地球上の人間を全部集めたってちっちゃな島に収まるぐらいだし、人間はそれほど地球を覆ってない。それは、道も何も関係なしに空を飛ぶ飛行機、パイロットにとっては事実なんです。

 彼が飛行機の航路を開拓していった場所には砂漠のところもありましたし、ジャングルのところもありました。緑の少ない所もたくさん飛んでるわけです。緑が多かったとしても、今度はそこに明かりはないんです。

 『人間の土地』[*7]の最初にあるのは、彼がパイロットとして空を飛んでいる時に、ポツポツと見える家の明かりについて、あそこに人々の暮らしがあるという話です。あの暮らしとあの暮らしを結び合わせなければ、要するに絆を作らなければいけない、みたいなことを感じてるわけです。ほんのちょびっとの所にしか人が住める場所はないし、その中でもほんの少ししか人間いない。その人間同士が全くその絆もなんにもなしでいてるっていうことがおかしい。

 飛行機から見た時に、地球というものが、地べたを這ってるだけでは分からないくらい、孤独な世界が山ほどあって、人間と人間との絆っていうのは奇跡的なものなんだとサン=テグジュペリは思い直すわけです。その象徴的な風景として、このとんがり、とんがりまくった風景が出てきたように僕は思いますけど。

[*7]『人間の土地』:(にんげんのとち)サン=テグジュペリによるエッセイ集。堀口大學訳、新潮文庫、初版1955年、改版1998年、再改版2012年。『サン=テグジュペリ・コレクション3 人間の大地』山崎庸一郎訳、みすず書房、新装版2000年。


類推を超えた現実との出合い

西川:
 もうちょっとだけ行きましょうか。今日はできるだけ次の章まで行きたいと思ってるんで。20章です。

 そうはいっても、砂漠や岩山や雪の中を長いあいだ歩き続けて、王子さまはとうとう1本の道路を見つけることになりました。どんな道路でも、道路というのは人間たちのところに通じているものです。

 『森の生活』を書いたソロー[*8]が行った講演を基にした『ウォーキング』という本があります。あの人は1日4時間から5時間は歩かないと気が済まないみたいなこと言うんですけど、彼が歩くのは道じゃないんですよ。道路は彼にとって道じゃないです。道路は金儲けのため、仕事のために荷馬車とか商人たちが行き来するところだと。そうじゃなくて自分は自然に分け入りたいから道路でないところを歩く。それが自分にとっての散歩だといっていますね。

[*8]ソロー:(Henry David Thoreau、1817年7月12日 - 1862年5月6日)は、アメリカ合衆国の作家・思想家・詩人・博物学者。『森の生活 ウォールデン』 佐渡谷重信訳、講談社学術文庫、1991年。『森の生活 ウォールデン』(上下)、飯田実訳、岩波文庫、1995年 / ワイド版、2001年。『ウォールデン』酒本雅之訳、ちくま学芸文庫、2000年など。『ウォーキング』大西直樹訳、春風社、2005年。

 「こんにちは」と王子さまは言いました。
 バラがいっぱい咲き乱れた庭でした。

 「こんにちは」とバラたちは答えました。
 王子さまはバラたちを見つめました。バラたちの一輪一輪が王子さまの花にそっくりでした。
 あっけにとられて、王子さまは、「あなたがたはいったいだれなの?」とバラたちにたずねました。
 「わたしたちはバラよ」とバラたちは答えました。
 「ええっ、そんな」と王子さまは言いました……。
 そして、王子さまはとても悲しい気持ちになりました。王子さまの花は王子さまに「この宇宙でバラの花はたった一輪だけよ」と話していました。ところがこのたった一つの庭だけで、五千本ものまったく同じバラの花が咲いているではありませんか!
 「ぼくの花はきっとムッと腹を立てるだろうなあ」と王子さまは独り言を言いました。「もしこのありさまを見たら……。ものすごく咳きこむだろうなあ。おまけに、自分が笑い物にならないように、死んだふりをするだろうなあ。そうなると、ぼくは花を介抱するふりをしなければいけなくなるなあ。それを、もし、放っておいたりしたら、ぼくにも恥をかかせてやろうと思って、ほんとうにぼくの花は死んでしまうだろうから……」
 それから、王子さまはまた独り言を言いました。「ぼくはこの世にたった一輪しかない花を宝にしていると思っていた。ところが実は、どこにでもあるようなバラを一輪持っていただけなんだ。あの花と、ぼくの三つの火山、膝までの高さしかなくて、そのうちの一つはたぶんもう決して噴火はしない、あの三つの火山。そんなものを持っているくらいじゃ、ぼくは大した王子じゃないんだ……」王子さまは草むらにうつ伏して、ワッと泣きだしてしまいました。

 自分の経験から類推するわけですが、遭遇する現実はその人の経験をも超えている。経験から類推することは、経験をある程度は人間の想像力で超えようとしているわけですけど、そういう人間の想像力だとか類推という思考を飛び越えたような現実と向き合わざるを得なくなるシーンです。

 王子さまは呆気にとられる。驚いてしまう。それで失望するというのかな、自分の描いていた世界観、信念が、もうほんとにガラガラッと根っこから崩れ去ってしまうわけなんです。「僕は大した王子じゃないんだ……」って最後泣き出すんですけど、ということはそれまで自分を「大した王子」だと思ってたわけですよね。

 自分の経験とか、自分の経験が十分なものだと思ってたわけです。正しいと思ってたから小惑星で出会う大人をバカにして「おかしな奴らだ」と去って行けていたたわけです。ところが自分が心惹かれていたあのバラですら、目の前に現れた5千本のバラと同じものだった。瓦解するわけです。

 さっきまで、「ぼくの星には、花が一輪咲いているけれど、その花はいつだって自分のほうから話の口火を切ってくれたのに……」って、僕に優しかった花を思い出してるんですよ。ところが、5千本のバラと出会った途端に、「僕の花はきっとムッと腹を立てるだろうな」と、またバラの嫌だったところばかり思い出しているわけです。

