サカナとイノシシ。

先程、レモン画翠が主催する
建築学生の卒業設計展に行って参りました。

その際、ちょうど「商業の今後」を
テーマとする作品を目にする機会があり、
僕自身の卒業設計を鮮明に思い出すことがあったので、
その事について少し書かせていただきたいと思います。

それではさっそく、、、

その作品は渋谷109を再編するという内容となっていて、
プログラムの構成として、服を買う場から服を借りる場、
いわゆる服の図書館のようなプログラムを内包した
商業施設の提案となっていました。

建築としてのハードの面、
プログラムとしてのソフトの面、
どちらから見ても非常に完成度が高く、
さらに商業としての経済的なシステム面
においてもしっかりと構成されており、
審査員の方々からも非常に高く評価される作品でした。

きっと大学を卒業したての頃の僕が、
この作品を目にしていたら
嫉妬と妬みで荒れ狂うようなことになっていたでしょう…。笑

そこで今回感じたことは、
彼女たちの話の中にもあったように、

店に行かずともモノが買える、

出会うことができる現在の社会で

今後の商業がどう変わっていくのか、

という着眼点は僕自身に限らず、

「商業空間の価値」が直面している
大きな問題の一つなのではないかということです。

そこで彼女たちは、ちょっと先の未来に実現しそうな商空間の在り方を
非常に現実的で今の社会にうまく溶け込むことができるようなカタチで
建築として、リアルに提案することができていたのだと感じます。

そして、彼女たちが出した卒業設計としてのそのような答えは、
当時の僕が出した解答とは真逆でありながら、確実に美しくまとまった
解答だったのではないかと、、、。

というような、卒業設計での苦い思い出話しはさておき、

今回は「商業の本来の在り方」ということを、商業の始まりをもとに
掘り下げながら「今後の商業」について考えたことを
共有させていただきたいと思います。

そもそも商業というものがどのようにして始まったのか。
なぜ商業というものが生まれたのか。

そんなのお金を稼ぐために決まってるじゃないか!と
怒鳴り散らかす勢いで言う方も多くいらっしゃると思います。

ですが、僕が思うに、商行為は金銭的な価値が生まれるもっともっと前から
行われていたのではないか、と思っています。

その始まりは「物々交換」なのではないかと、、、

「物々交換」とは、自分が持っているモノと相手が持っているモノとを
比較した時に等価であるとお互いが認めた時に初めて行われる行為です。

例えば僕が持っている魚と、あなたが持っているイノシシの肉。

交換する目的は?

最近魚ばっかで飽きたな〜、とか、
たまには肉食っとかないと筋肉付かないしな〜、とか。

もしくは、

今持ってる木の実とイノシシの肉を
燻製して食ったらうまいんだよな〜、

なんていうちょっと食意識の高い
原始人もいたかもしれません。

というように考えると商行為の価値というものが、
大きく変わって浮かび上がってくるのではないでしょうか。

そこに金銭的な利益が無くとも商業は行われていました。

それはなぜか。

生きていくためです。

ワクワクするためです。


身体を作るために、食を楽しむために、
「物々交換」というカタチで
商行為は行われていたのです。

そして現代の社会では、
交換の条件として貨幣を支払います。
イノシシの肉を得るために、魚ではなく貨幣を支払います。

そうなった時にどのような事が起きているのか。

商行為の目的として、必要以上に金銭的な利益を求めるようになりました。
必要以上にイノシシの肉を貰っても嬉しくもなんともないはずなのに、、、
腐っちゃうし、、、

というようなことを考えるとまた違った店づくりや
商行為が行われていくんだろうな〜、
商業の可能性ってやっぱ無限大だな〜、

なんて考える日々です。

皆さまならどんな商空間があったらいいな
って考えるのでしょう、、、。

あー、楽しい、、、。


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