ビリビリボールペン

 もしかしたら、最近意図的に棘のある文章を書こうとしていることを見抜かれているかもしれない。もちろん冗談で、そんなに見られていることを意識してはいない。というのも少し嘘で、少し反応を伺っている節もある。一旦休憩して、ちょっと頭の中をつらつらと書こうと思います、読みにくいよ。
 さて、何をそんなに迷っているのかというと、面白さの為にどれだけ周囲を傷つけても良いのかということだ。くだらない雑記でも創作は創作であり、読み手の内面に影響を及ぼす
 僕が人生の三手先まで見通すことが出来るとして、「今日の晩御飯」とか「課題をどうする」とかの先、いよいよ視界の中に「どうやって金を稼ぎますか」とか「仕事をどうしますか」みたいなものが侵入してしまった。人生がつらくなっちまうよ~~~というのが一週間以上前の話、あれから試行錯誤をしていた。
 僕は確実に頭を患っていて、絶対に普通の職業に就くことは出来ない。長期的なバイトも出来ない。じゃあどうするかというと、インターネットで一発当てる事しか考えていないのだ。何となくビッグになりたいとか、ふわふわと上手くいきたいではなくて、現実的にインターネットでぶち当てる方法を考え続けている。
 もちろん、思いつかない。例えばYoutuberとしての活動案みたいなものは4つくらい考えたが、それほど上手くいく確証は無い。取り敢えず実行しないと経験値も貯まらないので、やってみようとは思うが。
 本当は小説を書いて生きていきたいが、そろそろ書店で本を買う文化というのが廃れていくのではないかと予想している。Tiktokとかを見る層が、理由もなしに本を買う姿を想像しがたい。
 買ってもらう理由がいる。人に好かれなければいけない。残念ながら、自分のことを可愛げのある人間とは思えないから、作戦を立てる必要がある。
 名を売るのに最も手っ取り早い方法は、犯罪だろう。地上波デビュー確定、実名報道、貪欲なメディアを利用する卑劣な手。だが、現実的。
 人を傷つけるというのは、力がある。M-1グランプリで優勝を飾ったウエストランドの漫才を審査員は、人を傷つける元祖の漫才と評価した。人の悪口は面白い。僕は好きじゃないが、好き嫌いはワガママであるといった世界に入らなければならない。
 でも、本当に人を傷つけたくない。語彙力と言葉の使い方は違うのだろうけれど、僕は人の心を折ることが出来る語彙を持っていると思う。きっとこれを人に向けたら、ウケるんだろうなとか思ったりする。上手なツッコミとかと似ているが、あれはボケてくれる人がいるからで、一人でやるには劣った対象を探す必要がある。そんなの酷くないか? ここまで書いてお腹がマジで痛くなった、敗因は賞味期限の切れたコーヒー豆乳。
 集中切れちゃったな、普段は書き出しとオチを思いついてから書き始めるのだけれど、今日は何も考えていないから大変だ、もう勢いが死んでしまった。最近は人のnoteとか結構読んでますよ、他人の思考を体に入れるのは健康に良いです。ああダメだ、当たり障りのないことを言ってしまった。僕の今の状態って、粘土を捏ねて捏ねて、最高に柔らかくなった状態で、なりたいものがたくさんあって、中学生みたいなんです。柔らかいままでいるには形を変え続ける必要があって、ポーズをとるのに怯えている。栄養たっぷりのゴミなんです。何かにハマったりして、少しずつガラス片を中に蓄えている、こうして少しずつ捏ねづらくなって、死んでしまうんだ。
 形作る必要がある、焦りが溜まっています。でも心地よいです、僕は急かされるのが好きだから。〆切って、必要とされることに似ているので。本当は求められるがままに生きていたいですが、これは求められたことが少ない故の願望で、実際に要求されたら鬱陶しいかもしれないですけど。
 愚か者の神になりたいなって考えてます。神ならネットでも最強だなって思って、神ってどんな奴か考えてました。きっと、海を割ることが出来るとか、宙に浮くことが出来るとかじゃなくて、人を許すことが出来るのが神なんだと思います。でも、人間は自分より下をいじめたがります。じゃあ、ゴミになってしまえばいい、一番下で誰かを受け止めてやれるような。ラインを越えた人を、世の中の人は”そういう生物”と認識します。あいつなら仕方ないなと。そこまで行ってやろうかなとか思ったりします。
 どういうつもりでタイトル付けたんだっけ、そう、ビリビリボールペン。やつはボールペンでありながら、ビリついて人を傷つけるというだけで笑いを取れます。あいつみたいになろうかなと思って書き始めたけど、思ったより人に優しくするのが好きかもしれないので、考えないことにしようかな。
 マジで脳直で書いてる感じがして、けっこう気持ちが良いです。そもそも僕は、考える時も日本語を使うので、あまりやっていることは変わりないですね。昔に比べてタイピングもそれなりに速くなったので、こういうことも出来るわけだ、タイピングが遅いと考えちゃいますから。高校三年生の夏に、いきなり芸術の道に行きたいと言い出して周囲を困らせたのも、拗れた僕が今までなんとか生きてこれたのは文章のおかげだと思ったからでした。考えていれば考えるのが上手くなるだろうと思って、常に何かを考えようと思い始めたのが中二の冬だったか、確かあの頃は哲学にハマっていた、サクラノ詩をプレイしたせいですね。今思うと中学二年生には重い内容だった。何で学校を休んだんだと教師に聞かれたので、正直に「哲学について考えていて」と言ったら適当なことを言うなと怒られたんだったか、本当のことなので困った記憶があります。とにかく孤独を感じたりしたときは何かを考えてました。授業中も授業の事なんて考えていなかった。ボーっとするなと何度も言われた。そりゃ他人の頭の中なんて覗けませんから、仕方のないことだけれど。思考に合わせてタイプ音がするのは少し気持ちが良いかもしれないです、音ゲーとか好きだったから。でも、まだ思考速度にタイピングが追い付いているかというと、少し遅いみたいです。まぁあんまりリソースを割くのも賢くない気がするので、いい塩梅かもですね。集中切れました。
 なんか、最初に書こうと思っていたことを忘れちゃったけど、文章量がもったいないので投稿しちゃいます、わぁゲテモノ、読まない方が良いですよこんなの、最後に書いても仕方ないですけど。