 結構揺れてるんですよ。ずーっと恋があって、ずーっと相手のこといいように想い続けてるわけじゃないですね。ものすごくもう心惹かれたけれど、ひょっとしたらこのバラとんでもない花かもしれないって疑いだして、星を飛び出してしまう。

 でも、地理学者から、「花は儚いからね」って言われて、「あっ」と思ってまたバラに対する思いがもう一度蘇る。でも、儚い彼女をたった一人で置いてきてしまったっていう自責の念と共にあるんですね。でももういっぺんさみしいなと思った時には、いやそういえばあのバラはいつも自分から僕に話しかけてきてくれたっていうふうに、バラのいいところを思い出すわけです。

 ところが、5千本のバラと出会った途端に、またそう言えばあのバラだったらこの場面にいたら、また僕のことをこうでもかっていうぐらいに困らせるに違いないってなったわけです。

 だから、あの、すごいバラやって一瞬思いかけたけど、思いかけたけど、ところが実はどこにでもあるようなバラを一輪持っていただけなんだっていうふうにして、要するに相手の価値を認めない立場にガラッと変わってるんです。ガラッと変わってる。 

 『星の王子さま』は、純粋無垢な子どもの心を持った王子さまっていうイメージがあまりに強すぎて、こんなふうに揺れ動いたり一度好きになった人を「どこにでもいる女だったよな、あれは」みたいに「どこにでもいるようなつまんない男よ」みたいな形でバーンって落としてしまうようなイメージってほとんどないじゃないですか。でも実はじっくり読んでみるとこうなんですよ。

 ここではバラに対する思慕っていうのがもういっぺん完全に断ち切られる。そういう形でしかその自分を保てないっていうか。でも「あれは大したことなかったんやな、ここに5千本もあるから。じゃあこの5千本と仲良くしょうか」と言うぐらいドライではないですね。

 ここのところをしっかり読まないと、この後のキツネとの出会いから、王子が大きく変わっていくことが理解できません。その前兆として5千本のバラとそれからその前のとんがりだらけの山の上で、こだまとは思わずにこだまを相手にしながら、「友達になって欲しい」と叫ぶほどの孤独感。ここはしっかりと読む必要があります。

 それと、この5千本のバラを見た後のことば。

 ぼくはこの世にたった一輪しかない花を宝にしていると思っていた。ところが実は、どこにでもあるようなバラを一輪持っていただけなんだ。

 この理屈は、失恋とか人との別れが、自分の人生で非常に絡みついてて、そう簡単に処理できない時によく使いますね。「あの葡萄は酸っぱい」[*9]っていうイソップ物語がありましたが、なんぼ取ろうと思っても葡萄に手が届かない。その時に「いやぁ、あれは酸っぱい葡萄や、食べても意味ない、どうせ」というように自分自身を納得させようとしているわけです。

 我々、大人たちの中にも結構そういうことっていっぱいありますね。如何ともしがたいことに出会った時に自分を守るためにこんな理屈をついつい使います。使わざるを得ないというか。でも使ったからといってそこからまた新しい第1歩を元気よく踏み出せるわけではなくって、言った端からうつ伏して、うつ伏せになって泣かざるを得ないみたいなことがありますよね。これなんかはそういう経験をした人には痛いほど分かるところになんじゃないかなぁと思います。

[*9]「あの葡萄は酸っぱい」:『酸っぱい葡萄(すっぱいぶどう)』。イソップ寓話の一つ。「狐と葡萄(きつねとぶどう)」とも。狐が己が取れなかった後に、狙っていた葡萄を酸っぱくて美味しくないモノに決まっていると自己正当化した物語が転じて、酸っぱい葡萄は自己の能力の低さを正当化や擁護するために、対象を貶めたり、価値の無いものだと主張する負け惜しみを意味するようになった。


朗読してみる


 僕の読みはこれぐらいにして、まぁちょっと一人ずつ読んでいってもらおうかなと思います。セリフのところだけでいいですから。皆さんに王子のセリフを選んでもらって朗読してもらいましょう。これはこういう意図でこんなふうにして読んでみましたって教えてもらえれば。

[参加者各々朗読]

西川:
 はい。ありがとうございます。もちろん、本読む時に正解が別にあるわけじゃないです。僕はいろんなところで何回も何回も『星の王子さま』を一緒にその時その時のメンバーと読んでますけど、僕の感じ方もやっぱり変わってきてますしね。

 最初はいつだったっかな。もう忘れちゃったぐらいやけど。たぶん2014年『ケア塾たまてばこ』ですよ。大谷大学は2016年か。もう4年以上前の話です。4年以上前の僕の状況と今の僕の状況とは、人間関係から何から、社会の中での役割から全然違いますから。当時は大学の教員でしたし、今と全然違うわけです。

 たとえば、自分の老いを2014年の時より今は圧倒的に実感するようになってます。夜、長く眠れなくなったり、体調をすぐ壊すだとか、いろんなことで自分の老いを感じてるし、それからどっかに勤めしていたのが勤めをしなくなったっていう、社会的にも引退してるような状況の中で、いわゆる人間関係もごっそり変わりました。だから、僕の王子の孤独の感じ方もぜんぶ変わってきてるんです。

 たぶんどんどん変わってきてるんですよ。そこがこの『星の王子さま』のすごい魅力でもあると思っています。

 サン=テグジュペリがメッセージを発しているというよりは、<読む>という形でこの物語の中にメッセージを読者と共に作り上げるような仕掛けが山ほど組み込まれています。そこがすごいところで相手を説得するような物語じゃないんです。

 それからもう一つ。「僕はたいした王子じゃないんだ」って、自分のことを王子っていうふうに明らかに言ってるところはここが初めてです。「王子さまは」って地の文で書かれたりだとかはあるんですけど、自分のことを自ら「王子」と言ってるのはここだけやったと思います。

