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「そう言い切ることで」2024年2月28日の日記

・妹からの誕生日プレゼント(イタリアビール)が届いた!早かった。佐川なのに。


・熱は下がった。午前中はまだ少しだるさが残っていたけど、お昼になるとそれもほぼなくなって頭の回転もクリアになったので、後回しにしまくっていたFanfa-Letterを勢いで書き終わらせてしまった。

・というわけで1ヶ月半ぶりの更新です…。ONFKの編成解析がやっと一区切りついた。


・月火と楽器を吹けていなかったので、いい加減楽器吹かなきゃ〜!と吹き始めたら熱が上がりそうな気配がムクムクとやってきたので10分くらい吹いてやめにした。

・楽器演奏って身体を使った芸術なんですよ。肉体と体力が必要だ。健康なときはなんでもないように吹けても(実際はなんでもないように吹けることなんかないが)、病み上がりだとなけなしの体力を楽器が全部吸い取ってしまう。普段はさほど気にしないかもしれないが、私たちはかなりの体力を使って楽器を演奏している。

・楽器演奏は割くべきリソースが多い趣味だということを改めて思い出す。移動時間、練習時間、団費、レッスン費、交通費、交際費、個人練習の施設費、楽器や道具の調達費、維持管理費、モチベーションの維持、人間関係、演奏する体力、楽器と譜面台と楽譜を担いで移動する体力、会場のセッティングをする体力、ステージ脇で立って待機できる体力。いざ始めてしまえばそれ無しでの生活を強いて考えようとはしなくなるが、始める前に越えるべきハードルは高いし厚い。

・自分で単語を羅列しといて自分で嫌になってきた。普段は自分が何を差し出しているかなんて忘れているから楽器演奏なんて趣味ができているわけで、我に返ったらおしまいです。


・でも原宿さんはせっかくフルートで音出せたんだからこのままフルート吹き始めるといいと思うよ。ビール瓶から吹き方の発想を得られるのは非常にいい。
・原宿さんにしろ永田さんにしろ、なぜ両掌を手前に向けて楽器を抱え込むように構えてしまうのか。かわいいね。


・2年くらい前に「AEDを女性に使うとセクハラで訴えられる」という趣旨のクソミソジニーツイートが回ってきた。
・私はそれをさらに引用したりリプライするではないにしても、リツイートしたフォロワーに見える形で明確な怒りを露わにした。私の女性の友人知人がそんな理由で命を落としてたまるかと。
・怒りというよりは悲しみのツイートだな。

・今日このことを急に思い出して、改めてめちゃくちゃ腹が立った。どうしてその場でAEDを使わないことで一人の命が失われることより、まだ脅かされていない自分の社会的地位を心配することができるのか。そういう思考回路を辿ってしまったとき、自分の倫理観が危機的状況にあることにまず気付いてほしい。救命できるのにしなかった自分を一生恥じる方がいいのか?たとえ訴えると言われても、自分は何ら恥ずかしいことはしていないと堂々と振る舞える方がずっといいのではないか?

・生きていれば裁判でもなんでも議論したり争ったりすることができるが、一方が死んでしまったらもうどうすることもできないよ。命より優先されるべきものなど何もない、そう言い切ることで私たちは現代の人間をやっている。その言い切りを破った瞬間、自分の命も脅かされる。

・訴えると言われたとしても、そう主張した女性の命が他の人より軽んじられていい理由なんかないし。

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