見出し画像

あなたはゾンビですか? 人ですか?


なんとなく過ごしている
なんとなくやっている
つまりなんとなく生きている

私はこれを「死んでいるのと変わらない」と感じます。

機械のように
決まったことをやり
プログラムされたように
物事に反応し
感情も湧き

こうするんだ
という「意思」が
そこに見えない。

これは死んでいるも同然だと私は思うのです。


逆に言えば

生きているとは、

意思を持っている

ということであり、

意思の強さや方向が

「その人」

だと思っているということです。

なのでそれが見られない人は

言葉が悪いですが

人形

時には

ゾンビ

に見えます。

たまに、自分のこともそう感じて焦ります。


 私はオンラインゲームをやっているのですが、ここにもゾンビと人が入り混じっています。

なんとなくやっている方もいれば

命かけてる!

とまで言い切っているいわゆる「ガチ勢」の方もいます。

私は「ガチ勢」が好き。

リアルとゲームは別だ

と考える方もおいでですが

別ではないのですよん。

リアルの自分が「今」
「ゲーム」をしているわけです。

普段から「意思」を持っている人が、ゲームの時だけ「無意思になる」ことはないのです。

だからガチ勢を見かけると
人生も充実してそう!
・・・って、うれしくなるのです。


私がやっているあるゲームは

敵味方に分かれて戦うもので「城を守る」防衛戦というのがあります。

しかし、私たちのボスはゾンビなので勝ち負けの意思がありません。

戦闘は「結果的に」防衛に成功したり失敗したりします。

ゲームとしてはとてもつまらない。笑
それで、離脱していく仲間もいます。

逆に戦闘に「意思がある」とは

今日は絶対に勝つので
各自マックスで臨んでください!
ただ、無理な課金は禁じます!

今日はあえて城を落とさせます!
みんな課金なし、アイテム温存で!

今日は勝ち負けどっちでもいいです!
みんな仮装して参加してください!

みたいなことですね。

何をやるか先に決め
その方向に進む

ということです。

ボスと話しました。
なりゆき任せのチームならつまらないから抜けたい、と。

なんと、彼は職場でもチームから抜けたいという後輩が続出し、出世に響いているとか。

まあ、そうですよね。

さっきも書きましたが
リアルとゲームは切り離されていません。
リアルの自分が「ゲーム」をするのです。
ゲームに意思が見えなければ、日常もゾンビである可能性は高い!

日常にはいろ〜〜んなルーティーンがありますよね?

このルーティーンこそ
意思を持たないと
知らぬ間に
自分がゾンビ化していきます。

自動作業化していたら
もう意思がありませんから
ゾンビ!

彼とはそんな話をしました。
(さあ防衛戦は今後どうなるかなー?!)



成功者にゾンビはいません。

成功したいなら
うまくいきたいなら

意思を持つ

ことが欠かせないのですよね。
コーヒーを一杯いれるにしても。

それに成功以前に

せっかく!
人間に生まれたのですもの。
人として充実して
生きていたいじゃないですか。^^

そして
意思を持つのは今からでも遅くはないのです。

どうしたいかを明確にし
そうすると決め
やる。(その方向に進み続ける)

まもなくランチの時間。

何を誰と食べるのか。
どんなランチタイムにするのか。
意思を持ち向かえば
ゾンビタイム終了です。

飯干りえ奈ドットコム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?