 ともかく、ものすごく綿密に、綿密にっていうか、ものすごく、カチッとあるべきところに過不足なく、それもさりげなく入れてるんですよ。ここら辺が凄まじい文学的な才能やと思います。なかなかこうはできません。

 何度も何度も推敲を重ね、サラッと書いてるように見えて、読む側が必死になればなるだけそういうものが浮かび上がってくるような、そういう書き方をしてますね。この本に関しては特に。

 「花」という表記が「バラ」になったりだとか、それから挨拶がいろいろ変わるんですけど、ちゃんとそうするだけのことがサン=テグジュペリにはあるんですよ。適当にバリエーションを付けてるんじゃない。でもたとえば、挨拶のところもいろいろ変わるけど、そこに心理描写だとか一切入ってないでしょ。普通にサラッと読み流してしまうわけですよ。挨拶なんて別段そんな深い意味があるとは思わないから。バリエーションが変わったこと自体がやっぱり必ず意味を持って現れてくると思います。伏線とは言いませんけど、ものすごくものすごく丁寧に作られていると思います。

 とりあえず、今日の朗読はこのくらいにしましょう。思いついたことなど、お話ししましょうか。


おわりの雑談1:会読してみたい

G:ここの文章がちょっとだけ違って「白っぽくなっている」のがこっちは「だらけ」になるんや。

西川:稲垣さん(訳者)て、版ごとに細かく細かく変える人なんやなぁ。

G:変えてるんですね。

西川:『翻訳技法論』[*10]という本を書いてるぐらいですからね。知ってます?

G:あ、いえ。

西川:
 『翻訳技法論』って、後半に『星の王子さま』をなぜ私はこう訳したのかということが延々と書いてあるんです。以前読んだ稲垣さんの『星の王子さまの世界』(→『星の王子さま」物語』?)[*11]にも、apprivoiserを、普通は「飼い慣らす」だけどそうではなくて「なじみになる」と訳した理由を何ページかに渡って書いてあります。だから、この人だったら信用できるかもしれないと思ってこの稲垣訳の『星の王子さま』を選んだんです。

[*10]『翻訳技法論』:『翻訳技法実践論: 『星の王子さま』をどう訳したか』稲垣直樹著、平凡社、2016年。

[*11]『「星の王子さま」物語』:稲垣直樹著、平凡社新書、2011年。『星の王子さまの世界』は、塚崎幹夫著、中公文庫、2006年。または『星の王子さまの世界ー読み方くらべへの招待』塚崎幹夫著、中公新書、1982年。

C:皆さんはあんまり喋らないんですか。

西川:この後ぐらいになると喋り始めます。やっぱこういう形式って暴力的でね、割と喋らせないとこありますよね。

西川:ほんとは会読(かいどく)[*12]をやりたいんですよね。くじを引いて誰かがいつも僕がやった役をするっていうのをしてみたいんですよ。

一同:あぁ。

西川:
 予め、次は何章やりますよって告知しておりて、みんなが発表の準備はしてくる。それでくじ引いた者が進行して、それについてお互いが意見を言って、にっちもさっちもいけへんようになったり、言葉が詰まったりする。そしたら、僕がちょっと出て来てそれをフォローする。みたいなね。

 要するに江戸時代の藩校[*13]でのやり方なんですね。素読から始まって、素読はだから音読するだけですよ。音読して暗記する。そして講釈。講釈が2番目で、その次が会読。みんなが音読…素読もできるし、講釈もいっぱい聞いてきたと。次は自分なりの解釈を人に述べれるぐらいに勉強してきた人間が集まってくじ引きをして、当たったらやる。それでお互いが質疑応答すると。

 そういうふうに言うけど僕はこういうふうに思ったんです、みたいな形で議論していって。別に先生はそれに対して白黒はっきりさせるとかじゃなくて。にっちもさっちも分かりませんって言った時、先生はどう思いますか、みたいな形で聞かれた時にちょっと答えるみたいな。基本は参加者が主体的にやるっていうやり方です。

[*12]会読(かいどく):数人が集まって、書物を読み合い、それについて論じ合うこと。

[*13]藩校:江戸時代,諸大名が設置した藩営の学校。「藩学」ともいう。主として藩士の子弟を教育する機関で,漢籍・国学・医術・武芸など一般教養を教授した。

 『江戸時代の読書会』[*14]っていう本が平凡社ライブラリーから出ています。要するに江戸時代の教育方法、いわゆる公教育というか、武士に対して藩校とかいわれるところでは、さっきも言ったように素読・講釈・会読っていう形でレベルアップしていく。

 この教育を受けていた人間が明治維新、日本の近代化を強力に推し進めていったことになります。ところが、明治政府が学制っていう学校制度を作った途端にこの会読が消えたから、日本人の知性が地に落ちたみたいなこと書いてありました。けっこうおもしろい本です。

[*14]『江戸時代の読書会』:『江戸時代の読書会 会読の思想史』前田勉著、平凡社ライブラリー、2018年。[*15]朱子学:中国・南宋の時代に朱熹 (しゅき) がまとめあげた儒学の一派。宋学(そうがく) ともいう。江戸幕府が封建制度の維持にふさわしい学問として奨励し、武士や学者のあいだに広まった。

 藩校じゃなくて寺子屋の場合は、子どもから大人まで一緒だったから、一緒にくじ引きしようというわけにはなかなかいかなかった。寺子屋には寺子屋の一つの教育的なものがあったんです。だって、要するにマス教育じゃなくて1対1だから。それに先輩が後輩に教えたりもする。先生1人でやるんじゃないわけです。

 要するに明治維新以降の学校制度がいかにつまらないか。江戸時代だから古いと我々は思い込んでるけど、実はそんなことないのかもしれない。封建時代だから中世は暗黒やみたいな考え方があって、中世哲学って無視されたんやけど、いやいやそんなことないみたいな再評価されたりとかしますし。

