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たけし軍団の次に匹敵する親戚

お久しぶりです。
そして、

あけましたね、2020年。
今年もよろしくお願いします。

(いつの話だコラ)

さて、
すっかりnoteの更新が止まってしまっておりましたが

また再開したいと思います。

コロナウィルスという、
最大級の敵を目の前に、

今、必須な内容ではないとは思います。

でも、その先に伝えたいことがあるので、
家で【自粛】しながら記事を書きました。

セロリその2

(詳しくは前の記事をご覧ください)

簡潔に言うと、

【あたしを作り上げてきた環境。その2】

ということですね。

まあ今読み返すと、
「今更何を振り返ってんだろうか」
自分で思ってしまうのですが、

中途半端に辞めたくないので、
続けさせていただきますね。

あたしには、
たくさんの親戚がいて、

いやそれはもう、皆辿っていけば
親戚はたくさんいるんだと思うのですが、

あたしの場合、

最近の日本では珍しいくらい

常に親戚が集合する。

という環境で育ちました。

今でもそれは変わりません。
(たった今はコロナの感染を防ぐ為、
集合はしておりませんが。)

“楽しそうですね。
いい環境で育ったんですね。”

そうなのかもしれません。

たしかに今のあたしは、
この環境で育って良かったなあと思えます。
でもそう思えるまでには、
その環境なりの大変なこともありました。

なぜ、“たけし軍団に匹敵する親戚”と言うのか

少しお話しさせてください。


まあ小さい頃と比べると、
運動会とか、学芸発表会とか、夏休みとかがない分、すこーしだけ疎遠にはなりましたが、

毎年お正月。

お正月は必ず

20人以上が集まる親戚の会があります。

今年もありました。
従兄弟二人が結婚し、
可愛いベイビーも増えたので、
また賑やかになりつつあります。

あたしの親戚での特殊な集会では、
3つの儀式があるのです。

ちょっと特殊ではありますが、ご紹介します。

まず、未成年の子にとって、
この集会はウハウハなのです。

お正月というと、楽しみなのはお年玉

この集会でももちろん、
そのお年玉をもらう時間があります。
でもきっと想像している貰い方ではありません。

集会の儀式①
【大人たちが列になって、
お年玉を子供に渡しに行く】

普通は子供が貰いに行くところなのに、
ここでは大人が列を成して渡していく。

ふと我に変えると、
とっても滑稽な光景です。

こればっかりは、
あたしも本当に楽しみだった。

わくわく、ウハウハです。
むしろこの滑稽なお年玉儀式のためにこの集会に行っていた、と言っても過言ではない。

だって、“行かないとお年玉は貰えない”という
大人たちの考えた巧妙なルールだったから。

ま、もう立派に“あげる側”ですけどね。
(ふてくされ)

