あけましておめでとうございます。久し振りのnoteです。年末慌ただしく大掃除を終え、気持ちよくお正月を迎えました。 今年初の洗濯を干しながら、今年初のNONSTYLEの YouTubeを見て、今年の目標をひとつ。 しじゅう(40)を楽しむ。 そう、私、四十路になるんですね。 老いを楽しむ。これも一つではないでしょうか? そして、昨年から思っていたこと。 アンガーマネジメントをする。 イライラはいかんです。いつなんどきでも、心穏やかにおりたいものです。 と思っていた年
年末ですね。ここ最近の恒例行事、管理職との面談がありました。来年度のことを考えないといけませんね。年が変わってもないのに。 来年長女が小学生になります。えぇ、第一子ですから、何が何だか。そして親子共々不安を抱えています。次女の時短勤務ができる権利を駆使して、早く仕事を終えることを打診してきました。たぶん、大丈夫です。 そしてその話を上司に伝えました。とても理解がある上司。三人のお子さんがいて、奥様も仕事を辞めて育てていたので、子育てと仕事の両立が辛いことを身を持って理解し
娘が社会見学で買ってきてくれたもの。しめて、500円。貴重な体験をありがとうございます。
noteで数式?なんだかワクワクするな。 そして、毎日書くのは難しいなぁ。
今日も今日とて。なぜ自分のことしかしない大人がいるのか。我々は謎を求めてアマゾンの奥地へむかった。
今日は頑張ってクリームシチューを作りました。寒いですね。
毎日書くって難しいですね。
彼女は2人育児に辟易していた。長女が手のかからない子だったし、それ以上に次女も手のかからない子だったのにも関わらず。これは彼女の性格が影響しているのも少なからずあるのだろうが、手のかからない子でも2人となると話は違った。あっちが呼べば、こっちが呼ぶ。こっちが泣けば、あっちが怒る。とにかく、なぜいつも物事は同時に起こるのか。 長女が保育園に行っている昼間は平和だった。帰ってきてからは、それはもう。世の中の皆さん、どうやってこの慌しいときを乗り越えているのですか?首の座っていな
次女を溺愛していた長女だけども、すべてが上手くいっていたわけではもちろんない。長女に対するやきもちをもちろん言語化できる年齢でもなく、やきもちを理解する年齢でもなく。ただ、独り占めしていた親の愛情を独り占めできなくなった気持ちを心の奥底に溜めていた。 長女というのは、幸か不幸か、箱入り娘のように、大切に大切に育てられていることが多いのではないだろうか?第一子の宿命か。ご多分にもれず。一挙手一投足に視線を注ぎ、何か少しでも違和感があれば、あれやこれやと心配し。そうすること4年
次女の爆誕後、ふたりの物語が開始した。 妹の退院を心待ちにしていた姉は、妹が家に帰ってくるのを待ちきれず、そわそわしていた。いつもなら帰りたがらない祖父母の家から難なく帰り、何なら早く帰り過ぎたぐらい。妹を乗せた車が駐車場につくのが早いか、姉が家から飛び出てくるのが早いか、それくらい待ちわびていた。 彼女たちの母親は心配していた。長女は新しい命の誕生をどう捉えるのか。今まで独り占めしていた愛情が分割することへの不安。そんなことを言い出したらキリがないのだけども。 そして
長女が3歳を3か月ほど過ぎたころ。彼女のお腹に新しい命が宿った。待ちかねていた第二子懐妊。長女と比べ、お腹の出方が違うとか。長女と比べ、食べづわりだとか。これはきっと男の子に違いない!と思っていたけども。ついてなかったね、アレが。 そんなわけで、長女の誕生日ちょうど1週間前に爆誕した次女。 予定日より1週間遅れての爆誕。 初めて妹に会えた日の嬉しそうで、緊張していた顔を彼女はよく覚えている。保育園帰りに毎日やってきては嬉しそうに妹を触っていたこと、長女の身長では見づらい
その前に少し、彼女について触れておこうと思う。 彼女はごくごく平凡な家庭に育ち、平凡に大学まで出て、就職した。ほんと、特記することが何もないことぐらい、平凡な人生を送っている。大した趣味もなく、こだわりもなく。人付き合いもそこそこに。 そんな彼女も三十路を迎えたころに、結婚し、気づけば姉妹の母になっていた。 長女が産まれたのは、季節外れの台風が直撃した日。予定日まで1週間残したのに、ゆっくり時間をかけて産まれてきた。季節外れの台風が直撃したとき、今まさに長女を産み落とそ
とりあえず書こう。書かなければ何も始まらない。 たとえ誰かの真似事だとしても。真似事しかできなくても。 その日、彼女はマクドナルドにいた。この辺りではマクドと縮める。 突然やってきた秋の気配と、降り続く雨を思いながら。 彼女には2人の娘がいる。長女が産まれてしばらくは母になったという実感がなく、長女を見るたびに、私が産んだんだよなぁ。と不思議な感覚にとらわれていた。 そんな思いを持ち続けたまま、次女が産まれた。平成の間に産まれてくるだろうと言われていた次女。魔の10
備忘録。 3月のある日。年度末の恒例行事、保育園保護者総会に参加し、園で感染性胃腸炎が流行っており、しかも次女のクラスで流行っていることを知る。 ↓ その次の日の夜。次女嘔吐。夜ご飯に食べたウインナーが大量に出てきて、食べすぎかな?と思い普通に処理。隔離せず。 その後も嘔吐が続き、合計5回。 やばいかも ↓ 次の日。次女いたって元気。ご飯も普通に食べられる。安心。 ↓ 次の日。保育園登園するもお昼前に下痢をしたと、お迎え要請。 そして。。。お風呂後に長女嘔
10年前のあの日。10年後の今日。 同じように職場で球技大会が開催されている。 10年前のあの日。 生徒たちと笑いあって、閉会式を迎え、教室に帰るころ、一報が入った。関東の方で大きな地震があったようだと。 関東から来ている生徒に保護者に連絡を取らせた。無事でよかった。 まったく状況がわからない中で、帰りの準備をしていると、沿岸部に津波警報が出たので、帰宅を見合わせるようにと、上からの指示。 なにが起こっているかよくわからないときに、テレビをつけてみろとの伝令が。
いやはや、久方ぶりのnote.あんなに張り切っていたのに、書けない、書かない。そんな重い腰を上げて、備忘録がてらのnote. 次女1歳8か月。ついに来た、突発が。 さすが次女。長女からの洗礼で、風邪をひくこと数回。 熱にも慣れた。 そんな穏やかな冬の日。 夕方、いつもよりゆるいう〇ちをした。夜、いつもは絶対拒否のパパと寝た。 あれ? 次の日。なんか機嫌悪い?あら、発熱。 違和感、いい仕事しますね。 発熱したのは金曜日。この日は様子見。そして次の日。熱下がらず