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サウナ/寺

 画像は大学にあった、死体が埋まってそうな生垣。

 あけましてどうもです。今年こそ頑張ります。
 最近投稿していなかったですね。暇なときは取り敢えずnote開くんで、他人の記事は読ませて貰っているし、寝起きに書いた鬱ポエトリーや夢日記みたいな没記事は大量にあるんですけど。需要が無いんで……てか見せたくもないし。

 なんにせよ、年明けですからね。何かしら生体反応は残しておかないとなみたいな、そういった思い。

 ちょっとやってダメだったものを、思い切って大量に消費したりすると、新しい世界が見えてきたりする。牛丼屋の紅しょうがのことだ。例えば並盛を六割くらい食べると、段々と”別に楽しくないな”って気持ちになってくる。そのタイミングで、店員さんに「食べ方間違ってますよ」って言われるくらいの量の紅しょうがを一口で食べると、それはもうサウナの後の水風呂の如く整うのだ!
 サウナの後に水風呂はいったことないけど。

 辛みと酸味はグイっといくと世界が変わりがちだ。酢とかも、ちょっと舐めるだけでワア! ってかんじだけど、あれを嚥下できる量いくと、サウナだ。
 世の楽しいことは基本サウナだ、僕はよくDJMAXというゲームの対戦機能で遊んでいるのだが、環境が悪いのか、マッチングする敵が弱すぎて負ける気がしない。三十戦すると三十連勝できる。一見最高だが、別に嬉しくはない。
 一方で、スプラトゥーン3というバカとガキとオタクしかやっていないゲームがあるのだけれど、最高だ。ボロボロに負けては対戦相手のほくそ笑む顔を想像して机を叩き割り、連敗の末に勝利したときは、それはもう、サウナだ。

 サウナマスターの僕からしたら、呼吸だって出来るだけしない方が良い。試しに十秒間ほど呼吸を止めてみてくれ。スタート、はい、はい、もういいよ。どう? 気持ち良いだろう。無呼吸の苦しさから解放されるのは気持ちが良い。僕は頭を患っているので、よく呼吸をするのを忘れる。だが、久々に吸う空気が美味しいので、悪くないと思っている。僕レベルになると、日常がサウナなのだ!
 サウナの後に水風呂はいったことないけど。

 ……この天丼で記事一つを完結するのは弱いなと、ここまで書いて気が付いた。僕も老いたものだ。

 新年、寺に行って経を唱えたりした。敬虔なわけでも徳が高いわけでもないのだけれど、家で寝ているよりは良いと思ったのだ。気付きと言えば、経をあげるのはストレスの解消になるということだ。僕はカラオケが嫌いだ。憎くすらあるかもしれない。大学生というのはスマブラとカラオケで構成されているから、どちらも苦手な僕は大学生に成りきれていないということになる。
 その点で、経というのは音痴でも参加できる。都会では大声を出せない、都会で大声を出すには歌が上手くなければいけないのだ。カラオケに行くと0.3曲目で喉が枯れてしまう僕は、悲嘆を叫ぶ権利すらないのだ。
 振舞われた甘酒は鉄の味がしない分、自販機のやつよりはうまかった。 ありがたいことったら、それくらいで、お説教の間は幢幡を数えたりしていた。
 経を唱えている最中に小説のアイデアなんかも浮かんで気分が良かったのだけれど、焼香銭(お賽銭)のことを忘れていて、二十歳にもなって図々しく親戚から受け取ったお年玉の千円札を入れた。推しの神社にも五百円玉が最大だったのに! 僕はキャッチに捕まった時のことを思い出した。

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