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誰がために、あるのか~行き先不明

先日友人とお茶に出た。半端な時間でも、カフェに行ける日本って羨ましい。幸い韓国系ベーカリーにはそこそこ行けるケーキとイートインがあるのでそこで。

私と彼女はネットやバーチャルにおいてはほぼ対岸に立つ立場で、彼女はネットショッピングも旦那さんにお願いだし、ストリーミングも旦那さんにセットしてもらうタイプ。私は我が家のITと呼ばれるタイプ(きっとそのうち息子に抜かれるが)。

彼女は携帯もSNSもほぼやらず、連絡網レベル。私は(こうして書いていることも入れて)中毒。

彼女の一言が響く。「芸能人でもないのにさ、あなたの日常なんか私、いちいち知らなくていいの!って思っちゃう」

そうなのだ。某つぶやきアプリや、某写真アプリや某青いSNSや某TTなSNS。。。どれも「バカバカしい」といい、インフルエンサーや、YouTuberも、こんなん社会どうなるのかしら~と言いつつ、ネット中毒な私。それって、Hypocriteって偽善者っていうらしいが、偽善者じゃなくて、なんだろ?天の邪鬼じゃないし。。日本語でなんて言うんだろ?お前も一緒じゃねーか、と他人なら突っ込むのに自分は違うと思ってる、って感じ。それが私。


でね、かつての日本特有のSNSとか、Mixiとか、カフェなんちゃらもあったけど、はまってたけど、だんだん商用になっていくのよね。某写真アプリも、ほぼほぼ情報ネタが増えてきて。有用なものもたくさんある。保存やフォローもたくさんしてる。同時に「いい加減なものも多いから、全部信じちゃダメよー」なんて投稿もある。私の投稿は違う。。。。。垂れ流してるだけだわー私。

で、なんでそんなことしてるのかって。言ってみりゃ、なんでこんなこと書いてんの私って。誰のためか?と。

例えば。UAEの話。あれは、今後そういう選択をする人が居たら、参考になれば、と思って体験記を書く!と決めてた。フラクタル心理学も、興味ある人や、何かしらにすがりたい人が、他の意見を聞きたいというのなら、いいかなと思った。いんちきだーという人もいるんだろうけど、私は確実に救われたから。

でも例えば今日のこのエントリーはすごく自己満。個人写真アプリアカも自己満。言ってみりゃ、遠い家族や友達に話すくらいのつもりだから、プライベート設定だし。プライベートなら好きにしろよ、はい。ってなもんだよね。それはいい。それは間違ってない。

ただ、その流れで、垂れ流してるのはまずいかなと。麻痺しちゃってるというか、癖になってるというか、もう無意識。あ、面白い、ぱしゃ、載せ、が一連。。。。誰がために??


「芸能人でもないのにさ、あなたの日常なんか私、いちいち知らなくていいの!」

この一言が、すごく来ちゃったんですよ。ぐっさりと。
誰かに見せよう、載せよう、という意図すら無く、ただ無意識に無意味に写真を撮っては載せて、シェアして意見書いて載せて、コメントにまた返事して。。

今更なんだけど。

私、なにやってんだろね?


なんの意図もなく、目的もなく、垂れ流したり、垂れ流されたものを勝手に拾って反応して。。その間に、夫は、私と向かい合うのを辞め、自分の人生に向かい合うことにし、私は、がっつりあった支えを失ったと、ぐらぐらになった。それだけ、私は全然自分の足で立ってなんか居なかった。ただ、毎日を繰り返していただけで。ただ、垂れ流しの中生きていただけで。

文章力をつけるでもいいだろう。表現力をつけるでもいい。思考力を上げるでもいいし、写真テクを上げるでもいい。いつか素敵な投稿ができるような練習でも客寄せでも。

自己満でもいい。いいんだよ。

だとしたら、私は何かのために、この時間を使ってきたのか?という質問なわけで、答えがない自分に、うんざりしちゃったんだよ。

私はこの度、友人のこの一言で、自分のこの20年くらいがやっと虚しく見えてきた(苦笑 




きっと最初は目的があった。国際結婚だの、子育てだの、義理母との同居だの、在外邦人だの。孤独を感じるチャンスはどこにもある。自分が選んだから乗り越えようと思っても、同じ境遇の人を探したがる。支えがほしいと思いたがる。一人じゃ生きていけないと私達は知っていて、ときにほしい支えは家族や、選んだ夫ではなく、ただ、日本人というだけ、在外邦人と言うだけ、どっか遠くの州で国際結婚したというだけ、で、すがりたくなる時が確かにあった。


でも、20年経って、そんなものにすがらずとも生きていける経験をつけたのに、私はなんら変わってない。それはきっと、20年前もネットを始めるときの気持ちがどっかに忘れ去られて、ネットと生きることが癖になり中毒になったからだ。


きっと私の周りは、中毒のままでいいと言うだろう。元に夫にはすでに言われた。君は変わらないだろう?って。君を変える、変わってほしい、と思うことすら、おこがましい、と。それを強制して、勝手に失望して、悲しませてごめんね、と謝られた。つまり、彼はもう、諦めたのだ。いろんなことを。中毒者の私のことを。


なんの中毒でもきっと一緒なんだ。だって、中毒者は変わらない。自分で変わろうと思わなきゃ変わらない。ただ、変わろうと足を洗った後の人生が、思っていたより変化してても、中毒者はそれを認めて生きていかなくちゃいけない。周りに誰も居ないかもしれない。世界がいつの間にか変わってて順応できないかもしれない。目が覚めるってそういうこと。でももともと弱いから、それが怖いからやっぱりやめられない。だから中毒者は中毒から抜けられない。


私はなんのために、ネットにはまりつづけるのか。
彼女の一言という刺さったトゲが、うずくのに、いまいち抜くことができない。そのうち、そのうずきすら、通常になってしまったら、私はますます、危ない人間になりそうである。


私の今までは、誰がために、なんのためにあったのだろう?

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