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[違和感という存在]~要塞を打ち砕く~COLORS~①



違和感…





それは
あなたにとって

どのような存在で

どのような感情でしょうか…。


違和感と言う響きには
ネガティブなイメージと感情を
思い浮かべる人が多いかと思われます。


そうですよね。


何故なら

文字通りに見れば
和みの違いを感じてるわけですから…

しっくりこないという感情があると捉えてしまうことでしょう。


違和感…



実は神の視点からは
違和感と言う領域には

二種類は必ずあるのだと
気がついて欲しいのです。


ここで二種類と言う表現を
使いたくはないのですが

使うとするならば


表現としては
海の波の色が

砂浜に近ければ近いほど
波は白く泡立ち
その色は
淡いけれども


沖の方を眺めれば
深い碧さがみられるように




同じ海でも
その深さや天候や
様々な視点から見れば
きっと表現の言葉も変わり行くものです。

しかし
海は海であるように

違和感はあくまでも違和感という
人の心の感情であります。


そうであるならば

この違和感と言う言葉を発する時に

あなたはどちらの
心の状態を思い巡らすのでしょう。


そして今回はとりあえず
二つと表現をしました。


.
.
.
.,




私は

洗礼を受ける迄に
様々な事がありましたが

その時間の流れの中で

不思議な違和感を
幾つか感じたものでした。

その一つひとつ
綴りますね…。



それは
私が
まだ小さなapartmentに暮らしていて

子どもを出産後も

日中は一人で
過ごしていた時の出来事です。

その頃
出会ったのは
ものみの搭の女性たちでした。

皆様もご存知の通り
彼女たちはとても熱心に
宣べつたえておりますね。

おにぎりなどの
差し入れをしてくださり

とても良心的な方達でした。

産後は誰に頼るわけもなく
パートナー以外は
一人でしたので

初めての事だらけで
必死でありましたが


いとおしい赤ちゃんを
抱きしめていられる
幸せな日々に


親として
どんな事でも乗り越えられると
希望がありました。


そんな時


聖書を学びませんか?と

急に書物を渡されて

色んなお話をしてくださるようになり
後に
お茶会をするようになりました。


そんな時にその教えについて
幾つかの違和感というものは感じましたが


私の中でそれも慎重に
そのつど
食物の様に味わい
吟味しておりました。

勿論
直感的なカンというものもありましたが

私は人を見る時には
若かりし頃から

一年間はどう感じても

しっかり
色んな角度から見ていく事が
大切な事と
決めておりましたので

(誤解や偏見があってはいけませんからね)

