見出し画像

引用反応集

1:はじめに

 今回は自分の投稿に対するいくつかの引用に対して反応していく記事です。本当は引用した上で反応した方が良いのかもしれませんが、数百文字という制限の中で前提の共有がされていない相手に対して語弊なく伝わるのかが疑問であったこと、引用をすることで攻撃的な内容をタイムラインに放出しかねないことを鑑みてこういった手段を取ることにいたしました。
 勿論アカウント名、アイコンといった個人情報は隠させて頂きます。そしてこれは1番大事なのですが、仮に誰の投稿かわかったとしても誹謗中傷、突撃等はなさらないようにお願い致します。

2:事実関係

 2024年1月11日に自身のアカウント(@kizukifuyuki214)にて以下のポスト(1)につき引用(2)のように投稿しました。尚、現在自分の投稿は対応可能範囲を超えて言葉のみが一人歩きする可能性を危惧し、削除させて頂きました。(1)の引用につきましては何か問題があれば削除させて頂きます。

(1)

(2)

子宮系カルトの再来か?と一瞬は思うたが、恐らくあれは「男性嫌悪を拠り所にしたシスターフッド」のようなもので、身体男性を省く為に男性にはない「子宮」や「乳房」を強調して女性から締め出そうとしているのだと思う。それが傍から見たら神聖視に見えるのでは?
先鋭化した理由はフィルターバブル

性被害や家父長制エピを共有することで共感による連帯を起こす。そんな被害者意識に基づいたシスターフッドの中では、多くの問題の責任は男社会とそれにしっぽを振る裏切者へと帰属される。そうすると自浄作用もへったくれもなくどんどん被害者意識が拡大し、それに伴い先鋭化していく感じ…?

+α)投稿の趣旨

 ”女性の象徴とした神格化”ではなくMTFを排除するための排除条件を設定する為のコードとして「女性特有の身体」を用いているので引用元は実態とはかけ離れていること、一方で実際に先鋭化している方も一定数批判の域を超えて個人の在り方の否定まで行っている例も散見されており、それが男性嫌悪(ミサンドリー)で繋がったシスターフッドと情報の洗練化によって自分の好む情報しか流れて来ないこと、被害者が多数いることによるエンパワメントが悪い方向に向かった結果ではないか、そしてそれを外部から見た結果が「神聖視しているように見える」となるのではないかという仮説を込めた投稿でした。
 何を以て「先鋭化」とするかというのもまた一つ議論を呼びそうですが、ここでは女性の権利保護の範囲を超えて個人の在り方や思想そのものを否定しうる言動を取っていることを「先鋭化」としております。一言で言えば過剰防衛。なるべく個人の人格を否定することなく、異なる価値観と共存しつつ、相互調整をはかれるように理論構成をしようねってことです。

3:反応

3.1:引用1

なんで「男性嫌悪」?
まあ中にはそういう人もいるだろうけれど、女性の多くは「男性中心女性蔑視社会嫌悪」であって、別に男を嫌悪していないんじゃないかな。それに子宮も乳房も標準装備というだけで付けたくてつけてるわけじゃないし、それを有難がってるのはむしろ男性なのでは。

 これはもしかしたら、自分の中で認識しているフェミニストとこの方の認識するフェミニスト像が合致していないのかもしれません。「そういう人もいる」の「そういう人」について言及していると思っていただけた方が良いかもしれないです。

3.2:引用2


子宮が女性にしかなくて勝手に股から血流れるから男性社会から締め出されてるのが女性なんじゃ?
ナプキンの譲り合いなんか鼻血出てる人にティッシュあげるのと変わらないのに、避難所でナプキンの奪い合いが起きるとか馬鹿みたいなこと言う男性のせいで女性差別が透明化されてるじゃん
女性が男性社会から締め出されてきたからしょうがなく弱者の女性同士協力しあってきたのが、男性を締め出すに見えるのか
すべての差別に反対します系の人はなんで女性差別が見えなくなっちゃうんだろう

 まず第一に女性本人が望むと望まぬと女性が男性社会から締め出されている社会構造が現状存在していることは同意します。そして女性同士の協力関係を築くこと、女性スペースの保護を訴えることは社会的にも正当なものであり、必要でもあります。そして社会が女性を締め出したというのも認めます。そこに女性差別があることも事実です。
 しかし今回はその話をしているわけではなく、女性が思想を先鋭化させて加害者になりうる事例について述べているのであり、それが何故起こりうるのかを彼女達を取り巻く環境とインターネット特有の環境から考察する趣旨でした。ミサンドリーフェミニストの例と言った方が良かったかもしれませんね。
 男性社会から女性が締め出されるように、女性社会も男性を締め出しうることはあるし、勿論それが是認される条件というのもある。一方でその排除が全てにおいて是認されるというわけではなく、排除根拠には合理性が含まれる。問題はその合理性があるかないかであって、個人の在り方そのものを否定する必要性はないし、そこまで行くのはやりすぎであるという私見の下で、女性が何故加害に及ぶのかを考えた投稿とお考え下さい。
 冒頭に「?」がくっついていることと、その後のご投稿の内容が一般的な議論をなぞっているように見えるあたり恐らく趣旨が伝わっていないのだろうと思いますが、一言で言いますと今回言及している内容とはちょっと違うということです。

