見出し画像

ruralBigness

2020_04_11

今日は里山と近代-現代に関するインタビューと都市から距離をとり、未開や廃墟を透視して見るインタビュー、そして廣岡さん主催の地方で働く建築家の対談を聞いていた、地方づくしの1日だった。
彦江さんのインタビューが面白すぎた。まだ整理仕切れてないところが多いが、資本主義社会(大量生産)の中でスケーラビリティではないこと、またはスケールが振り切った先のビッグネスが勝手に帯び始めてしまう予測の範疇の破壊、廃墟、そこから始まること。同時に出てきた超ローカルXSとしてノンスケーラブルになってしまったマツタケ。ノンスケーラブルのオルタナティブ性。

2年前にやった、地方の町の駅が、その町の図書館やホール、生涯学習機能や行政機能を合体させて建て替えることで巨大な駅が生まれるプロジェクト。実際に地方では公共施設が利便性から合併して行くのは増えている。そのプロジェクトは当時はクソすぎると思ったが、それを⑴年前に見返した時に、ruralbignessという造語を思いついた。それは都市の産物だと思っていたビッグネスな建築が、今後地方でも生まれる可能性があるのではないかという予測と、もしそんなのが生まれたらそれは都市の1個のビッグネス建築よりもより大きな影響力を持つだろうという希望を感じれた。

ruralbignessが建つ場所はきっと山や海ばかりの中で少し広めの平らな場所とか、スカスカの町の中では少し密度が高の場所、そんな感じが気がする。その建築は周りの建物よりも圧倒的に小さくて、周りの山や海よりも圧倒的に小さいはずだ。だからそのスケールの間に立つようなランドスケープな建築がつくれればまだよかったかもな。

ruralbignessの概念まだ薄っぺらすぎるけど、多分そうゆう思いが西沢スタジオの時もあったんだろうなと思う。
今日の風呂は結局西沢スタジオのことを考えていたけど、あの街に行った時の素直な感想は多分、
・砂州の持つ特異な地形とその時間の長さを感じさせてくれること。
・そして、同じようなSスケール建築が密集する中で、海際に壁のように立ち並ぶホテルたちと、超急な山のその間の平地のど真ん中に細長く建つ学校のすこちこんもりとした感じ?というのかな。とにかくその近代の産物のその2つが小さな漁村の人工物のスケールとは不釣り合いで、ランドスケープ的な感覚、町のどこからも見えるし、象徴?安心感?何かしらの拠り所のように見えたんだろうな
そんな近代というかバブルかな、のちょっと街に合ってないスケールの産物をさらにまとめあげて行って、ルーラルビッグネスにてしまえばよかったのかなと思った。
小中学校/ホテルというThe近代の産物を物体的にもプログラム的にも解体して行く、学び/滞在を考え直すってのを、この期間中にもう一回まとめ直したいな。それはすごく都市-地方のこれからの関係っていうこともはらんでいる。自分にとって大事な気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?