悟りってこういうことなのかな

頭上で椅子がカタッとなってふと目線を上げた。
誰かがいるような気配がして。
誰なのかイメージを探ろうとしたら、それは大仏さんに見えた。
涙が出た。

大仏さんの大きく柔らかそうな手が顔の上に差し伸べられて、そこで次のイメージが浮かんだ。

父だ。

最後の数日まで「空海の風景」を読んでいた父が、白装束で目を閉じて仏様の右胸に抱かれていた。

ああ、よかったね
やっとわかったの?
遅いじゃん
7年って長すぎるんですけど
自分が分からずじまいで死んだからって、娘の身体使うなんてひどすぎない?

あー、母のこと自由にしてあげれば良かったって後悔してたのね
昨日自由にしたからもう大丈夫だよ

まあ、でも、もう良いや
普通に生きてたら絶対たどり着けない景色まで来れたし
普通の人生だったら絶対できない経験をたくさんしたし

でも私はまだ死なないよ
やることがあるもん
仏様、私のことは連れて行かないでください


そんな白昼夢を見た。
前後で変わったことといえば、全身に神経がめぐり、
これまで使えていなかった筋肉まで血液がめぐり、姿勢が良くなった。


ここからはその前2時間ほどの出来事。


アイワークとか、EMDRとか、ブレインスポッティングという心理療法の記憶が甦り、ここ1週間ほど左右の目が感じる明るさの違いに注目してきた。
私の場合、左目に緊張がつよく、見た目にも細く小さくなっている。
本人の感覚としても左目を使おうとすると固くてムズムズと詰まる感じがあった。

それをさらに感覚を研ぎ澄ましていくと、たぶん感じている明るさの違いがあるように思った。
つまり、左目は瞳孔が小さくなりっぱなしで開きにくいということ。
瞳孔には虹彩という筋肉が関係していて、瞳孔を縮めるのが瞳孔括約筋、瞳孔を広げる瞳孔散大筋というらしい。

この筋肉の左右差が、情報刺激の大半を担う目に関与するということは、つまり左右で入ってくる情報量が違い過ぎて不調が起きている可能性がある。
であれば左目で明るさを感じる練習をして、左目の虹彩の動きを良くしていけば良いのではないかという仮説がたつ。

少しずつ明るさを感じていくと不思議なことが起きた。
世界が立体的に見えるようになったのだ。
これまで写真のように平面で見えていた風景が立体になっていった。

そして今日。
カーテンから漏れる光を左目でキャッチしようと、ぼんやりと遠くを眺めていた。

すると自分の使いにくかった身体の部分に一つずつピリッとした痛みが走り、血が巡っていく感覚があった。
鼻の付け根は足の甲上半分
眉山は頭のハチ
黒目の下は股関節や巻肩
たぶん、ツボを調べたら対応している箇所なんじゃないだろうか。

とくに肩は今までかなり巻いていたことが理解できた。

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