 常に現体制にとって都合のいいように歴史解釈ってなされるから、ものすごく眉唾でいないといけないです。すごい危ない。政治とかに無縁でいられる学問ってないって思ったほうがいいですよ。自分の立場性に無自覚であったらいかんわけです。

B:フランスとかでは、子どもたち詩を読みそうですね。。

西川:まぁ向こうのは韻を踏んでるからね。

A:日本語は非常に難しい。なんか五・七・五でしたっけ、結局は。

西川:それは要するにリズムやからね。

A:七五調で、歌謡曲とかでも、だいたい譜割りはどうしてもはまっちゃう。

西川:九鬼周造に『押韻論』[*15]という論文があります。僕ちゃんと読んでないですけど、そういうことに関してものすごく意識的に書いてる人は九鬼周造ぐらいじゃないでしょうか。鷲田さんの『「ぐずぐず」の理由』[*16]とかはそれに影響されてるんだと思います。

[*15]『押韻論』:『九鬼周造全集 第五巻 をりにふれて 押韻論』、岩波書店、2011年。

[*16]『「ぐずぐず」の理由』:鷲田清一著、角川学芸出版、2011年。

 僕なんか、どっちかと言ったら文学が好みで、特にそういう韻文、詩とか短歌とかあんまり興味ない男でした。今やってる俳句も自由律俳句ですしね。外れたやつしか読まないほうだった。

 ともかく、文学としてはもちろん、フランス語で読まないとサン=テグジュペリが意図するものは伝わってこないでしょうね。でもそこら辺をかなり意識して翻訳しようとしてる人は数名はいてるんです。その意味でやっぱり稲垣さんとか信用できる人やと思いますけどね。


おわりの雑談2:サン=テグジュペリの狂気


A:『星の王子さま』を読んだ時に思ったのは、書いてる人が飛行機乗りやからすごい俯瞰していろんなもの見えてたと思うんですよね。

西川:
 ほんまに。だから墜落するイカロス[*17]じゃないですけど、サン=テグジュペリは何回も何回も墜落事故起こして、頭蓋骨陥没骨折もしています。でも空を飛ぶことから彼はどうしても離れられなかった。飛びながら様々なこと考えたことを、文学的な結晶としていろんな作品に入れてるでしょうね。

 他の本だと結構説明的だったりするんですよ。『城砦(じょうさい)』[*18]はもっと謎めいていますけどシンプルではないです。比べると『星の王子さま』はものすごくシンプルな言葉で書かれてあって、で尚且つ文学的にも深い。

A:そうですね。なんか刹那的でもあるし、そういうヒリヒリした感じがたまにフッと出てきたりする。

[*17]イカロス:(Ikaros) ギリシア神話中の青年。 クレタ島の迷宮ラビリントスから、父ダイダロスの考案した蝋(ろう)付けの翼で脱出に成功するが、父の忠告を聞かず天高く飛んだため、太陽の熱で蝋が溶けてしまい海に落ちて溺死する。 

[*18]『城砦』:『サン=テグジュペリ著作集』6、7、8(山崎庸一郎ほか訳、みすず書房、全11巻別巻1、1983-1990年)。

西川:
 サン=テグジュペリの伝記読んで知りましたが、他の作品は作家的な名声を得たいとか、生活のために、とか結構俗っぽいところがあるんですよ。

 でも、『星の王子さま』は何だかんだって言って、アメリカに亡命してる時に書いてるんです。亡命からもう一度フランスの軍に戻るまでの期間に書いてるんです。アメリカでは一番名声を得てるんだけれども、そのアメリカでは亡命してきたフランス人として、ほんとに孤立無援の立場に置かれるんです。

 ド=ゴール派[*19]からボロクソに言われ、ヴィシー政権派[*20]からおだてられるけど、「俺は違う」とか言ったりして。でも、英語は喋れないし、奥さんともなかなかうまくいかないしみたいな感じです。

 でも、自分は何とかしてもう一度レオン・ヴェルトをはじめとする友人たちのいるフランスを守るために、もう一度戦線復帰したいわけです。でも、年をとってしまうと飛行機乗りはなかなか難しい。そんな状況の中で『星の王子さま』を書いてるんです。当時の彼は少し被害妄想的なところがあって、自分の主治医に俺の脊椎骨折を見抜けないのか、とか強く迫ったりしてます。もうほとんど病気です。精神的に追い詰められてた時期なんですね。

 その時に、自分のためというか、レオン・ヴェルトのために書いてるんです。友に捧げる書物っていうか。奥さんのコンスエロにも捧げているというか。とにかく必死になって書いてる本なんです。

 だからそこら辺が他の本と違うわけやね。だってこの絵を描くのだって全部自分でやってるんですよ。何枚も何枚も書いてるんですよ。彼は文章についてはプロやけど、絵のプロじゃないですよ。だから、そういう状況になかったらサン=テグジュペリであってもたぶん書けなかったんじゃないかな。

C:これが遺作なんですか? 

西川:
 遺作には『城砦』があります。未完のやつで、最後まで手を加えていたそうです。でも、『星の王子さま』ももう遺作に近いです。彼は出版された本は持っていなかったそうですから。ゲラ刷りだけを持って出撃してます。

 サン=テグジュペリには『手帳』[*21]というのが全集の中にあります。これがほんまに手帳を書き写してるやつなんですけど、めっちゃ難しいこと書いてます。滅茶苦茶難しいこと書いてる。哲学にしてもそうやし、数学にしてもそうやし、物理学やとか。もうとにかく、めちゃインテリみたいな感じで、一生懸命考えていたややこしい奴だったみたいです。でも、そういう人が、『星の王子さま』では、それを削ぎ落として、削ぎ落として、削ぎ落として、削ぎ落として、で、いろんなところに仕掛けをした。そういう作品だと思いますよ。

