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わからない気持ち。[B]



わからなくなってしまうんだ。


デザインをしたい。

という気持ちだけで、
今ここにいる。


会社を辞めてから、

いろんな人との出会いがある中で、

いろんな道を考えた。

いっぱい考えた。


自分がしたいことはなんなのか。

自分が目指す場所はどこなのか。


結局そこにはなにがあるのかは
なにもわからなくて、


誰かと一緒にいることも、
誰かと話しをすることも、
生きていくことも。


明確な答えなんて何もわからない。


ただ、デザインをやめるという選択は
1度も考えることはなかった。


今のぼくを動かしているのは、
デザインをしたいという気持ちだけだ。


デザインで何かを変えたい。


今の日本の社会、人々が抱える
問題の解決策を探したい。

デザインで、カタチとして、
問題の解決策を提案したい。

倉俣さんの目に写っていた世界を
知りたい。みてみたい。


その一心だけで、今の選択をしている。


別に、


誰かのためにとか、

誰かを思ってとか、


そんな綺麗なものじゃない。


ただ自分がそうしたい。

ただそれだけだ。


そんな風に生きていたら、


全ての物事を「デザイン」という軸で
捉えようとするようになってしまった。


誰かとのつながりも、

誰かとの会話も、

誰かと過ごす時間も。


身の回りに起こる全ての物事に対して、

自分がデザインをしていくためには
それは必要なものなのか。

デザインをしていく上でプラスに
なるものなのか。

という基準でしか物事を
捉えられなくなってしまう。


デザインに関係のないものなんてない
とは言いつつも、

無理矢理にでもデザインと結びつけて
物事を捉えようとしている自分がいる。


誰かがぼくのことを思って、
届けようとしてくれた言葉でさえも、

それがもし、デザインをしていく、
デザインができるようになる為の
ものでなければ、

きっとぼくはそれを切り捨てる。


そうじゃないものが全て
無駄に思えてしまう。


そんな自分がいやだ。


そうじゃないものってなんだろう。


なんでこんなに極端な考え方しか
できないんだろう。

0か100か。白か黒か。


なんでそんなにも答えを
求めてしまうんだろう。

明確な答えのないもの、

よくわからない存在。


そんなものたちにこそ、
今の人々に必要な何かが
秘められているはずだ。


そんなものたちを救いたいなんて
言ってるけど、そんなものたちに
救われているのはぼく自身なわけで。


そんなものたちを
切り捨てるようなことは
あってはいけないはずなのに、

ぼくが、ぼく自身が切り捨てようと
してしまっているのではないだろうか。



何がしたいんだ。

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