彼女達の言動
ひとつひとつ
見つめておりました。


そうして
物静かな雰囲気の中で
婦人達とお茶をした時の事です。



一人の七十歳くらいの熱心な婦人は
私にこう言いました。


「私はもともと通常のキリスト教会に
通っておりました。
そして聖書を知りたくて知りたくて

何でも聞きなさいと
言っていた牧師でしたのに


何度も何度も質問するうちに
お互いが上手くいかなくなり

教会を追い出させるような言葉に
傷ついて

私はもう二度と教会には
いかないと思った時に


こちらの信仰へと移ったのです…。」


そう
涙を浮かべながら語っておりました。


彼女を観察していて
様々を見つめておりましたが
ひとつの思いが浮かび上がったのてす。


それは後でお伝えしましょう…。


さて
そんな交わりを始めたばかりの頃


私達夫婦は

よくありがちな普通の家族であり

二人目を出産した事をきっかけに
新築マンションを購入して
その場所へと移り行きました。


そんな新しい住まいで

ポストの

郵便物に紛れていたものの中に
一枚のトラクトが
入っていたのです。

そのトラクトには大きく
こう記載されていました。



ものみの搭は
キリスト教ではありません。



ハッとしました。



どういうことだろうと…。

それで私は
ご近所の教会に問い合わせて
訪ねたのでした。


何度かお話を聞く導きがあり

そして
今に至ります。


しかし
真のキリスト教会と言われるところに
足を踏み入れて

その当時は
大変なこともありました。

冷たい目線や
心にない言葉も

無意識でしょうが
女性ならではの雰囲気は

多少なりともありがちです。

女性は
感情が豊かですから
仲間同士で集まったなら
そこは主が中心でなければ
どうしょうもありません。



私はまだ探し求めてる最中であるにも
関わらずものみの搭の信者さん扱いでした。

それも仕方ないですが…。




「あなたは達 ものみの搭って
自分達さえ救われたらそれでいいのでしょう 」


そう言われましたが


私にしてみれば
客観的に見て

ある意味視点を変えたら
あなた達も同じ事語ってませんか…と
思う気持ちもないわけではありませんが


ここは
真実に十字架の神様が解るまでは
忍耐であります…。


婦人会の食事会にも
参加をしていくようになりましたが

宣教師や外国の方が多いのもあるのでしょう

こどもの頃からそういった環境に
慣れ親しんだ姉妹等は


日本人から見れば

白い歯を見せながら笑い
大きなリアクション
ハグをしながら挨拶をしているのです。


「私達はいつもこういう風なのよ。」


彼女はバグした姿で横目で
そう言っておりました。


ちょっと
自慢げに見えたのは

きっと
私の心の在り方なのでしょう…


ふと

目が伏し目がちになり
その時は
戸惑いました…。


.
.
.

華やかな交わり

クリスチャン達の笑顔

明るくて大胆な宣教師
ハーモニカにアコーディオン


なんて素敵なのでしょう…

神様を信じてよろこび
歌う姿は

なんて素敵なのでしょう。


そんな自分とのあまりの違いに

違和感がぬぐえず

私はしばらく帰宅してからも
静まり考えたのです。


この違和感はなんだろうと…。


そうして私は様々な時の
流れの中で
今の愛する教会に導かれたのですが

また
そこでも同じように


明るくて
誰にでも笑顔で
社交的で
大胆な牧師先生の存在に

再び
違和感を覚えたのです。


その度、その度に

この感覚は

この違和感はなんだろうと…
立ち止まるのでした。



そんな日々を過ごすうちに

ある日
突然聖霊が稲妻のように働きました。


私の人生において
こんな体験を
するとは思ってもいませんでした。

なんと
ヨブ記をがむしゃらに
読みふけっている時に

神は衝撃的な聖霊の体験を
私に与えたのです。


悲鳴をあげて
脱ぎ捨てれないからだを
肉体を剥ぎ取ろうと必死でした。


助けて!助けて!助けて!