 投稿しようとして戻ってきました、タグって付けた方が良いんですかね? 読まない方が良いですよとか書いといてタグを付けるのって凄く恥ずかしい感じがして、そもそも謙遜の意でタグというのを今まで付けてこなかったですけど、それってワガママなのかもしれないと今ふと思ったわけなんですけど、なんだかんだ読む人が増えるというのは良い事な気もしてきたし、そもそもタグの付け方とか知らないわ、#こんにちは! とかでいいんですかね、脳直で書くと僕って敬語になるんですね、敬語の文章ほど取り繕ってないのかな、ちょっと過去作読み返そうかな。でも、僕って躁鬱が本当にひどくて、テンションの上下だけじゃなくて左右にも乖離しているような感覚があって、例えば一人称が安定しない、なんてのはみんなそうかもしれないんですけど、人によって態度を変えるなって教えに反抗したかっただけなのかもしれないです。Twitterでのv子は一人称が僕なんですけど(そもそもv子モードの時しかTwitterにいない)noteは関係なく書いてるので違う一人称だったりするかもしれない、後で見返そうかな。でも昔の文章なんて見返したくないですよね。コメントがきて自分のプチ小説を読み返したけど、意外と面白かったです。面白かったのかよ、まぁ面白くないと思ったら投稿しないので、面白いが目的じゃない文章もあるけど、でも恥ずかしくはなりましたね、これは良い事で、過去の事が恥ずかしくなるのは成長の証だと思って生きているのです。自分を守るための考え方でもあるけれど、昔の自分が恥ずかしくなくなったら嫌だなとか思ったりするから、そんなに間違ってないはず。なんだっけ、タグね。タグ、取り敢えず候補の奴全部付けます。あっダメですね#ネタバレとかついちゃう、要らないか? タグとか、面倒になってきたな。そもそもこの文章何、何の話してたっけってのは会話が途切れた時に便利ですよね、よく使います。この文章を100字要約しろって言われたら、困ると思う。雑魚がうるせぇかったですってくらいにしかならない気がする。タグなんてつけようがないだろ、ていうか、読んだ人に任せたいな、だって見られて完成するって言うじゃない、〇〇らしいってワードがあんま好きじゃなくて、一般的にわかりやすいイメージに固定するのは安心なんだろうけど、僕は怖くて仕方がないです。どこにでも行きたいな。あれ、この文章って読む人いないんじゃないか、こんなつらつらと書いて、読みづらいったらもう。じゃあ好きにタグ付けてもいいか、エリマキトカゲとか、タグを見て「あ~エリマキトカゲの話してたんだ~」って思って、この文章をそんなに真面目に読まないはず。やっぱ要らないや、でも本当に名を売りたいんだったらタグとか付けるべきなんだろうな、文章を読んでもらいたいなんて当たり前なんだから、何も悪くない。でも読んでもらいたいならもっと見やすくするべきだよね? これは怠惰と言えるので、怠惰な自分を見て欲しくないから、結局タグは付けないんだろうな。あー。集中切れた。嘘、疲れたから集中切れたって書いただけで本当はまだ書ける。あっ本当に切れた、ここらへんで失礼します。でもあと50文字で4000文字なんですよね~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~にゃん。

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