今日

書きたいことがある。いや、自分のために書かなくてはいけないという感情に今なっている。

大学3年の途中まで一人暮らしをしていたが、一人暮らしをやめて実家から通う決断をした。その理由はおばあちゃんだった。

特におばあちゃんっ子というわけでもない私がおばあちゃんとの暮らしを選択したのはわけがある。私のおばあちゃんは軽い認知症である、まだ物忘れが多いとか散歩してたまに迷子になるぐらいである。普通に生活できているし、会話なども問題ない元気なおばあちゃんだ。


人生において、変わりゆくおばあちゃんと暮らすことで学べることが何かあるのではないか、おばあちゃんのために私が何かできることがあるのではないかという気持ちでこの決断をした。一番はおばあちゃんと一緒に暮らしたいという純粋なこの気持ちが強かったと思う。

父にもお前のために一緒に暮らすのはいいことだと言われた。大学3年の秋から、母と認知症のおばあちゃんと3人生活がはじまった。

私の生活は、日中は大学で授業、夜は部活なので家にいる時間はほとんどなかった。夜帰ってきたらおばあちゃんは寝てることも多くあった。あまり、おばあちゃんと一緒に暮らしていることで自分の変化はなかった。

毎朝大学に行くとき、おばあちゃんはベランダから手を振ってくれる、それに応えて学校に行くのが日課だった。

母は認知症のおばあちゃんに対して強く怒ったりすることもあったが私は特に気にしていなかった。
三年が終わり休みに入ると家にいる時間が多くなった、おばあちゃんとの時間も増えた。母は仕事なので、二人きりの時もあった。


おばあちゃんにやめてほしいことがあったら伝えることにしていた。性格上私は、神経質できれいずきである。例えば、食事の時などに発揮してしまう。洗濯の畳み方などもそうだ、自分なりの畳み方がある。


私が我慢すればいい話であるのはわかっている。これがおばあちゃんと暮らすことなんだと言い聞かせていた。生活していくうちにおばあちゃんの嫌なところばかり目に入ってしまう自分がいた。一度言っても直らないまた繰り返すおばあちゃん。


認知症だからしょうがない、これが今のおばあちゃん、受け入れて生活していくしかない、自分がこの生活を望んだから。

おばあちゃん何も悪くないこいう病気だから、そんなの理解している、でもたまるストレスをおばあちゃんにぶつけていた。おばあちゃんに強く言う時もあった。絶対口にしてはいけない言葉も言った。そのたびにおばあちゃんは「ごめんね」という。おばあちゃんに謝らせている自分がいる。

私が3階から2階にいくとおばあちゃんはソファーの席を私に譲る。座らない時の方が多いのに毎回席を立つ。おばあちゃんが私に気を遣っているということだ。おばあちゃんから私に話しかけてくることも減り、二人でいる時は静かだ。

おばあちゃんの気持ちを考えたらすぐに行動を変えることができる。おばあちゃんの気持ちを考えるたびに、世界一不幸なおばあちゃんだなと思ってしまう。こんな孫で申し訳ない、この気持ちがあるのになぜだか行動を変えることができない自分がいた。自己中心的、無神経、子供だ。

大好きなおばあちゃんなのに、つい言葉にして言ってしまう、申し訳ないと思っている。たまに、父から電話がくる。おそらく母が父に報告したのだろう。
父は私に一度も怒らなかった。子供の私に何度も言った。「おばあちゃんと暮らせてるのはお前だけなんだぞ」と毎回言う。

父も父の母のことで大変だ、父方のおばあちゃんは何年も前に倒れて病院で寝たきりだ。話すこともできない。父が毎週病院に顔だしていることを私は知っていた。そんなことを考えたら父にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

たった一人のおばあちゃん、目の前にいるおばあちゃんを大事してあげることができない自分。愚かだ、何もわかっていないと思った。

そして今日僕はおばあちゃんに強く言ってしまった。おばあちゃんから聞いたこともない言葉がでた。

「早くおじいちゃんのとこいかなきゃね」

私のせいでおばあちゃんにこんな言葉を言わせてしまった、終わっている自分のことが許せない。
夜なかなか寝付けない、もしこれでおばあちゃんが朝死んでいたら、私は一生の後悔と生きることになる。自分が悪い、全て自分のせい、気付いているのに行動しなかった自分のせい。

おばあちゃんの顔を見に1階までいった。そしたらおばあちゃんは起きていて本を見ていた。
私はなぜかほっとした。嬉しかった。1階にはおばあちゃんと亡くなったおじいちゃんの写真や母との結婚式の時の写真などたくさん置いてある。

真剣に見たのははじめてだった、涙がドンドン出てきた。泣いたことなんてここ数年なかった、いつぶりに泣いたかなんてどうでもいい。
写真を見るだけで涙がドンドンでてくる、素直になれず私は部屋をでた、そして今noteを書いている。

こんなクソな孫だけど、おばあちゃんはどう思っているのだろう。
まだ遅くない、おばあちゃんのこともっと大事にしたい、ただ今はこの感情だけが残る。
やっと、やっと、本当の意味で分かった気がする。
おばあちゃん大好きだよ、長生きしてください。
世界一のおばあちゃんにさせてあげたい、今まで本当にごめんなさい。

自分にとって今ここに思いを残した意味は大きい、当初のnoteとは方向がずれています申し訳ございません。

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