頭を抱えて
助けを求めました。


頭にある知識と
聖書のみことばの神の知らせは

あまりにもかけ離れすぎて
混乱してしまったのです。



泣き叫ぶ日々が
3日間続きました。

誰かを失った哀しみの如く
泣いて時を過ごしたのですが


後に

神は静かに自らの存在を
知らせてくださいました。




それが

十字架の血潮と
復活だったのです。


そして私は

気がつかされたのです。

違和感

それは

ものみの搭の人達の

人間の
心の傷を幾つか見たのでした…。

聖霊に満たされた後に彼女達を見た時

マインドコントロールというに
相応しいような覆われたベール


それからの解放を感じたのです。


日傘をさしてゆらゆらと
上品な服装に身をつつみ

陽炎の中に消えて行く
その彼女達の後ろ姿を見送りました。


そして時々思い出すのです。


ものみの搭の若い女性が
先輩の姉妹と訪ねにお越し頂いた時の事

まだ一歳の小さなお子の
積み木を片付けてくれていた時

漂ってきた心の波を感じたのです。


上品な悪夢…

彼女の不思議な微笑み

それは

逆らわない
良い子なのです…。

私はその若い女性を眺めて
切ない感情を覚えました。


そう
コツンコツンと
片付けている積み木の音から

押し寄せて来ました。


十字架を知ってから
ご近所の教会の兄妹姉妹に

イエスキリストを知らなかった
私の閉ざした心を告白し
悔い改めの言葉を伝えました。

あなた達が
嫌な存在に思っていましたと…。

しかし
不思議なみことばの体験から
この十字架の血潮を知った人達を
裁いていたのかと

そのあとも
たくさん涙したのでした。



そして私は
知るのです。


今も
祈りつつ

課題としているものは


私の生まれてから
育ってきた人生に深く根付いた

要塞を砕いて下さいと…。


その要塞が
良いにしても
悪いにしても


違和感をシグナルとするのです。


私の人生になかった
文化や習慣
風習のうちにとどまらず

明るくて活発な牧師先生達に
違和感を覚えるのは

それは
父親との関係でもあるでしょうし

また
引き寄せられたものみの搭の
女性との関係性も

祖母との関係もありますし

ずっとそこはいまだに
癒しが必要としています。


解き放たれない見えない
要塞の

緊張感はまだまだ
ありつつも

神は私を解き放してくれています。




今の私は
だいぶ

砕かれた方でしょうが

それでもまだ
多くの鎖は私に絡んで
頑なになっている事でしょう。


十字架の血潮は力があります。


それは


人生の破壊をもたらそうとした

私達の見えない存在から
入り込んだ
歪みを


要塞を

打ち砕く力があるのです。


囚われの常識や

心の傷


悲しみ


思い出すこともない
記憶にはない
組み込まれた負の感情


暗闇の背後の力は
世代を越えて

根付いて働きます。






私たちは
肉にあって歩んではいても

肉に従って戦ってはいません。




私たちの戦いの武器は
肉の物ではなく


神の御前で

要塞をも破るほどに
力のあるものです。




私たちは、さまざまの思弁と
神の知識に逆らって立つ
あらゆる高ぶりを打ち砕き

すべてのはかりごとを
とりこにして
キリストに服従させ

また

あなたがたの従順が完全になるとき

あらゆる不従順を罰する用意が
できているのです。


コリント人への手紙 第2 10章3節~5節

 





私はできる限り

この齢になって

静まり

主と共にいる自分を

見つめる時間を持つ事を
大切にしています。


ここ数年
2016から

引きこもる間


色んな感情の故に
制御出来ない自分との戦いでした。

訓練を何度も重ねて重ねて
祈り思う事は


内側の奥深くに

無意識の深海に潜む

沈めた感情の箱を

もう一度引き上げて

開き

明るみに出して

光に砕かれていかないと
いけないのだと
思うのです。


結局のところ
気がつかず

そこに辿り着けないで
いる限り

繰り返し繰り返し
起こり得る事となるでしょう。



今の私は
人から見て言われることは

全く正反対のような
お言葉を頂く事があります。


その時に

新しく神様が
つくり変えて下さっている事への
感謝を思わされます。



それでも
まだ私は
伏し目がちです。


神様に失礼のない生き方が
出来る迄に

まだまだ程遠く

それは
人から見ても
程遠過ぎて苦しくもありますが

それでも

あるがままの今を
受け止めて


これからも委ねたいと思うのです…。



~違和感という存在~


それは人にとって

危うい道を歩まない
直感的な導きもあれば


.知らぬ間につくられた要塞に気付くための
.良い導きへとなるシグナルとされた
違和感もあるのです。

.

.
.

.


暑い夏が近づいて来ました…。


陽射しの厳しい季節が来る度…

私は
思い出すのです。



涙を浮かべて語ったものみの搭の女性が

もしも

もしもですが

苦しいけれども

人を見ずに
ひたすら
神を求めていたならば
どうだったのでしょう。

もっと互いに素直になれたのなら
どうだったのでしょう…。


真面目な日本人
不器用な日本人の自分に
気がついていたのなら

どうだったのでしょう…。



そして取り巻く
多くの環境の中での
すれ違いも

その時の違和感も

神に静まる時間を

人間が
それぞれ持つことが出来たなら…。





そして
忘れられないあの風景…



コツンコツンと

響き渡った音

積み木を片付けている
若い女性…


とても良い子でした。

積み木を片付け終えた時の
表情は
とても印象的でした。


そう…

私は重ねるのです。



そこには

父と

私の


良い子の顔を…


まるで


積み木の箱に綺麗に
収まる様な






そんな姿を…。











ブルーグレィの教会で…



黒でもなく
白でもない


それは
人の心模様のグラデーション


不完全な人の独り言…。




感謝します。








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