[*19][*20]ド=ゴール派、ヴィシー政権派:ド・ゴール主義またはゴーリスムは、フランスの軍人・政治家であるシャルル・ド・ゴールの思想と行動を基盤にしたフランスの政治イデオロギーのこと。ヴィシー政権は、第二次世界大戦中における、フランスの政権(1940年 - 1944年)。フランス中部の町、ヴィシーに首都を置いたことからそう呼ばれた。「ヴィシー政府」、「ヴィシー・フランス」ともいい、この政権下の体制を「ヴィシー体制」と呼ぶ。またこの政権は事実上ナチス・ドイツの傀儡政権(衛星国)であった。

[*21]『手帳』:『サン=テグジュペリ著作集』5(山崎庸一郎ほか訳、みすず書房、全11巻別巻1、1983-1990年)。

A:だいぶん、実は狂ってる本なのかもしれない。

西川:そういうところはあるかもしれませんね。僕はこれを子どもたちに読ませるのは危ないと思ったりしますね。最後死ぬんですから。これをよく小学生なんかに読ませて読書感想文とか書かせるよねーと思って。「命より大事なものがある」っていうメッセージやからね、これ。

C:戦争にもう1回戦線復帰するわけですから、自分自身の死をある程度予想してるわけですよね。

西川:
 彼は死ぬの覚悟で行ってます。

 戦線復帰にあたって彼が希望したのは、アメリカの最新式の飛行機だったんですが、それはあたえられませんでした。彼はね、要するにまだ飛行機ができたばっかりの頃にパイロットになったわけです。『紅の豚』[*22]やったっけ、すぐにポテンって落ちるようなね、木と紙でできたような飛行機ですよ。

 だから落ちても死ねへんのですよ。落ちても死ねへん、柔らかいから。今のジャンボジェットみたいなんやったら、必ず落ちたら大爆発です。昔のやつはそんなんちゃうん。エンジンもしょぼいし、機体もその木とか、軽くせなあかんから木と布とかそんなんやから、落ちてもグシャンってなるけど、砂漠ででも修理できるみたいなやつにずーっと長いこと乗っていたわけです。

 ところが戻りたいといったその時にもうフランス空軍には自軍の飛行機がなくて、連合軍側のアメリカの飛行隊に入ることになる。もう飛行機はもう最新式のやつになっていました。酸素ボンベ付けて酸素吸入しないと空飛べないぐらいの上空飛ぶやつです。彼が希望するのは偵察機やから、要するにね、攻撃用の武器を積んでないです。鉄砲ないんですよ。だから敵と会ったら逃げるしかない。でもドイツ、イタリアなんかの飛行機よりも上を飛べるから逃げれますよね。それで上空から写真を撮影するわけです。

 でも、いろんな後遺症があって彼は脱出システムが使えなかったんです。当時のアメリカの飛行機でも脱出ボタン押してパラシュートが開いてピュッと出られるんですけど、彼はもう自分でそれが開けられない。手が上がらないんです。

 もっといえば、飛行場まで戻って来て、飛行場の奴らにガバッて開けてもらって出してもらわないと降りることもできない。そんな体で戦闘機に乗ってるんですよ。軍隊の方でも、もう年やからサン=テグジュペリの搭乗はアカンって言うててん。

 でも、自分が有名作家だからって、もう無理やり大統領とかのコネを使いまくって空軍に入るんですけど、出撃は回数制限されていました。結局はその制限も無視して出撃を続けます。で、最後は帰って来なかった。

[*22]『紅の豚』:くれないのぶた。1992年にスタジオジブリで制作された宮崎駿監督作品の長編アニメ映画。

A:自殺願望があったんですか。

西川:
 自殺願望はないでしょうけど、死ぬことを何とも思っていないっていっぱい書いてます。実際、何度も死にかけてますしね。

 『夜間飛行』[*23]や『人間の土地』やとか、いわゆる飛行機ものの小説の中でいっぱい書いてますけど。それから『戦う操縦士』[*24]。『戦う操縦士』なんかもアラス上空っていう、ドイツの高射砲が待ってるところに行くんです。だからみなほとんど撃ち落とされる。フランス軍時代に滅茶苦茶高射砲の網の目を奇跡的に生還するシーンとかが詳細に書いてあります。

 いや、すごいですよ。こうやって生きてきたんや、みたいな。結局最後は撃ち落とされるんやけどね。けど、銃撃が来てる時には、怖いもへったくれもない、って書いてますね。

 戦争の時も命知らずですけど、郵便飛行のパイロット時代も結構命知らずです。誰もまだ飛び越えたことのない山を飛び越えて航路を作る。それで飛行士がいっぱい死んでいるんです。ラテコエール社[*25]、今のエアフランスの前身。行くでしょ、帰ってけえへんなんてザラなんですよ。

 サン=テグジュペリの処女作は『南方郵便機』[*26]。それも恋人を残して帰って来なくなったパイロットの話や、沢山の人たちが郵便航路の開拓で命を落としていってる姿をいっぱい描いてます。命知らずといえば命知らずやね。

[*23]『夜間飛行』:新訳『夜間飛行』二木麻里訳、光文社古典新訳文庫、2010年。

[*24]『戦う操縦士』:新訳『戦う操縦士』鈴木雅生訳、光文社古典新訳文庫、2018年。

[*25]ラテコエール社:アエロポスタルとして知られるコンパニー・ジェネラル・アエロポスタル(フランス語: Compagnie générale aéropostale)。フランスの航空会社の草分け。1918年にピエール=ジョルジュ・ラテコエールによって設立された。エールフランスの母体となった会社のひとつ。

[*26]『南方郵便機』:『サン=テグジュペリ著作集』1(山崎庸一郎ほか訳、みすず書房、全11巻別巻1、1983-1990年)、新装版〈サン=テグジュペリ・コレクション〉全7巻(2000年)。

C:さっきの「道沿いに行かない」っていう話、僕グッときてまして。道から外れた場所の認識が、飛行機乗りによってもたらされたっていうのはおもしろいですね。

西川:『人間の土地』とか『人間の大地』と訳されるあの本。飛行機に乗って初めて見えてきたもんなんですよね。でもね、技術が進歩して今までの人類が経験してないことを、例え経験したとしてもそれをどう受け止めるかということが大事ですよ。

