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喧嘩した後に…。






2010-02-:47:03

テーマ:ブログ


この記事は
11年前の記事です。

その頃の
そのままをnoteに綴りました。

今は
きっとこの様な書き方は
しない私ではありますが

懐かしい純粋な私の若かりし頃のまま
こちらに綴らせて頂きます。


~喧嘩した後に…~



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





洗礼を受けたご近所の教会…。




洗礼を受けた後も
毎週日曜日には教会に集っておりました。




まだ暖かい時期の26歳だったでしょうか…

小さな二人の子供と一緒に
お出かけしていました…。




教会に出かける事に、
幸せを感じていましたから…


それはそれは
嬉しいはずなのですが…




ただ…

まだ主人が
救われていませんでしたので、



朝の仕度の時に…



主人と別々な行動になるのが
正直…

後ろめたい気持ちにさせられました…。








どんな時も一緒で…



主人と離れるのが出来なかった私は…


頭の中はいつも主人の事ばかりで…




帰宅した車の音も
すぐ気付き…


足音も聞き分けているような者でした…。(笑)



結婚してからは…
一人の時のような自由も
ないけれど…



何故か主人が
生き甲斐になっていて…



私のような者が
子育てが出来るのだろうか…


私が母親になれるのだろうか…



私が妻や嫁になれるのだろうか…


いつも不安が渦く中で…


唯一主人だけが
身寄りも
親しい人もいない

そんな地で…






主人だけが
私の相談相手でした…。









そうして
結婚して一年経った時に





現在住んでいる
教会のご近所に
住み始めたのでした。







その頃の主人は…



どちらかといえば
仏教にとても興味のある方で…




そのような会話になると、
仏教のお話をよく聞かされもしましたが…




だからといって…
イエス様を否定もせずに…






私が
聖書を読む事にも
受け入れてくれていました。




でも…


土曜日の夜の祈祷会に集う事については…


一生懸命家事をこなして
その祈りの1時間半を
楽しみにしていても、



よく反対されて
ポロポロ泣いてしまう事も
ありました。






私にとって、祈祷会とは…
私が人生の中で、
探し求めていたものだったものであり…



初めて参加した日には、

私はあまりの
魂の潤いに


驚嘆してしまったほど
唯一の時間でしたから…



その
祈祷会に何とか行かせてもらえた時は
幸せで幸せで…








今、思うと…



そんな自分が
懐かしく思います…。











そんな私達夫婦が…


その何気ない
日曜日の礼拝の朝…





何を理由かは
もう覚えてはいませんが…



喧嘩をしてしまったのです…。






気まずい雰囲気のまま
玄関のドアを開けて…




無言の主人を背中に感じながら


目の前の教会まで
トボトボ歩いた記憶は
今でも忘れられません…。




今でも

凄く辛い思いをしながら
半分泣きながら門をくぐった記憶があるのです…









あぁ…








喜びもなく
綺麗な心じゃない…
意地悪な心…












汚れて憤りのまま…




来てしまった…















ごめんね…






私だけ礼拝に来て…



もう憎んでないよ…
怒ってないよ…



どうしょう…



イエス様…



イエス様…




こんな気持ちのまま
礼拝に来て本当に…

ごめんなさい…















『ギィ…』






鉄の扉を開けて…



階段を一歩一歩…











そんな時…
少し遅れたせいか







賛美歌が聴こえてきたのです…






幼稚園の各教室を眺めながら
二階に一歩一歩…






その頃はまだ、



今のようなチャペルが
建てられていませんでしたので、




幼稚園のホ-ルに
椅子を並べて
礼拝しておりました。




当時は
エアコンもなく…
夏は暑かったけれど…




メッセージが聞けるだけで
何もいらなかった…



そう
決して上手とは言えない
たどたどしい
日本語の…

スウェ-デン宣教師の先生の
メッセージが


どんなに聞き取りにくくて
分からなくても





飢え渇いていたから…。













一歩一歩…


沈んだ心の
足取りのはずなのに…





何か







違う…









ホ-ルに入った瞬間…








私の見えるものが、





全て変わっていた…















薄い白い霧のような…
雲のような…




ぼんやりした中で…



兄弟姉妹が

なんと






緩やかに動いているのです…。





それは
まさしくスローモーション…









(主よ…これは?)







それだけではないのです…。





話す声も

ハンドベルのように
鐘の鳴り響く余韻が残るのです。


もちろんマイクなど
誰も使ってはいません…。



(一体、これは何?
なんて素敵!



きっとみんな、
私がこんな耳で聴いて、
こんな目でみんなを見てるなんて気付いていない…



でも、夢じゃない!




なんて気持ちがいいの!)
















その礼拝の最中は…



私は兄弟姉妹と挨拶を交わし、
握手をし…




一緒に祈る時も


賛美する時も…



礼拝の御言葉を頂く時も…


人の動きとは思えない


ずっとそのまま
スローモーションの動きと…



人の声とは思えない…

それは美しい



鐘の鳴り響くような
声が聴こえました…。



















『互いに赦し合いなさい…


主があなたがたを
赦してくださったように

あなたがたもそうしなさい。』













『私たちが自分の罪を
言い表すなら、
神は真実で正しい方ですから、
その罪を赦し、

すべての悪から私たちを
きよめてくださいます。』
















お酒に酔うのでもなく



薬物に酔うのでもなく…








私は…
しばらく

まどろんでいました…。




味わうように…。






(主よ…

天国はこのような
ものですか…)








主は…






私に慰めの聖霊で…






包んで下さり…





聖霊の香りで
酔わせてくださいました。












もう
赦されたから…

大丈夫…










礼拝を
喜びなさい…





…と、







語って下さったのだと



その時
私は感じました…。








なんという恵み…。















あれから何年か経った
今でも…








その時の礼拝を忘れる事は
ありません…。







私が悲しんだり…
悔いた気持ちになった時には…




必ず
神はいつも何かと
応答してくださり…






神はいつも憂いを喜びに変えて下さりました…。










まだ
救われたばかりだから…









もしかしたら
心配して下さっていたのかも
しれませんけれど…(笑)












それから…






幾度となく…







聖霊により…





満たされる事がありました。






また…

娘も24時間連鎖賛美では



頬が紅潮し、聖霊に満たされた顔を見た事がありました。






その後、娘にある力が与えられた事に気付いたり…





神は色々な場面で
助け主の聖霊の導きにより





道を歩ませて頂きました。







その礼拝後、


帰宅して主人と
仲直りが出来た事は…

言うまでもありません…。










喧嘩した後に…






聖霊様が仲直りさせて下さるのですから…。



でも…



あんな素敵な事は、
二度となく






それが最初で
最後の体験でした…。








『平和の君』である



主よ…







べそかいて、トボトボ歩いていた私に
目をとめて下さった事…





感謝します…。



















それから…

私は…










神の愛に感謝しながらも…







洗礼を受けてすぐに
与えられた







耳を疑うような神の言葉が…









現実に
自分の身に起こる事を…



まだ








その頃は
気付かずにいました…。









まさか
神の御計画が…









御声を
聞いていたとはいえ…






いくら祝福に至る道とは言え、

思いがけもしなかった
苦しい現実が…





待ち受けていて…




次々と
これから起こり
はじめようとしているなんて…


その頃の私には
想像がつきませんでした…。













そんな神の導きを
ただひたすら…





書き綴りましょう…








これからも…


















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