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苦しみ、を無くす

苦しいことが好きな人は居ないと思いますが、自分の周りを見たり、自分の今までの考え方のパターンを思うと、そこに『苦しみがあるから、良いことがある』『苦しんだからこそ、いま(の幸せ)がある』と思いやすい、ということに気づいてから、それでも子どもたちには苦労をするから幸せになれるんだとは言いたくなかった、その連鎖を断ちたかった。。そう思っているコズエです、こんにちは。

私は苦労などはとても苦手なので、苦労があれば逃げるタイプだと思います。少なくとも、苦労があるさきの幸せが〜なんて思ったことは無く、恋愛に至っては、傷ついても振られても、その感情のゆらぎに一種の快感を感じていたとしても、あの苦労があったから、だから今幸せとはホントに思っていません(笑 失恋して泣いたあの時も、実はめっちゃ楽しかったはずです(笑

しかしながら、私の人生が全く成功ではないかというと、まー成功しているし恵まれている方だとすっごく思います。家族もまーまー成功している方だと思います。同時に、家族の中で大病をした人も少なくありません。

この大病、が苦労の一貫という考えが、一病息災(一つくらい病気がある方が健康に気をつける)ですね。私、これを家族に言われた時に、同じ言葉を子どもたちに言いたくないって思ったんです。

そこから考えた苦労、という言葉。実は昨日、子供の部活体験を通して感じたのです。実は、苦労と幸せ、を同じものさしで測らなくて良いんじゃないか、と。

少し話がずれますが、私達が楽しい、と思うとき、殆どはラクをしたり、棚ボタだったり、諸手を上げて楽しいというか、あ〜楽しかったね〜なんて言葉が似合うというか。でもこれって、一瞬の楽しみですよね。

でもオトナの楽しみって、じわじわ染みる楽しみ。そしてそのレベルとは一瞬の楽しみよりもより大きくより深く、そしてきっと癖になる。

夏が始まる前から毎日10時間ほど練習を重ね、息を合わせ、出来が悪ければグループから外され、毎週出来をチェックされて迎えたファイナルで、見事優勝を手にした子どもたちの部活仲間を見た時、この子たちの居間の喜びは一生生き続け、支え続けるだろうと思ったのです。その時に、それまでの練習は苦労ではなく、その最高の楽しみへの階段なだけ。

そんなアタリマエのことを目の前で見た時に、この子たちは本当に良い体験をさせていただいているのだ、と心の奥から感じました。

一病息災の呪い(笑)はまだ解けませんが、苦労という定義をまず変えていこうと思います!

苦労の定義、というか、苦労って言葉すら消してしまおうと思う。苦労なんて言葉があるから使うんだし!

素材:写真ACより


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