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10年後には居ない、今の私。

今日もまた同僚(後輩)を送り出したコズエです。こんにちは。彼は大学卒業したての新入社員。入った早々『僕はココには1年半しかいないつもりです!』と宣言し(そんなこと知ってたらボスも雇わんだろうな。。と思いつつ)、22歳あたりにして来年は結婚するという、人生計画もしっかりしている若者。気づけば1年半も待たず「僕、来週の金曜日で最終日なんで!」と言って今日去っていきました。

その彼がお別れの挨拶に、「やっぱり今がチャンス!と言うものを掴んでいきたいんで!」と青春真っ盛りの(まだ多少ニキビが残った)顔で爽やかに宣言したんですね。そのときに言ったんです(ちょっとオバサンぽいなーと思いながらも)。「私もいつもそう思って選んできた。10年後に出来ないかもしれない今の選択は何だ、って基準で。」

その数時間後、思ったのです。「10年後に出来ない、今できる何か」を考えるってつまり、10年後に存在しない物が今存在している(存在させることが出来る)ってことなんだって。同時にそれは『物』だけではなく『人』、つまり自分自身だってそうだ、と。10年後今の私は絶対そこに存在して居ないんだ、と。

10年計画を立てることは中学の時から母に強く勧められ、何度か立てていたけど、10年後から今を見て、そして、今から10年前を同じ視点で見たことはひょっとしたら今日始めて、したかもしれない(視点が今・ここ。スタートが今・ここ)

10年前の私は絶対今の私を想像もしていないし、求めてすら居ないと思う(逆に言えば、フラクタル心理学では過去も未来もないので、思ってるわけないんですけど)。つまり、今の姿を想像した自分は、今想像しきれないために存在していない10年後の私、くらい無いわけなんです(わかるかなー)?そして、10年後の私を体験できるとして、今の私は10年後には絶対居ない、という視点を持った時、逆に、10年後に居ない今の私を100%味わうには、今何をしよう? と強く自分に問うたわけです。

10年後にブログ書いてなくても、今日書きたい。

10年後に会社員やってなくても、今はこの会社とこの仕事大好き。

10年後にもっと年相応になっても、今はアラフォー。 とかとかとか。

そうしたら、自分が勝手に若者たちの10年後の夢のスケールに自分の10年後を見るにはどうしたらいいか、と悩んだり、若者たちが50代になったときの目標に私が10年以内に存在しているためには何をすべきかと自分にプレッシャーを掛けていたことに気づきました。誰かの夢のために、自分の今の選択を試行錯誤して、わからなーいわからなーいって言ってたんですね。

なんたる他人軸!

そして究極の今の自分への

ダメ出し!

そりゃまぁ、幸せなんか味わいきれないわけですよ。他人の標準で生きてるんだから。それ基準で今の自分にダメ出ししちゃってたんだから。

でもね、それ認めたら、分かったんです。ものすごく自然に。

今の私って、さいっこうに幸せだわ!

今自分が幸せとか、今が自分が求めた全てがかなった現実を生きているって思えない人は、他人軸で生きてます。絶対です。そして他人軸で生きるって、実はものすごく

ラク

です。

でも、絶対100%幸せ!って自分にも他人にも言えないです。ほんとは幸せだって、全部叶ってるって知ってるのに、認めたら、謝らなきゃいけなかったり、敗けなきゃいけなかったり、責任取らなきゃいけなかったり、嘘だって認めなきゃいけなかったり、 

嫌な思いをする(だろうと思ってる)行動を取る必要があるからです。

(でもそれさえも、本心叶って、めちゃ(自分が求めた)幸せ真っ只中なんですけどね〜)

ああーーー!全部ひっくるめて、ほんっと全部ひっくるめて、

今、さいっこうにしあわせ!って言えるようになれて、本当に良かったー!

素材:写真ACより

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