さらに、このお年玉儀式には
またまた細かいルールがあります。

それは、

【1家庭が1人にあげる額が皆均一】

ということ。

0才〜義務教育が始まるまで=1,000円。
小学生=3,000円
中学生〜高校生=5,000円
大学生=10,000円

例えば、
私の従兄弟が高校生3年生で
親戚に8家庭あるとした場合、
1家庭 5,000円×8家庭= 40,000円

合計で40,000円のお年玉を貰える
ということになる。

そして1家庭というのは、1世帯。
一人暮らしは1家族扱いとなる。

このルール、
学生のうちはお年玉を貰えるのだけど、
私のように自ら大学を行かない道を選んだ者にはちょいと厳しい。

高校卒業後に社会人になった場合は、
20歳、つまり成年になった段階でお年玉をあげる立場にならなくてはいけない。

あたしは、親の反対を押し切って大学に行かず、きっちり就職したわけでもなく、
芸能という道を選んだ。
そして、実家も飛び出し、一人暮らし。

更に、
年下の再従兄弟たちが何人もいるので
ひとりでお年玉をあげる立場になった時は…
痛かったなあ。
すごく痛かったのを覚えている。

でも、あたしが選んだ道。

だから“別に余裕だけど”
って顔をして渡してたっけなあ 笑

でもこのお年玉儀式は、

お金の大事さを感じる
いいきっかけにもなった気がする。

貰ってたうちはあまり何も考えず
ただただ嬉しかっただけだけど、

あげる立場になると途端に、

【お金って大事なんだ】と思う。

もしかしたらあたしがまだ貰っていた頃、

このお年玉をあげることが、
結構辛い環境の家庭もあったのかも知れない。

あげる立場になって初めて

「このお金大事に使ってね」

と思った。

同時に、

“自立する”ということを

身に染みて感じた。

あたしはもう、大人。
一人前になるために、もっともっと頑張ろう。と。

まだ未熟な子供達に、
時間をかけてお金の大切さを教える。

とても素晴らしいルールだ、
と今では思います。

もちろん、そんなことを深く考えて作ったものではないんだと思うけれども。


そんなお年玉儀式が一通り終わると、

みんなでご飯を突き、
お酒がいい感じに入ってきたところを見計らって、次の儀式が始まる。

集会の儀式②
【挨拶と今年の抱負をひとりずつ話す】

これは年の功順に、全員必須で行われる。
幼稚園生だとしても、90歳だとしても、だ。

あたしが親戚の中で一番
“自由奔放”にやらせてもらっているので、
いつもこの時間には少し戸惑う。

・何を報告すれば良いのか。
・寧ろ、謝りから入ったほうがいいのか。
・先の見えない抱負ってどう言えばいいのか。

そんなことが頭を駆け巡ることがよくあった。

だからこそ、
「行きたくない」と思う年が何回もあった。

今ではあたしのここでの挨拶が、
少しずつ親戚の笑いのネタになってきつつあり

むしろ、
この自由奔放娘を笑い飛ばしてくれる親戚に、
安心感を覚え始めたくらいだけども。

ここで毎年報告をしなければならない。

となると、
否が応でも、自分のことを強く見つめ返す。

・あたしは今年、何をしたのか。
・それを胸を張って伝えられるのか。
・あたしが本当に好きで、今後やりたいことはどんなことなのか。


そうすると、最近はいつもこの儀式の最中に
「この人たちを笑顔にしたいなあ。」
って思う。
せめて、みんなが元気なうちに。

親戚一の劣等生から、
親戚一の面白い奴になってやる。

そうやってお尻に火をつけてくれる親戚の集会には、いろんな意味で感謝しています。

あ、ちなみにこれは、
あたしの母方の家の集まりで行われます。

大人数の家庭をお持ちのかたは、
ご参考になるところがあれば嬉しいです。
(なるかどうかさっぱりわかりませんが…)

あたしのひいお爺ちゃんが、
何よりもみんなで集まるのが好きだったから。

だからその文化が今でも続いているそうです。

さて、話は脱線しましたが、
まだ集会は続きます。

集会の儀式③
世代を超えて、カラオケを楽しむ】

親戚全員でカラオケをするんです。
カラオーケストラです。

歳なんか関係ない。
知ってる知らないなんか関係ない。

好きな歌をひとりひとり披露する時間。

さあ、やってきましたよ、
あたしの好きな時間。

とか言っていますが、
あたしは中学生くらいまで
この時間が嫌いでした。
自分の歌がヘタクソすぎて、嫌いでした。
同世代ならともかく、
みんなが歌うのは古い歌ばかりだし、と。

でも今は違います。

この時間にまず最初に起こることが、
率先して歌いたがる人がいない。

大人数のカラオケだとよくある光景ですよね。

まあ確かに、親戚の中で音楽をやっている人はあたしとお母だけ。
でもみんなが歌を好きなことはとってもよく知っている。

なので最近はあたしが
先陣を切るようにしています。

歌うのは【銀座カンカン娘】

「これ〜が〜ぎんざ〜の〜カーンカンむすめ〜♪」

ばあちゃん達は勿論知ってる。
若い子はとりあえずノリはいいから、
手拍子できる。
そして、替え歌もやりやすい。

「これが〜佐々木〜のカーンカンむすめ〜♪」
みたいな。

その後、あたしは、もっぱらMCに徹します。
(ちなみにお母は音響係。)

まあ、同世代の友達と行くカラオケのような選曲はできないし、
(趣味じゃない曲だと、あからさまにつまらなそうな声を上げる長老たちなので笑)

ちょいと気を使うのをめんどくさがりながらも、

でも、この時間のおかげで
日本の古い歌を沢山知ることが出来た

なかなかないよ。
80歳を優に超える人たちとカラオケができる環境なんて。

あたしがボーカルで参加してるバンド

【JackUp】

(昭和歌謡からJPOP,Rock,懐かしの名曲を今までないアレンジでパフォーマンスするバンド)

今、このバンドに入って
心から楽しんでいるのも、
親戚のおかげだと思う。

知ってる曲ばっかりなんだもん。笑

この親戚一同カラオケタイムは、

もう天国に行ってしまったけど、
あたしの大好きなおじいちゃんが大好きな時間だった。

「ルビーの指輪」
「昴」よく歌ってたなあ。

お婆ちゃんの十八番は「川の流れのように」
大おばの十八番は「すみだ川」
おじさんの十八番は「いとしのエリー」
おばとお母は「UFO」や「部屋とワイシャツと私」など

それはそれは様々な曲をここで知った。

こんな親戚だからなのかもしれない。


あたしが映画デビューをした

【フィギュアなあなた】

の舞台挨拶の時のこと。

親戚が、まるで「運動会か!」
って突っ込みたくなるほど駆けつけて、

映画館の横一列を陣取ってくれて。

**たとえフルヌードだったとしても、
この人達は偏見の目で見なかった。 **

きれいねえ」って
あたしの銀幕デビューを喜んでくれた。

話の内容は分からなかったかも知れないけど、
あたしはもう十分、
それだけでもう十分嬉しかった。

思春期から22歳くらいまでは、
親戚での集まりがめんどくさくて、
いつもぶーつくたれてて、
感謝の言葉も忘れかけてたのに。

この時は、
本当に心からありがとうって思った。

めんどくさい親戚に囲まれて育って
あたしは結局、幸せ者だなあと。

だから、あたしにとっては
たけし軍団並みに
強力な存在の親戚軍団なのです。

いつもありがとう。
お陰様で、頑張れてるよ。

今このご時世、

歳が離れている人と向き合って付き合うという環境が、少なくなっている気がする。

上司が面倒くさい。頭が硬い。
先輩が暑苦しい。
今の若者はすぐに折れる。
何を喋っているのか理解できない。

そんなこと言ってたら何も始まらない。

めんどくさいかもしれないけど、
同世代だけじゃ気付けないことがある。

もちろん同世代同士の付き合いも大事。
でも、

今、この時だからこそ、
世代を超えてコミュニケーションしていく。

そうしたらもっと
愛に溢れる世の中になるような気がして。

これはあたしが、
めんどくさい親戚に囲まれて育ったからこそ思う、あたしなりの考えです。

もっと人を求めて、

もっと熱くなろうよ。

これは
あたし自身にも言い聞かせる言葉として
ここに書いておきます。

長い文章を読んでいただき、
ありがとうございました。

佐々木心音


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