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誰がための幸せ、か。

幸せを探し続けているコズエです。こんにちは。あなたは幸せ、探したことありますか?

幸せ、で写真素材を探しているんですが、沢山あります。ベーシックなところでウエディング、赤ちゃん、四つ葉のクローバー、出世(を表したイメージ)、ビールまで。ハートのマークから、きれいな花束。写真に表されなくたっても、私たちは個人の数だけ幸せがあります。

でも、それって幸せのカタチ。

幸せとは、誰のものなのか。

数日前、私と夫の視点が全く逆であることに気がついたのです。ショッキングな発見。それは、ある女優さんに恋い焦がれていた私に対して夫が聞いた言葉でした。

『それはその女優さんみたいになれたとしたら、自分が気持ちいいからなの?それとも、そんな女優さんと親友で周りから羨ましいなと思われたい、なの?』

ワタクシ、即座に思ったのは周りから羨ましがられたい、だったのです。つまり、いつまでも他人の評価が自分の幸せの基準。その女優さんと一緒にいることを、羨ましく思わない人も居るかもしれないのに!その人からは羨ましがられないから、幸せメーターは下がっていくのに!

対して夫は、自分がそういう風になれたらいいなぁ!という考え方でした。これって至極当然ですよね?多分。私も普通そう思うだろ、と思うんですよ。

でも、その瞬間気づいたのです。私の幸せは、誰にため、というよりも、誰に由来している幸せなのか。。。自分ではなく周りの人の評価、でした。

私が最近通っているジムで、こんな標語を見たのは、ちょうどこんな時でした。

他人の評価で一喜一憂し、それに生きがいを見出すものは、他人に嫌われないかとビクビクし、他人に批判されたり、認められないことで死んだような気持ちになる

ああ、まさしくその通りです。

他人の評価に一喜一憂する自分、辞めます〜

幸せの種の定義:他人の評価が幸せを感じる種ではなく、自分の感覚、感情、思い、体験が幸せの種であれば、他人がどうであろうと幸せは揺るがない。他人に自分の評価を求めるな。自分で責任を取り幸せの種を育てよ!

素材:写真ACより

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