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号泣して気づいた「素敵な学校」の意味。

小学校の先生を辞めて、次の春で4年になる。
仲間と共につくってきた「ここのね自由な学校」も、もうすぐ4年。

その時間が長いのか短いのかは、もうよくわからない。
ただただ、これまでのどんな4年よりも自分自身と向き合い、試行錯誤を繰り返し、必死に「生きてきた」時間だった。

本開校して、2年目。
生徒も小学2年生から中学2年生と幅広い年齢の子たちが11名通ってくれている。

「素敵な学校ですね」

色んな人から、何十回も何百回も言われてきた。「本当にそうだ」と心の中で頷いている時もあった。だけど最近は、「本当にそうなのか?」と自分自身に問うことの方が多い。


「素敵な学校」だったら、どうして離れていく人がいるんだろう?
「素敵な学校」だったら、どうして悲しい思いをする人がいるんだろう?

「素敵な学校ですね」と言われる度に、自分の中ではもやもやとしたものが溜まっていくような気がしていた。


だけど、今日。
私の中のもやが晴れるような出来事があった。

ミュージシャンでマジシャンで翻訳家の大友剛さんが「ここのね自由な学校」にやってきて、子どもたちにマジックと絵本の読み聞かせと音楽をプレゼントしてくれたのだ。

大友さんは、2年前もここのねにマジックをしに来てくれた。その時もここのねの「誰がスタッフで子どもで保護者かがわからない学校の雰囲気」に感動してくれていた。

2年ぶりにきてくれた大友さんは、最初子どもたちの前に立った時には、感極まって涙ぐんでいた。

「久しぶりに来れて、すごく嬉しい。ここは本当に素晴らしい学校だ」

そう言って、本当に嬉しそうに、そして楽しそうに次々とマジックを披露してくれた。もちろん、子どもたち、いや、大人たちも大友さんのマジックとトークにぐんぐん引き込まれた。

えええ⁉️どういうこと⁉️びっくりのみんな🫢


「60分の予定がみんなの反応がとっても良くて、楽しすぎて時間オーバーしちゃった!!」と気付けばまさかの90分!

それでもめちゃくちゃ笑って、感動して、あっという間に過ぎた夢のような時間だった。

最後には、いつもここのねに音楽の外部講師として来てくれている三人の音楽の先生たちも交えて一青窈さんの「ハナミズキ」の合唱。歌声が心の隅々に染み渡り、胸が震えて涙が出た。絵本には「戦争」の描写が多く、歌詞の背景を知りたくなった。


最後に大人も子どもも輪になって、ひと言ずつ感想を言い合った。

「めちゃくちゃ感動した!!」
「全部面白かった」
「マジックは簡単そうに見えるけど、努力してできるようになるんだと思った」
「最後の歌のみんなのバランスが絶妙で鳥肌がたった」
「絵本の中に出てきた猫のピートのように前向きに生きていきたい」
「今日、この場にいられたことが嬉しい」
「自分自身を見直すきっかけになった」

……

なかなか言葉にできない子の言葉は、ゆっくりみんなが待っている。
そこに焦りも不安もない。
ただ、その子の口から言葉が出るのを信じている人たちがそこにいるだけだった。

誰かにどう評価されるかを気にしている訳でもなく、
上手に話すことでもなく、
早く話すことでもなく。

だからこそ、子どもたちの言葉は、自分の内側から出たまっすぐな言葉たちだった。


さて私の番が回ってくる。
どうしよう。
もうすでにこの雰囲気に涙が止まらないのに。
うまく話せるだろうか。

そしてとうとう自分の番が回ってきた。ハンカチを握りしめ、ドキドキしながら話し始めた。

「学校をつくり始めて、もう3年半くらい経ったんですけど……やっぱり学校をつくるって大変なことも多くて……」

そう言ったところで、もうダメだった。涙が次から次に溢れる。しゃべれない。だめだ。ここで子どもたちの前で泣いて終わったら、学校づくりが辛いみたいになってしまうじゃないか。

焦る気持ちを抑えて、やっと話し出す。

「でも、今日大友さんが素敵な学校だって何回も言ってくれて、子どもたちも本当に楽しそうにしてて……」

号泣。

もうこれ以上何も話せなかった。言葉が出なかった。心がもう一杯で何も言葉にならなかった。

そんな私にみんなが温かい拍手をくれた。

「もー、ななっぺ最後にすればよかったじゃん!次の人感想言いにくいわー!笑」

スタッフのナイスフォローでみんな爆笑。まだまだ泣いている私の次の子へと自然とバトンが移っていった。



私は、一応なんちゃって「校長先生」としてこの学校にいる。だけど、その「校長先生」は、子どもたちより全然感想もうまく言えなかった。


だけど、それでいい。
それがいいんだと思う。

こんな大人でいさせてくれて、ありがとう。

ここにいるみんなに感謝の気持ちでいっぱいになった。


「ここは、素敵な学校だ」

次にそう言われたら、私はどう思うんだろう。

全然完璧ではない。
まだまだ理想には程遠い。
だから、離れていく人もこれからもいるだろうし、誰かをがっかりさせてしまうこともあるかもしれない。

どんなカリキュラムで、どんな場所で、どんな授業があって……

そんなカタチもとっても大事。すごく大事。

だけど、もっともっと大切なものは、
そこに人の温かさがあるかどうか、なんだと思う。


話せなくてもいいよ。
泣いてもいいよ。
間違ったっていいじゃないか。

そんな風に思える場所、そんな風にみんなが待ってくれる場所は、やっぱり「素敵な学校」なのだと思う。

そんな場所に一番救われているのは、実は私自身なのかもしれない。

心温まる時間。
笑いと涙と感動あふれる時間をくれた大友さんとみんなに心から感謝!


全員で写真撮り損ねたー!残ってた人たちでパシャリ📷





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