†死者蘇生†

 死人が生き返る体験をした人ってのは、地球上にどれだけいるだろうか。僕は体験したことがある、死人が蘇るところを。
 高校時代は学校で睡眠をとって、深夜はネットで活動する日々だった。進学校と謳われている場所に通っておきながら、僕は勉強というのに取り組む気は一切なくて、高校三年生の半ばになるまで受験に対して努力もしていなかった。
 インターネット上ではそこそこ面白い人として、まぁ色々して、友達がそこそこいた。オフ会なんかも何度かして、ネット友達以上リア友未満みたいな人がそこそこいた。同人イベントなんかにも参加して、そこそこ楽しかったのを覚えている。今は距離を置いているんだけど、ふらっと戻っても受け入れてくれるだろうか。
 ことは唐突だった。というより、僕が気が付けていなかったのだと思った。「訃報のお知らせ」でも、TLに普通に流れてきて、いいねが点くんだと知った。
 通常の悲しい出来事と大きく違うのは、自分のことを、全く可哀想だと思えないところだった。悲しい出来事が起こった時、そんなことが起こった自分の不運を恨んだりする。たとえ人を車で轢き殺したって、ああ、こんなことになった自分が可哀想だと多少なりとも感じるだろう。友人の自殺というものには、それが一切ないことを知った。自分が気づけていればとも考えられなかった、考えたら堪えられないからかもしれない。一方で、よくも死にやがったな等と考えることも出来ないわけだから、ただただ、悲しい味のガムを噛んでいるようだった。味がしなくなったら、自然に忘れていった。心に強い傷が残ったりはしなかったけれど、なんだか萎えてしまった僕は、アカウントを捨てた。
 僕は自殺否定派だ。論理的に考えたら、自殺なんて有り得ない。論理的に考えられなくなった人が取る行動だと思う。自殺をするべきかしないべきかなんてディベートがあったら、肯定派を塵も出ないほどにボコボコにする自信がある。そんな状態の人をボコボコにしても良いこと何もないから、やっちゃだめだけど、自殺を良しとする人がいたら絶対にNOとは言う、嘘はつきたくないから。まぁ違う話だから、それ関連は別の機会で。ちなみに、そういう人に必要なのは全部を許してくれる人間だと思う。

 んで、ふと久々にログインした時に、そいつが生き返っていることを知った。一度は本気で死んだと思った人間が、生きていた。経緯は知らないけれど、なんか色々あったのだろう。
 それほどまでに追い詰められていた人間をどうこう言う気にはならなかったし、生き返ったのは良い事だから、喜んだ気がする。複雑だった、なんだか笑えた。取り敢えず、今日は祝日にしようと思った。きっと昔の人もそうだったんだろう。

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