C:ZOZOTOWN(ゾゾタウン)[*27]の社長が月に行くだろうっていう話やテスラ[*28]の社長に会いに行ったっていう話がぼちぼちまた話題ですけど、宇宙飛行士が何人かいる中で、文学者になった人ってたぶんまだいませんね。

[*27]ZOZOTOWN(ゾゾタウン):千葉県千葉市に本社を置く会社「株式会社ZOZO」が運営するファッション通販サイト。株式会社ZOZOの創業者は 前澤友作。

[*28]テスラ:アメリカ合衆国のカリフォルニア州パロアルトに本社を置く、アメリカの電動輸送機器およびクリーンエネルギー関連企業。

西川:文学者はともかく、宗教家になった人はアポロ計画で何人かいますけどね。そうそう、僕も飛行機に初めて乗った時「これは死んでもええな」と思いましたよ。「雲を上から見れるってスゲェなぁ」いうて。

B:どんな飛行機ですか?

西川:
 いや、普通の飛行機。20歳の時に初めて乗りましたねぇ。僕は昭和32年生まれだから、そんなに若い時から飛行機に乗るような時代じゃないですよ。20歳の時に大阪から東京まで飛行機乗ったのが初めてだったんですけど、ホーッみたいな感じですよ。雲が下にある、うわー、こら、いつ死んでもええ、みたいな。

 たまにしか乗りませんけど、今でもなんか思いますね。人類の長い歴史の中で、これを想像した奴はおるけど、見た奴はおれへんのやかってね。もちろん今は既に山ほどいます。でもサン=テグジュペリは運転してるもんね。俺はやっぱりただの運搬物だから。一番初期の飛行機でも200キロや300キロは速度あります。

C:相当リスキーなことをやってますよね。

西川:最初の頃はカパッていうような操縦席じゃない。風を受けながら飛んでるんですから。

B:息できないやん(笑)。

西川:
 うん。風受けながらですよ。それで高度を上げると温度が下がる。だからレバー引こうと思ったら凍ってしまって動かない。そういう飛行機にずっと乗ってる奴なんで、いわゆる今の安全な飛行機に乗ってるのんとは訳が違います。自動操縦もないから。

 夜間飛行も、計器がない時代です。管制局とかから「おまえはどこにいてる」とか常に連絡があった上に、航路が決まってるんやったら別に目で見らんでもええわけですよ。ところが見えなくなったらほんまに見えなくて、山があるのに知らんと突っ込んで行ってるかもしれない。突っ込んだらそこにバンとぶつかって一巻の終わり。

 サン=テグジュペリの同僚たちがアンデス山中に墜落したりとか、それで彼も砂漠の中に墜落したりとか、いっぱいやってます。海にもいっぺん落ちてますし。それでグアテマラではうまく離陸できなくって、機体が大破して、頭蓋骨陥没骨折で手足もバラバラになって、手落とすって言われてそれ断ってっていうような形で奇跡的に助かったわけです。でもそっから以降はもう肩が上がらない、あと手も上がらないから、飛行服着るのも皆に手伝ってもらっていたようです。

B:見える日しかダメなん?

西川:
 そう。でも夜を飛ばなきゃ、要するにスピード競争に勝てないですよ。飛行機が商業用になるためには列車よりも早いことが重要でした。列車は夜でも走るんですよ。ところが飛行機は夜飛ばない。そしたらウサギとカメですよ。結局そっちのほうが早く着いてしまう。

 飛行機を商業利用しようと思ったら夜間飛行は避けては通れなかったわけです。その時に命を懸けた人たちのことを書いたのが『夜間飛行』。だから、サン=テグジュペリ他の作品もおもしろいですよ。すごいおもしろい。僕、堀口大學[*29]さんの翻訳が好きですけど、格調高くて。ちょっと古いかな。読みやすいのは山崎庸一郎[*30]さんですかね。

[*29]堀口大學:(ほりぐち だいがく)新字体:堀口 大学、1892年〈明治25年〉1月8日 - 1981年〈昭和56年〉3月15日)。明治から昭和にかけての詩人、歌人、フランス文学者。

[*30]山崎庸一郎:やまさき よういちろう(1929年10月21日 - 2013年7月21日)。フランス文学者、学習院大学名誉教授。

 ともあれ、サン=テグジュペリは面白い人だったと思います。「あなた何者ですか」と聞かれると「私はパイロットです」って言う人だったから。文学者とは言わない。

 王子さまっぽいですよ。自分勝手なところも、ものすごく揺れるところも。やっぱり自分のさまざまな側面を星の王子さまに託しているところもありますね。でもパイロットもサン=テグジュペリっぽいですね。人間って複雑だからそんなに一つのキャラクターに収まりきれへん、ということかもしれません。

 それでいて、なんちゃって元貴族みたいなところもありました。貴族の割に、コンスエロっていう南米のどこの奴とも分からないような(有力者の未亡人ではありましたが)、バツ2の人と一緒になったでしょ。

 サン=テグジュペリの一族の人は猛反対ですよ。貴族の家系だから貴族と一緒にさせようと思ったのに、フランス人でもない、アルゼンチン出身の人と一緒になったんですから。

 でまた、コンスエロっていうのが年齢もよう分からんような人なんですよ。言うたんびに歳が違う。それで派手な人で、ダリやとか有名な芸術家とばんばんばんばんサロンする人でもあって。でもサン=テグジュペリはコンスエロが好きで離れられない。でも一緒にいるとケンカになるから、ニューヨークなんかではアパート借りるんやけど別の階に住んでいたそうです。離婚の危機にも何回も陥ったりしてます。

 コンスエロはコンスエロで『バラの回想』[*31]という本でサン=テグジュペリのこと書いたりするんですが、それに対してサン=テグジュペリ家の人たちが反論の文章書いたりしている。なんかもう訳分からんですよ。

