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「子育て」という勘違い

「子育て」なんてたいそれたことはできない

3年前に長男を出産し、初めての「子育て」に私は苦しんだ。苦しみすぎてもがきすぎて長男に申し訳ないくらい「子育て」が苦手だった。必死にきちんと「子育て」をしなくてはとがむしゃらで、良いとされる子育てハウツー本やSNSを読んではできない自分を責め、現実とのギャップに苦しみ、を繰り返した。育休・職場復帰・2回目の育休取得の今、やっぱり思うこと、わたしには世間で言われている良い「子育て」というのはやっぱりできないと。

「おしめを変えてミルクをあげていればそれだけでいいんよ。あとはあなたのニコニコ笑顔」

これは3年前、息子を出産した後に当時90歳の祖母がくれた手紙に書かれていた言葉。睡眠不足とすべてが初体験、そして子供の生を何とかして守らなくてはという必死になって心がぎすぎすしていた私にとっても寄り添ってくれた言葉。二人目の産後の今もとても支えになっている。

子育て<親育て

3年間子育てをして思うこと、子育てというより自分が親として育てられていることが非常に大きい。99%そうなんじゃないか?親としての責務である安心安全の提供として「生を守る」ことの緊張感と重圧に苦しめられはするけれど、それ以外の付加的な「子育て」は私にはまだ荷が重すぎる。息子出産後もぼんやりと思っていたけれど、娘が生まれたことにより俯瞰して「子どもと対峙するじぶん」を客観的に見れるようになり、「自分がニコニコできている(=自己肯定感が高い)状態かどうかを意識するようになった。今は肩の力を抜いて子供と接することができているなと思う。

もちろんそんな親ばかりではない。あくまで私のケース。不完全、へなちょこなわたしは世間でいわれている良い子育てなんて偉業はできない。だからこそ、子育てメソッド的なものを聞いても違和感を感じていたんだなと今思う。

息子は立派に個としての人格、意志を持っている。ただただ安心安全にこれからも生を全うしてくれることを祈り、少しでもその安全に生きられる環境を作ることに私は全身全霊で向き合うことだ。

「おしめを変えてミルクをあげていればそれだけでいいんよ。あとはあなたのニコニコ笑顔」

祖母の言葉が私を優しく包んでくれる。

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