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あなたのかたち 見える気がしたんだ


数ヶ月前、好きなアーティストさんにお願いをして 絵を描いて頂いた。

“三年前に亡くした 大好きなおばあちゃんのイメージで描いて頂きたいです。”

寛容な心でいつも 周りの人の感情を心の真ん中で受け止める、とてもやさしく 笑顔がかわいいおばあちゃん、
病院で私の兄がおばあちゃんに アイスを食べさせてあげようとしたら「恥ずかしいから自分で食べるよ…」と顔を赤らめてしまうような ものすごく乙女な一面も持っている。
紫が好き。

きっと、いや 絶対、ものすごく難しいお願いをしてしまったと思う。

自分以外の 人が大事に思うひと を表すこと、難しいよね…  
素人の私だから思うかもしれないけれど かなり難しいことだと思う。

でも、3年前に この方の絵を初めて見たときに    祖母のカタチを描いて欲しいな   でも今では無い  いつか…   と思い描いていた。

そのときはまだ 祖母の死を認めていない 息をする生命としてまだここに居ると 思い込んでいた。というか そう思いたかった。(それは今もなのけど)
しっかりと向き合えるようになったら お願いしよう と決めていた。

3年前のわたしは  お願いするときは きっと 祖母との別れとしっかり向き合い そして立ち直って前に進んでいるのだろうと思っていたが、いざ お願いしようと思ったタイミングはそうでは無かった。

日々を過ごし ふと もの凄い孤独感に襲われた瞬間があった。そのときだった。
その孤独感は 祖母が居ないから というひとつの理由ではなく、 日常生活の中で 自分と他人の意見に違いが生まれたことを感じたとき   どこから生まれたのか分からない 世間の “普通” にのみこまれそうになったとき  たくさんの一瞬が重なったのだ。

大切な人はたくさん居るし わたしを支えるものはここにたくさん在る。 意見が違くても 受け入れてくれる人はたくさん居る。でも 一瞬その周りが真っ暗になった。 きっとその一瞬が起こる前から 知らず知らずのうちに積み重なっていたものがあったのかもしれない。
そのとき、ふと このアーティストさんの絵が思い浮かんだ。 “今だ…” と思い 勢いで連絡をした。

そして アーティストさんに 最初に述べた文章を送ったのだ。
そうすると、“その愛おしい思い出や寛容で優しいそのお人柄を感じられるような作品を制作したいです。” と言ってくれた。 この時点でわたしはどこか救われた気がして  この方に 頼んで良かった  と心から思えた。


そうして そこから約1ヶ月が経った日、出来上がった作品の写真が送られ 見たいという衝動で 出先で見たのだが、涙がこぼれて止まらなくなってしまった。
元気な祖母の優しい声 愛らしい笑顔 温もり、   そして祖母の息が永遠につづきますようにと 手を握って願った病室の匂い  すべてが刹那に思い浮かんだ。

真っ暗だと思っていた 自分の周りに、祖母のやさしい光 が絵を通して 注ぎ込んできたのだ。
頼んで良かった  とこの瞬間も思った。


そこから数週間後、その作品が手元に届いた。
素敵な包装をほどいて いざ、作品を目の当たりにすると心がじいんと真ん中からあたたまるような、心が守られているような、でもどこか 胸がずきんと痛むような、不思議な感覚がした。  
作者さんの 作品へ込める魂、このふたつをお願いしたきっかけである わたしが祖母を大切に思う気持ち  を込めてくださったから 起こった感覚だと思った。


生きている上で 色んなことがあるし、色々なもの こと に向き合わなくてはいけない その日々の中で、この絵に触れることでしか得ることの出来ない 勇気 や 柔らかな気持ちがあるだろう。

この絵に込められた 大好きな祖母との記憶と共に わたしも祖母のような 寛容な女性になれるよう、日々を大切にしたい。


大好きなあなたが
そばにいないときに ほら 胸が痛くなって
あなたのカタチ 見える 気がしたんだ

アイノカタチ

あのね あのね ずっと 大好きだよ
大好きだよ ありがとう

アイノカタチ

ずっと 此処に居てね。


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