[*31]『バラの回想』:『バラの回想 夫サン=テグジュペリとの14年』コンスエロ・ド・サン=テグジュペリ著、文藝春秋、2000年。

C:そして、コンスエロがバラのモデルは自分だって思ってるんですよね。

西川:
 そうそう。だから、彼女は自分の著作の中で、サン=テグジュペリが「『星の王子さま』のバラのモデルは君だよ」と言ったって書くわけですよ。だからサン=テグジュペリの奥さんがそう書いたらそうかなっていうことになるやん。事実、非常に似通った性格設定があったりするし。

 で、コンスエロはサン=テグジュペリの言葉として「レオン・ヴェルトに捧げたけどあれは後悔してる、これはほんとはコンスエロへって書くべきやった」って書いてます。でも、歳も言うたんびに変わるような人やしどうだったんですかね。

A:よくある話ですね、有名人の奥さんが暴露本。

西川:そうそう。あるよね。高橋和巳[*32]の奥さんもやりましたよね。(→『高橋和巳の思い出』[*33]

A:なんかだけどよくある、あるあるですよね。

[*32]高橋和巳:たかはし かずみ(1931年8月31日 - 1971年5月3日)。日本の小説家で中国文学者。。中国文学者として、中国古典を現代人に語ることに努める傍ら、現代社会の様々な問題について発言し、全共闘世代の間で多くの読者を得た。妻は小説家の高橋たか子。

[*33]『高橋和巳の思い出』:高橋たか子著、構想社、1977年。


おわりの雑談3:不死人間の悲劇


A:ちょっと聞こうと思ったことがありまして、哲学とは関係ないですけど、うちの嫁のおばあちゃんが、

西川:嫁のおばあちゃん? 嫁のお母さん?

A:いや、お母さんじゃなくておばあちゃん。おばあちゃんが認知症になったんですよ。けど薬を飲みたがらないらしいんですよ。なんやかんや言い訳して。あんまり詳しく知らないですけど、たぶん薬飲まないとやっぱ悪くなるというイメージがどうしてもあるらしく。どうやって飲ましたらいいのってみんななってて。おばあちゃんは飲んだとか嘘つくらしいんですよ。西川さんに聞こうって思って。

西川:おばあちゃんって、診断は?

A:診断は認知症です。認知症にもいろいろあるんですか?

西川:うん。

A:あっそれ分からへん。

西川:それ、認知症っていうのはちゃんと診断できへんやつやな。

A:あっそうなんですか。もっと詳しくなんか認知症にもいろいろある…。

西川:でもね、診断詳しくやっても効く薬はないんで一緒です。

A:効かないんですか(笑) 止めたりとかじゃないんですか、止めることもできないんですか、やっぱり。

西川:えぇ、できないですよ。おいくつですか?

A:もうすぐ80。

西川:僕は無理に飲ませなくていいと思いますけどねぇ。

A:そうですか。

西川:
 治らないし。認知症のそういう中核症状、脳の機能については変わらないから。認知症については、僕は人間関係やと思っています。認知症を脳の機能障害、個人の医学的問題として捉えている限り、絶望するしかないですよ。ここら辺丁寧にもっと喋らなあかんと思う、

 森鷗外の息子の森於菟(おと)[*34]っていうのがいるんですよ、長男で。彼の『耄碌(もうろく)寸前』[*35]というエッセイがあるんでぜひ読んでみてください。

小西:耄碌寸前。

西川:
 森鷗外は、明治期に軍医総監にまでなったすごい日本の医学者ですね。尚且つ文豪。それの長男ですよ。鷗外に比べたらなんぼ勉強したって追いつけないわけですが、台湾が日本の植民地やった時に台湾の医学部の学部長ぐらいにはなってるので、そこそこの人ですね。

 亡くなるちょっと前ぐらいですけど、「もう私もぼちぼち、下の世話を家族のもんにしてもらわなあかんかもしれん」「もう耄碌寸前や」と書いてます。いわゆる認知症で下の世話をみてもらうことになったわけです。「でも、これでいいのだと私は思う。なぜなのか」みたいなことが書いてあります。

 生まれたばっかりの赤ちゃんが「何で俺は生まれてきたんや」って考えたら、これは不幸ですよ。それこそ生まれる前にお腹の中で、生まれようか、やめとこか、と言ってたら、ほとんど芥川龍之介の『河童』[*36]の世界ですよ。人生の発端と終末は自己決定できないぐらいがええねん。ほんまに。そんな思想もあると思いますよ。

[*34]森於菟(おと):もり おと(1890年〈明治23年〉9月13日 - 1967年〈昭和42年〉12月21日)。日本の医学者。専門は解剖学。専門書の他に、父・森鷗外の回想記と随筆を著した。

[*35]『耄碌寸前』:森於菟著、みすず書房〈大人の本棚〉、2010年。

[*36]『河童』:芥川龍之介が1927年(昭和2年)に総合雑誌『改造』誌上に発表した小説。

A:なるほど。

西川:
 論理的であるというのはいわゆる大人の価値観なわけで、人生のうちの一時期じゃないですか。その一時期の価値観でもって社会全体を支配してはいけない、絶対に。

 こいつ何もできへんから殺そかって赤ちゃんのこと言ったらあかんのですよ。ところが、社会が、働き手がいかに生き延びるかことだけに集中する飢饉の時代とかは子どもは殺されます。年寄りも殺されます。

 だから、そうではないような豊かさみたいなものをどうやって見つけていくのかがたぶん大事なわけです。ボケる生き方に価値が見い出せないからボケは悪いとなる。たとえば、自分のものと人のものとの区別がつかなくなることが悪いことなわけでしょ。でもほんとに悪いのでしょうか?

