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【応募用】心は、いつも君の下に

タイトル:心は、いつも君の下に

 メモリー中毒の問題について、私は、強固な規制主義者だった。

 すなわち、メモリー中毒が社会に及ぼす社会的損失は甚大であり、当該中毒を引き起こす活動は一切中止すべきだと考えていた。
 数多くの薬物中毒事例を扱ってきた弁護士として、この日は、メモリー中毒患者たちと公開討論をする一日だった。


「弁護士先生は、我々メモリー中毒患者の気持ちなんかわからないんだ。先生だって、同じ立場になれば、きっと同じ中毒患者になるに違いない!!」


 中毒患者の会の代表の60代女性は、熱弁を振るった。中毒患者グループからは、「そうだそうだー」と盛り上げる声が聞こえる。


 会場の雰囲気に飲まれないよう、慎重に言葉を選んだ。それこそ、爆弾処理班が真空管を扱うように。


「確かに、私も同じような立場に置かれればその誘惑に駆られることでしょう。しかしながら、今まで人類は、この中毒症状を経験してきませんでした。我慢可能な領域のはずなのです」


 私は、弁護士らしく、精いっぱい理性的に発言をした。しかし、中毒患者の会の代表の女性はひるまない。


「メモリー中毒患者は、他の薬物中毒患者の人間と異なり、違法なことをしておりません。何がいけないのですか!愛すべき人間たちとの日々を最優先にし、身も心も最優先に捧げて生活することの何がいけないのでしょうか?」


 議論は、いつまでたっても平行線をたどり、結論は出ることはなかった。2時間の討論会が終わり、同じく規制派である同席した同僚弁護士は言った。


「中毒患者たちに対しては、何を言っても無駄なのでしょうかね」


 私は、患者会代表の熱弁を思い出しながら言った。


「中毒とは、そういうものなのかもしれない」

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 それから、1か月後のことだった。妻が、交通事故で亡くなった。
 飲酒運転のトラックが突っ込んできたらしく、避けようがなかったらしい。 警察からの電話に慌てて駆け付けると、妻の遺体には白い大きな布がかけられていた。


「見ない方が良いと思います。一生、その姿が頭に残ってしまいますから」


 私は散々迷ったが、彼女の顔は見ないことにした。遺体になると、ヒトからモノになってしまうことを、弁護士業を通して知っていたからというのもあったが。それ以上に、妻が死んだということを受け入れたくなかった。
 葬式が終わり、49日が終わっても、我が家には影が落ちたままだった。それこそ、日光を思い出せないくらいに。気持ちは、ヘドロの中に沈んだままだった。
 中学生と高校生の娘2人と、小学生の息子1人。母親の死を受け入れるには、3人はあまりにも幼すぎた。本当であれば、母親に反抗し、さらには甘えたい年頃だろうに。子供たちは3人とも気を張り、大人びて生きようと必死だった。毎日背伸びし、感情を押し殺し、無理に明るく振舞う子供たちを見るのが辛かった。


 妻が亡くなって、3か月が経った頃のことだった。このままでは、家族全員の精神面が危ないと考え、X株式会社に電話をした。
「はい、こちらはX株式会社です」
「早速で申し訳ないのですが、メモリーサービスを利用したいのですが?」
「畏まりました。今回は、お1人でよろしかったでしょうか」
「はい、私の妻、子供たち3人にとっての母親になります」
「承知いたしました。費用は、初回で数百万円。その後のアップデートメンテナンス等も含めると、5年間でさらに数百万円にもなりますが、構わないでしょうか?」


 私は、少しだけ間をおいて、「はい」と伝えた。時間にしてわずか10分。その後の手続きだったり、詳細なデータの受け渡し方法については電子メールでやりとりをすることになった。


 X社は、死者をAI技術で蘇らせることをビジネスとしている。亡くなった人間の画像や動画、SNS,メール、さらには家族の情報などをインプットし、画面越しに自由に会話ができるプログラム、『メモリー』を提供してくれる。このプログラムを購入した人間の中には、その高額費用に破産する人間も多く、いわゆるメモリー中毒者として社会問題となっていた。


「どうせ、大したプログラムじゃないだろう」


 そんな軽い気持ちで始めた。自分が経営する弁護士事務所の売上は順調で、費用はそんなに問題にならない。少しでも子供たちの気持ちが安まれば。そう思って購入した。

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 プログラムが届いた日は、家族で一緒にテーブルを囲んだ。そして、購入したメモリーサービスは、A4サイズの紙くらいの電子パッドで送られてきた。説明書に書いてある通り、パッドを椅子におき、スイッチを入れると、そこには、妻の姿があった。近くでみないとホログラムだとわからないくらい鮮明に。


「お母さん?」


 長女は、顔をこわばらせながら、その姿を見ていた。次女と長男も、最初は、半信半疑だったのだろう。当初、表情は硬く、薄い期待感の下、さっさと終わらせたい雰囲気に溢れていたのだが。その母親の像を見て、瞳孔が一気に開いているのが分かった。


