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仮に、芸術が恋人だったとして

 noteの嫌な点としては、文章を書かないといけないというのが大きいです。これは裸を見られているのと変わらない。でもまぁ、裸を見せるのが楽しいということは、裏垢男女やトレンチコートを着た変態が証明しているでしょう。noteの良い点は、裸を見たい人しか来ないというところです。

 芸術に魅入られている。言い訳だけれど、僕が今まで男女の関係を上手くやれなかったのは、芸術が全て悪い。女性と付き合う時に芸術の顔がちらついてしまう。女の人と付き合えたら良いだろうなという感覚を持ちながら全て放棄してしまったのは、僕が未だ芸術に告白していなくて、フラれていないからだ。
 僕が書いている小説は、全て芸術への恋文だ。僕には頭が足りていないから、作品にメッセージ性を込めることが出来ない。どうしたら面白くなるかな、といった気持ちで精一杯なのだ。メッセージを込めたいわけでもないけど、敢えて込めていないのではなく、込められていないのだと思う。切っ掛けがあったわけでも、使命を持って生まれたわけでも、天賦の才を持って生まれたわけでもない。そんな僕が芸術の道に進もうと思ったのは、”好きだから”程度でしかない。芸術の懐が広いところは、そんな理由でも受け入れてくれるところにある。医者になるには人を助けたくないといけないし、実弾が撃ちたいからって自衛隊に入るのは好ましくないとされている。
 芸術への執着心が消えてしまったら、と思うときがある。怖い、僕には理由がない。僕は仕事が出来ないけれど、そんな僕でもギリギリやっていけるくらいには日本は平和だ。僕は弱い。力は無いし、頭も悪い。努力も出来ない。いっそ、芸術しか出来ることが無いのが理想だった。僕は時折、自分は生活能力が無いから芸術をするしかないと言っているけれど、きっとそんなこともない。僕でも働ける職場はきっとあるし、そこそこに生きていけるのだろうなと思っている。だから、いつか普通になってしまうのではないかと、恐怖している。
 芸術が恋人だったら、僕の態度は誠実だろうか? そう考えてから、不真面目に生きることを心掛けるようになった。恋人に向ける感情が、他に向いてはいけないとは思わないだろうか。僕はこれでも、芸術には本気で向き合っているつもりだ。周りから見て如何様に映っているかは知らないけれど、僕が保持している、他の人の”普通”に到底かなわなくても、全力を注いでいると思っている。では、芸術以外のことに本気になるのは? 浮気だ。わかっている、極端な話だ。僕がどういうことを言いたいのかというと、芸術以外のことを尊重して、芸術を諦めるようなことだけはしたくないということだ。だから、芸術以外のあらゆる要素をいつでも捨てられるように、ふざけている。こんな生き方だと、変な人や劣っている人を悪く言う気にはならない、底辺に寝転んで見上げるからこそ、受け止める寛容さが生まれたように感じる、少し良い気分だ。でも少しだけ悪く言うことにしている、それによって生まれる芸術を邪魔しない為に。話は戻るけれど、恋愛は諦めるものが多すぎて、ダメだ。だから芸術を恋愛対象として、丸く収めているってワケ。おお~

 どうして前のnoteから期間が開いたのかというと、帰省していたからだ。環境が変わって、思ったより書けなかった。別にこんなこと書かないで、しれっと再開するつもりだったけど、ネタが切れたので書いてしまった。黙っていられないし、継続しても書けない。どれもこれも僕が弱いのが悪い。
 


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