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深夜散歩と鞦韆少女

 座ったまま小説を書いていると、段々と血の動きが鈍くなってきます。多動症なもので、椅子の上でも脚の筋肉がぐんぐん動いたりはしているのだけれど、それでも一、二時間と似たような姿勢を続けていては思考も堂々巡りしてしまうというもの。こういう時は散歩をするに限ります、考え事は捗るし、体を動かすので健康に良い。
 丁度ティッシュペーパーを切らそうとしていたので、それを買うのも目的の一つとして、夜の街へと歩を進めました。散歩、買い物、考え事を同時に行います。マルチタスクは得意ではないですが、言葉の響きは好きなのでやりたかったのです。

 コンビニの前まで歩いて、財布を忘れたことに気が付きました。自分がシングルタスクすら、まともに出来ない人間であることを忘れていました。かけ算が苦手と言っている小学生が、たし算を出来るとは限らないのです。
 仕方がないので親に助けを求めることにします。こういう時に頼ることの出来る友人を僕は持っていないのでした。皆さんは賢いという意味です。

 親に小遣いを頂きました、なんて便利な世の中。今すぐ立ち上がっても良いのですが、ブランコの居心地が良かったので、暫くの間は遊ぶことにしました。
 思えば小学生の頃はブランコでばかり遊んでいました。休み時間が来るたびに校庭にダッシュしていたのを覚えています。目を瞑ってブランコを漕ぐと、自分じゃ到底かなわないようなものに振り回されている気分になります。その間は、集団の内の一つだということが強く意識することが出来て好きでした。
 あの頃のように、目を瞑ってブランコを漕ぎます。脚を動かすので、血も巡って調子が良い。身体も大きくなってしまったので揺れは小さく感じますが、微かに小学生の頃の感覚があるのでした。
 しばらく漕いでいると、「ねぇ、そこ私の場所なんだけど」と、突然声をかけられたました。目を開けてみると女の子がいます、少し年下に見えるので、高校生でしょうか。「こんな時間に女の子が一人じゃ危ないよ」と言うと、「あんたの方が腕細いでしょ」と言われてしまったので困りました、まったくその通りです。
 僕がうだうだとしていると、彼女は不機嫌そうに隣のブランコへと腰かけてしまいました。これは不味いと思った僕は、「早く帰らないと、知らない人に酷いことをされるかもしれないよ」と言います、少し気味悪いですが仕方ありません。すると彼女は俯いたまま、「酔ったお父さんよりひどいことするの?」と言ったので、僕は何も言えなくなってしまいました。
 「お父さんより酷いことするなら、してよ。あんなお父さんでもマシだったって思えるかもしれないじゃん」
 そう言った彼女の横顔が、ひどく、ひどく、脆く幼く見えたので、僕は今すぐにでも抱きしめたくなりましたが、それはひどいことなので出来ませんでした。
 その後は軽く話をしていました、大体は彼女の愚痴を聞いていただけでしたが、今の僕に出来るのはそれくらいしかなかったのです。雰囲気を明るくしようと、「財布を忘れちゃったから、公園に小銭が落ちていないか探しに来たんだ」と言ったら、「なにそれ」と少しだけ笑ってくれたのは良いことでした。
 小さな足音と共に、公園沿いの道に人影が見えました。彼女はびくっと体を震わせて「お父さんだ……」と、怯えていました。街灯の逆光で顔は見えませんが、バットのようなものを持っているように見えます。僕は、彼女の手を取って強く握りました。冷たくて小さい手のひらを感じながら、何かがあったら絶対に守ると、拳に決意を固めます。
 人影は公園に入ってくると、ベンチに荷物を置いて軽くストレッチをします。そして、バットを両手に持つと、ふんっ、ふんっ、と素振りを始めました。何回か振った後にこちらを見ながら「深夜なのに一人で何やってんだ……」と呟かれたので、僕はブランコの鎖から手を離して立ち上がります。手のひらは冷えた上に、錆が付いて汚れていたので家に帰りました。ティッシュペーパーは買い忘れました。


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