 自分のもの、私有財産みたいに「これ俺のものや、絶対渡さへん」みたいなことが、こういう資本主義経済というか貨幣経済の元凶で、人々の格差を生み出しているわけです。

 「ここにあるものはみんなで使おうや、いる奴が持ってったらええやん」みたいな、原始共産的なそういう倫理観が今ないわけですよ。「俺のものは俺のもの、お前のものはお前のもの」みたいなね。

 それと人格の同一性です。人格の同一性がなかったら社会では契約関係結べないですよ。「昨日の俺と今日の俺は違うんや」というのは今の世の中で通用しません。
 
 でも、でもね、それだと昨日の僕と今日の僕とずーっと引きずらなあかん。要するに、ずーっと合理的・理性的な判断をして、その時の社会の常識に合致したことを言い続けなければいけない。「この世の中おかしい」って言い出した途端に、「ちょっと薬飲んだほうがええなぁ」「もうちょっと無理かなぁ、病院行くか?」みたいな感じで社会から隔離されてしまう。

 だから精神的な病気とかは、ものすごい社会の、政治的なことに支配されますよ。だから高血圧症の人とどう付き合うかなんて言われへんねんけど、知的障害のある人はどう付き合うかとか認知症の人とどう付き合うか、統合失調症の時はどう付き合うかとかみんな平気で言いますよね。

 知的なものとか精神的なものの病名が付いた途端に全人格を表すかのように言われてまう。これはおかしいと思うんです。そんな病名だけで相手のことが分かるかのように。

 それにほんとうに薬を飲んで死なないようにすることがいいことなのか。『ガリバー旅行記』[*37]に出てくる不死の人間の話知りませんか?

[*37]『ガリバー旅行記』:アイルランドの風刺作家ジョナサン・スウィフトにより、仮名で執筆された風刺小説。正式な題名は、『船医から始まり後に複数の船の船長となったレミュエル・ガリヴァーによる、世界の諸僻地への旅行記四篇』。

A:『ガリバー旅行記』って小人の国に行く話?

西川:
 そうなんですけど、小人の国だけじゃなくて、巨人の国とか馬の国とかいろいろ行くんです。日本にも来てるんですよ。不死の人間が生まれる国にも行くんです。

 死なない人間が生まれてきたら、額かなんかに印があんのかな。この子は絶対死なない。不老じゃないんやけど不死。癌細胞みたいな絶対死ねへん。ガリバーは不死の人間がいるならさぞかし幸せな国だろうと思って訪ねるわけですが、不死の人は一番その国の中では蔑まされて情けないもんにされてるわけ。なぜなら、どんどんどんどん能力落ちるのに死なないから。

 じゃあ、不老不死だったら最高なのか。でもそうなると老いには価値がないことになりますよね。老いにほんとに価値がないのか。ともかく、今は老いに価値が認められない社会です。簡単に歳とれるから。

 昔はそれこそ子どもから大人になることも一大事業やったし、大人であっても戦があったりだとか飢饉があったりだとか、いろんなことで全うできない。だから、長寿に自分がたどり着くことは、ほんとに稀な幸運と本人の努力とか、様々なものが重ならないと実現できない人々の憧れだったわけです。

 でもその中で、老いの中で身に付けるものって何なんやろって考える必要がある。たぶん効率性やとか力やとかそういうものではないものがあるんですよ。そのあたりを鷲田先生が『老いの空白』の中で、具体的には書いてないですけど、日本社会を変革するね、一番のパワーになるかもしれないって書いています。

 それで、僕は思うんやけど、ここ15年、20年ぐらい認知症の人のことと関わり続けてるけど、認知症の人に何かをするっていうのもうやめたほうがよくって、認知症を生きてる人から学ぶべきやと思う。何を学ぶんですか、みたいな感じやけど。

A:もう子育てとかと一緒ですね。ちっちゃい、何もできないけど、育ててる間に子どもに大人が成長させてもらえるとことか。

西川:
 王子もね、誰かのために役に立ちたい、自分の勉強になることはないかと思っていろんな人と会うんやけど、そういう根性でおる奴はほんとのところは人をバカにしたりしかない。そうではなくて、自分は大した奴じゃなかった、でも突っ伏してからいろんなことが分かってくる。

 僕は『星の王子さま』をケア論として読むっていうのが最初の茶山のテーマでした。ケアっていうのは、相手のできないことを何かするっていうような、それもちゃんと根拠を持ってちゃんと有効な介護をするのではないところにあるんちゃうかっていうような、僕の昔からずっと思ってることです。

 もちろん、薬について、僕は全員に飲むべきじゃないとは言うてませんよ。飲みたくないって言うてるんなら飲まないほうがいいと思うし。本人が「これ何とかしたら治る薬ないの?」って、先生が「これ出そか」言うたら「あぁ、飲みます」って言うんやったら飲んだらええと思います。

 まだ治りたいという希望とかを持っている人に「効かんで」って言うんじゃなくて、「これひょっとしたら効くかもしれませんよ。しんどくなったら言ってください。こんなしんどいことがあるかもしれませんから」っていう、そういう思いと共に処方するような医者と出会えればいいんですけど。

 精神科医の中井久夫[*38]さんは、自分が初めて向精神薬を飲む患者には祈りを込めて処方する。初めて飲ませる時には傍にいてるっていうよね。向精神薬飲んだ途端に自分はバカになったような気持ちになったりとか、妄想がスッと治まったりするから。変わるっていうこと予め説明するし、それで祈りを込めて相手に渡すし、最初の変化の時には自分が傍にいてるっていうことを徹底してやってきたって。あの人こそ臨床家やなぁと思うけどね。

[*38]中井久夫:なかい ひさお(1934年1月16日 - )。日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学、病跡学。神戸大学名誉教授。医学博士。文化功労者。

A:すごい丁寧な人もいるんですね。

西川:ずーっとそんなんできへんで、毎晩。でもいつせなあかんかっていうことをキチッと分かってるわけですよ、あの人は。そのおばあちゃんが、おばあちゃんからいろんなこと学んどいたほうがいいと思いますねぇ。

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