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「人には人のクソデカ感情」2024年1月20日の日記

・サムネイルを選ぶために画像フォルダ開いて、「あれ…私プリン食べたっけ、食べたな…確かに…」と思った。私も大概である。

・生2杯、日本酒2杯、日本酒の梅酒割り?を飲んだ。結構飲んだな。でも数の上ではどうしても5杯が限界だ。それ以降は体が完全にアルコールを受け付けなくなり、ソフトドリンクに切り替えた。
・北海道じゃなくて兵庫にも男山(日本酒)があることを初めて知った。キリッと爽やかな飲み口だった。


・そもそもグループレッスンをやってもらいに行ったのだった。ブラスバンドの楽器の中にひとりだけフレンチホルンを持って参加したわけだったが、嬉しかったな。やっぱりもっと吹ける、もっとできる、と煽られるのは嬉しい。

・今日やったことって5/21の日記に書いたことに被るかもしれない。
・ここに書いてある「楽器を吹く直前まで息を吸っていて良い」というのを言われたときかなり衝撃で、特にホルンを吹くときはずっと意識し続けている。ここでたくさん吸った息を「良い音」にどう変換していくか、ということを今日はやった。

・白状すると実は今まであんまりピンと来ていなかった「頭の中で(中略)音を鳴らす」をこう、自分の中で確り発現させることができた感覚があった。楽譜上の次の音が頭の中でわんわん鳴ること鳴ること。今日扱ったのは特に単純な曲であるからかもしれないが、これを複雑な曲でできたらどれほど美しい演奏ができるだろうかと思う。明日のリハもコラール特集だから早速試してみたい。

・先生から「あんたは技術的なことよりも、誰よりも良い音で演奏できるようになれ」(意訳)と言われており、期待されてるんだかされてないんだかわからないけど頑張る。


・そして冒頭に戻る。

・本当にみんなそれぞれ、私もだが、色んなことを考えて楽器やらバンドやらをやっているんだなって…。
・思いを抱えすぎ。人には人のクソデカ感情。

・ある人個人のクソデカ感情は、最終的にはその人ひとりで乗り越えるなり、死ぬまで抱え続けるなりしてどうにか処理していかなくてはならないのだが、せっかくたくさんの人間によってこの人間の世界が作られているのだから、クソデカ感情は適宜ぶつけ合ったり擦り合わせたりしていった方が絶対におもしろい。

・楽器を吹き続けている大人の尽きない向上欲を「渇き」と表現したら詩的だという評価をいただいた。
・しかしあの、自分はまだまだだというアレを渇きという以外にどう表現しよう?「自分はまだまだ」の先にあるのは「自分はもっと吹けるはずだ」という、とてつもない自分の可能性の肯定がある。自分の可能性に対する圧倒的な信頼がある!あれはどういうことなのだろう。恐ろしささえ感じる。

・でもそういう渇きを持つ人がきっとどんどん上達して、その陰には「自分はこんなものだから」という、成長を放棄した夥しい数のプレイヤーがいるのだろう。

・別に私に向けられたものではない、優しい言葉の数々を聞いて勝手に嬉しくなっていた。人に向けられた「あなたはひとりじゃない」の言葉を聞いて、自分もまたひとりではないのだとほっとする。

・あーーー唯一無二性への恐れの話もした。懲りずに。替えのきかなさがずっと怖い。替えのきかない人物になりたいという欲求は世間の人間によくあるものだが、その逆でありたいという欲求とは一体なんだろう?

・自分がある人、ある集団にとって替えのきかない存在である、と自覚したときのあのゾワゾワ。いなくなってしまってはいけないのだ!と思うこと自体がいなくなりたさに拍車をかける。

・実際は「替えがきかない」とされる自分がいなくなってしまってもその傷を修復する能力が個人にも集団にも備わってはいる、そうであってほしいと思う。しかしその傷さえつけることが恐ろしい。どんだけ人を傷つけるのが嫌なんだ。そろそろ諦めろ。

・あとヴァンデルローストbotがどっかの界隈をざわつかせていた、という事実を知って、なんかすいません…の気持ちになった。え、そんなに話題になってたんだあのbot。TwitterAPIのなんじゃかかんじゃかを乗り越えられず止まったままになっているが、そんなこと言われたら頑張ってもう一回動かしてみようかな…と思う。


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