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「あいつがいなくなってからよ、俺はもう俺じゃねえ気がしちまってな」

そういうと、力を抜いて腕を垂らし肩を落とした。

「行くあてもなくなって、ここの頭に拾われたのさ」

そう言って裏手の塀の外を顎で指した。左衛門はそちらのほうに視線を向ける。その意味を探ろうと頭を巡らせたが、一向にわからない。

「わからねえのか?」

男は諦めたような、それでいてこちらを蔑むような表情を見せた。

「俺たちはな、夫婦の契りを結んだのさ」

その言葉の意味することがなんなのか、それには左衛門はすぐに合点がいった。

(さては兄弟で情を交わしたか!)

江戸時代、兄妹相姦は身分を剥奪され非人に落とされたという。吉原の裏手には非人頭、車善七の屋敷がある。

「家にも戻れねえ、ただせめてお小夜の近くにいてえ…二人で悩んだ末に出した答えだ」

左衛門は夢千代のことを思い出していた。そして、あれだけの器量好しが、張見世にしかでられないのも理解した。身請けしておぼこ娘ではないと分かれば商品価値もグンと落ちる。それでも店に立てたってことは余程の苦労があったに違いない。

「後悔なんかしてねえよ。それはあいつも同じだったろう。だからよ、いつかあいつの身請け金持って、また兄妹一緒に暮らそうって思ったってなんの咎もあるめえ。だから金のために陰間茶屋に俺も身を預けたんだ」

左衛門はゆっくりと身構えを解き、手に持ったノミを懐に戻した。

「小夜が夜毎肌を晒して、色んな男と情を交わし、吉原の苦界で過ごしている事思えば、自分のケツ掘られる苦しみなんざ屁でもねえよ」

自嘲的な笑いを口元に浮かべる。

「そんな中、奴が流行病で亡くなったことを知った。俺は身も世もなく泣き狂った。俺がいなくなる。俺がこの世に生きてる意味がなくなった」

諦めきったような笑みを浮かべ肩をおとした。その顔は今にも泣き出しそうだった。

「毎日死ぬことばかり考えてた時に、仲間の河原者から辰五郎の小屋で俺が出てるって聞かされてな、何のことかと思って小屋に走った」

左衛門はいつしか男の話にひきこまれていた。

「果たして、そこに居たのはお小夜だったんだ」

一歩、また一歩と左衛門に近づく。

「恋い焦がれた俺の半身。まるで生きて俺を待っているようだった。だからよ、俺はおめえに感謝してる。もう二度と今生じゃ会えねえと思ってた小夜に合わせてくれたんだからよ」

諦めの顔…。いやあれは明らめている表情なのだろうか。

「おめえ…」左衛門は一歩前に出て、近づこうとすると「だかよ!」と、また厳しくなった声に驚き、左衛門は歩を止めた。

「奴との関係なんざこの顔を見りゃすぐバレる。わからねえように毎日通っていた。したらなんだ、俺のように通ってくる奴が何人もいやがる。耳をそばだてりゃ、小夜の客どもだ。そのうちお互いが馴染みになって、思い出話をし始めやがった。こいつらが金で小夜を買って、あの柔肌を弄ってたかと思うとよ、いてもたってもいられなくなった」

「それで殺しを」

「初めは、脅すだけのつもりだったがな」

そう言ってまたなにかを見下すような表情に戻ると、

「暗闇でおいらの顔見りゃ、そいつら化けて出たって、腰抜かしやがるだろう。せいぜい怖がらせて後悔させてやろうって思っただけさ」

そう言ってまた刃物を弄び始めた。

「でもよ、あいつら馬鹿どもは俺を見るなり嬉しそうに近づいて来やがった」

男は何か思い出したように怒りの表情を見せると、ジッと左衛門を睨みつけた。

「お小夜は俺のもんだ!おめえらが心開いて近づけるもんじゃねえんだ…そう思っちまってな。それでカッとなって、殺っちまった。そうなったら後には引けなくなっちまった」

「てめえ…酷え事を」

「あいつらが小夜を苦界に繋ぎとめていやがったんだ。そのために小夜は死んじまった」

そう言うと不気味にくすくすッと笑った、

「小夜に死を与えた奴らに罰をあたえただけさ」

死してもまだ夢千代を苦界につなぎとめる奴の自分勝手な思い込み、嫉妬、所有欲。復讐なんぞ、あの娘は望んじゃいねえそう思うと左衛門は内から湧いてくる苛立ちを抑えきれなくなり、たまらず声を荒げた。

「いつまで夢千代を苦界に繋ぎとめようって言うんだ!おめえ、おかしいと思わなかったのか!」

つづく

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