「みんな、久しぶりね。あら、今日はご馳走なのね。さ、一緒にいただきましょう。いただきます」


 そういうと、母親の像、いや、妻は、自然な身振り手振りで我々に食事を食べるように促した。会話がどのように進むのか、想像がつかなかったが、心配する必要はなかった。


「受験勉強は頑張ってる?」
「バレエの発表会はどうだった?見に行けなくてごめんね」
「誕生日おめでとう。2か月遅れだけどね」


 家族の話題を正確に把握し、子供たち一人一人の顔を見て彼女は話を続け、子供たちからの問いかけにもよどみなく自然に答えた。子供たちは、全員泣きながら会話を続けていた。私もその光景を見て、涙を止めることができなかった。
 私は、なんで泣いているのか分からなかった。妻は、もうこの世にはいない。だが、彼女の声と姿は、まぎれもなく私の知っている妻だった。
 食卓で、私は、子供たちといつまでも泣き続けた。食卓の食事がすっかり冷めてしまうほどに。


「みんな、どうして泣いてるの?私は、元気よ。最近どうしているのか教えて」


 妻は、生前通りの笑顔で言った。その日、子供たちは、夜通し妻と語り続けた。私は、それを横で聞き、妻と過ごした日常を思い出していた。


 葬式や49日の儀式は、一体何だったのか。死を受け入れるはずだった手続きは、全て吹き飛ぶほど、彼女との会話は自然であり、当たり前だったはずの日常がそこにあった。
 もちろん、彼女は、現実世界で働くこともできなければ、家事をすることもない。さらには、我々と直接触れ合うことはできない。永遠に。
 夜、寝室のダブルベッドの隣に妻はいない。それでも私は、妻の存在をとても近くに感じた。日常の一部として。


 以後、我が家のダイニングには、必ず彼女がいるようになった。子供たちは、毎日彼女に話しかけ、近況を報告し、悩んだ時は彼女に相談をした。私も、子供たちと多かれ少なかれ似たような行動を取った。
 さらに、我々は、彼女と旅行や買い物もするようになった。新しい思い出も一緒に作れるようになり、我々の成長も一緒に共有できるようになった。きめ細やかなことに、ホログラムの妻も年齢を重ねる設定になっていた。妻が、化粧を落とした表情で現れると、皺の深さが微妙に加齢された形で調整されていることがわかった。一緒に年齢を重ねている感覚を共有できることは、とても嬉しかった。


 1つだけ、以前の生活と変わったことがある。それは、誰も妻とケンカしなくなったことだった。我々家族の話を優しく受け止め、適切な相槌を返してくれる彼女に不快感を持つことは難しかった。風に揺られる柳のしなやかさに悪意を持つことが難しいのと同様に。


 家族の間で、妻は常に取り合いになった。タブレットパッド1つで彼女をホログラムの形で呼び出すことができ、自分の話を聞いてくれる妻は、むしろ以前よりも自分の妻らしい理想の妻のように思えた。


 妻の納骨の際、寺のお坊さんに聞いたことがある。


「妻は、死んだらどこに行くのでしょうか?」


 お坊さんは、確信をもって答えた。教科書をそのまま読み上げるようにして。


「みなさんの心の中に行きます」


 私は、今、その言葉の意味を噛みしめている。メモリーサービスは、その事実を浮き彫りにしただけなのかもしれない。

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 さらに2年後のことだ。私は、中毒患者側に寄り添う弁護士として、公開討論の場に立った。


「私は、勘違いをしていました」
「勘違い?ふん。弁護士先生ともあろうお方が、自分の立場をそんなにコロコロ変えるとは、全くいかがなものか」


 強固な規制主義だったはずなのに、手の平を返したように賛成派になった私に、周囲は厳しかった。
 一方で私の決意は固かった。自分が間違っていたことを認め、メモリー中毒は、害悪なんかじゃないと証明するために。
 私は、以前と同じようにパネルディスカッションのパネリストとして参加し、次のような意見を述べた。


「自分と子供たちが、妻を失い気付いたことがあります。それは、妻を失うということは、妻の前で元気な日常を過ごしていた、我々自身を失うことと同義だったということです。メモリーとして存在する妻は、我々を取り戻してくれたのです」


 この日の公開討論も、結局は平行線で終わった。恐らく、この日に限らず、永遠に平行線なのかもしれない。帰り道、規制推進派の弁護士仲間と一緒になり、彼から質問された。


「どうして、心変わりをしてまで、また公開討論の場に?心変わりしたら、もう討論に出てこなくてもよかったのではないですか?批判も多いでしょうし」


 私は、少し照れ臭そうに、しかし一方で真剣に答えた。


「どうしたらいいか妻に相談したんだ。そうしたらこう言われたよ。今度は、あなたがメモリー中毒者たちを支える番だって」


 それを聞いた同僚の弁護士の表情は、形容しがたい表情へと変化した。まるで、絵の具の色を全て混ぜ合わせたみたいに。


 その表情を見て、私は、言った。


「君も、心の中に会いたい人はいるかい?」


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