補論

 ここからはあくまでも持論なのでどう思うかはご自由なのですが、「差別」のカテゴリーは明確かつ独占的に分類できるものではないと考えております。人種差別であり、女性差別でもあると判断できる差別があるように、”こちらに属する=一方に属さない”という公式が成り立つ事象の方が少ないのではないでしょうか。簡潔に言えば、社会における事象は複数のラベルを張ることが可能であるということです。従って女性差別でもあり、性的少数者差別でもあるという事象も多く存在していると考えています。
 よく生得的女性のFTM(X,ノンバイナリー含む)は女性差別を透明化しているという指摘を受けますが、そこまで厳格に反対解釈が出来るものではないのではないと個人的には思っております。というのも「何をもって差別とするか、これは何に対する差別であるか」という判断は主観によるところが大きく、視点の違いによって主張が大きく変わることもあります。自分と同様に捉えない=透明化、差別者と断言できる程単純なのものではないのではないのではないでしょうか。

3.3:引用3及び4

 以下は趣旨が同じなので、同時に反応させて頂きます。

ならば性暴力被害者たちは如何にして体験を、差別構造ゆえの不利益であることを共有し、差別構造に立ち向かえというのか。

性被害か家父長制エピを共有することで共感による連帯を起こす。

それの何が問題なんすか?

 これに関しては本当に言葉が足りなかったです。軽率な発言でした。
性被害や家父長制エピソードを共有すること自体は問題視していません。自分が指摘していたのは、その被害を根拠として個別具体的な他者に対して思想良心を侵害しうる言動を取りうることです。人間は学習する生き物であり、トラウマから個別的加害者と類似した特徴を持つ人間に対して防衛本能が働き、攻撃的ないし排除的になることもあるので、ある程度は仕方がないのかもしれません。そういう方が集まれば、そういう方向に行く可能性は上がるでしょう。しかしだからといってそれを容認するのも違うのではないかと思います。
 勿論一部の方であることは承知しておりますが、引用元に「先鋭化したトランスヘイター」とあることから性自認概念を完全否定し、それを個別具体的な他者に対して向けている層に限定して言及したものでした。大事なことなのでもう一度言いますが、被害を共有し、共感し、連帯することまでを否定するものではありません。
 一方で、インターネット上での「界隈」におけるそのような集団が被害者意識やトラウマ、共感性により他者加害に及ぶまで攻撃性を帯びた際にそれを踏み留まらせるストッパーとなる存在がないのではないかという点は指摘させて頂きます。インターネットという繋がりが希薄で、都合の悪いものに蓋をすることが可能で、かつ相手の顔が見えないので加害意識が育ちにくく、さらにフィルターバブルの存在する空間では被害者が返って加害者になりかねないことは、被害者意識という本来は無害なものが攻撃の対象になりうることは頭の隅に入れておいていただきたく思います。

4:まとめ

 投稿当初は「それちがうんじゃねー?」みたいな凄い軽いノリでポストしていましたので、引用が複数ついていた時は流石に驚きました。有名な方からきたので、おぉ?と思いました。引用だし無視しても良いかなと思ったのですが、届いた引用が確認時点で反論に収まる内容だったので、古典の思想家を見習って反応させて頂くことにしました。一応言いますが、全然誹謗中傷とは思ってないです!自分の言葉がかなり荒かったのと、そもそもの前提を共有できる投稿を怠ったのは自分なので!
 それにしても改めて発言を見返しつつ精査しつつ人に伝わるように言語化してみると、本当に言葉足らずでしたね。失言による炎上って多分こうやって起こるのだと思います。というかそもそもこれTwitterで全部説明しきれる程単純なものではなかったよなと思います。ちょっと迂闊過ぎました。
 彼女達に届くかどうかは分かりませんが、一応ある程度の説明責任は果たせたかと思いますので、一応この手の話題に触れた以上は立場を表明しておかなければならないと思う事項をおまけとして記した上で締めくくろうと思います。

5:おまけ ーお手洗い問題についてー

 一応ここまで触れてしまったので、最後お手洗い問題について私見を軽く述べたいと思います。個人的には性自認と身体性別は別のものと考えており、両者が食い違うことで苦痛があることは事実ですが、両者が存在を否定しあうものでもなく、併存し、どちらが優先されうるかは時と場合によるという認識です。つまり、「性自認が優先されないのは差別だ!」という主張が絶対に通るものではないということです。当然ですね。従って女性スペースに身体男性を入れないという判断も是認されうる場合があるというわけです。お手洗いや公衆浴場はこの是認される条件に該当しうるのではないでしょうか。
 それでも全部一律的に駄目!とするのが良いのかもわかりません。埋没して平穏に暮らしている方もいらっしゃいますし、そういう方々まで巻き込んでしまいます。そういう方の平穏に暮らす権利との調整も考えなければなりません。従って個別具体的な調整(パス度、治療歴、手術の有無etc…)をはかるというのが無難なのかなと思っています。ただ流石に未手術ではダメなので、戸籍変更はせめて手術を要件にしてくれと思ってしまいます。
 まぁ自分は身体機能への違和しかなく、好みの問題からレディースは着ませんが、書面や場所をそこまで気にしない人間なのでして、お手洗い問題に関してはほぼほぼ部外者の意見と思っていただければ幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?