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明るい未来の話は、実は明るくないかもしれない

明るい未来の話は、実は明るくないかもしれない。
僕はnever young beachの「明るい未来」という曲が大好きだ。

"流れゆく日々を過ごして
変わりゆく街に驚かされても
二人で並んで歩こう
それすらもきっと歌になる"

その歌の中の凄く好きなフレーズ。

日常に根差した幸せを、単純な言葉で表現していて親しみやすい。
まるで自分の事のように感じられてとても良い。

ずーっと幸せな気分でこの曲を聴いていたのだけれど、ある時ふと思った。

「これって、ずっと一緒にいることが前提になってないか??」

もしかしたらどこかですれ違いが起きるかもしれない。
不慮の事故でいなくなってしまうかもしれない。
明るい未来の話は、あくまで現状維持の延長線上にしかないのである。

もし、という言葉を言い始めたらきりはないけれど。

世界は不安定で、他人は変えられない。
あくまで動かせるのは自分だけだ。

そう考え始めたら、明るい未来の話は、「実は期待をしている空想の未来で、実は明るくない可能性がある」という考えに取りつかれてしまった。

今では明るい未来の話をしていると、「これは本当は明るくない未来かもしれない」という、暖色と寒色が入り混じった奇妙な感情に包まれる。

おかげで、現状の世界線に感謝を持ちながら生きることには成功した。
でもそれと引き換えに、僕の日常に寒色が侵入してきたのである。

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