小さいと思っていたものは、ただ単に遠いだけかもしれない。(青鬼ー客演記録)

2023年6月、演劇初心者の僕は
ド先輩方率いる劇団に客演として出演した。
これはその時の感想と記録である。

結論は大きく3つだ。

①え?社会人が集まって劇団やるってヤバくね?
②35年間続けるって人望えぐくね?
③そもそもこんなアツい場だなんて知らんかった


はじめまして。
北海道の劇団Generalprobe(げねらるぷろーべ)という劇団の元凶をしています。
すゞきといいます。
劇団に関しての説明は以下⤵

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劇団Generalprobe(ゲネラルプローベ)

2023年3月に旗揚げした北海道北見市を拠点をとする劇団。代表は筆者:すゞき 
「総合的芸術創作のためのクリエイターの集い場」をコンセプトに舞台芸術や演劇を中心に創作発表を行う。
旗揚げ公演「オルター・エゴ」では、ゲスト書き下ろし台本やオリジナル楽曲等を交え、満員御礼の旗揚げを行った。
現在は令和5年11月の第2回公演に向けて準備中。
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劇団の説明は全然飛ばし読みでもいいですが、
今回は僕が令和5年6月に参加した、劇団動物園客演ファイナル夏公演「青鬼(鈴木アツト作)」に参加した時のお話を書いてみようと思います。

劇団動物園、というのは僕の劇団の拠点でもある北海道北見市で、35年前から活動されているベテランの小劇場劇団です。
僕は高校時代の演劇部だった頃彼らの芝居に出会い、その繊細さと情熱に心踊りました。
彼らが所有する専用のアトリエ(稽古場兼公演場所)に1歩足を踏み入れた瞬間、非日常が待ち受けているワクワク感を得たものです。
演劇をしている地元の学生や若者にとって、「特別な場所」であったのは間違いありません。

そんな劇団動物園さんの元にお世話になるきっかけになったのは令和5年3月に敢行した劇団Generalprobe旗揚げ記念公演「オルター・エゴ」。

千穐楽を迎えたあと、僕の元に劇団動物園代表の松本大悟さんから一通のメールでお誘いが入りました。
「劇団動物園の客演夏公演に出ないか」と。
旗揚げ公演を終えたばかりとはいえ、ほぼ何も失うものが無い僕は即座に職場に断りを入れ、公演日の休みを確保し二つ返事で受けました。
「あのアトリエに立てるなんて!」と、もはやその気持ちだけです。それほど、35年間(そして僕が見てきた4-5年間)の中で培ってきた彼らの演劇魂はアトリエと僕の心に染み込んでいました。

ファイナル客演夏公演の題材脚本「青鬼」は劇団印象(いんぞう)の鈴木アツト氏の作品。いわゆる既成脚本です。
(というよりも、劇団動物園さんは既成脚本の上演を原則メインとした劇団で、今回もその中で脚本の選定に臨まれたようでした。)

顔合わせ・読み合わせを皮切りに稽古期間が始まり、気づけば自劇団の旗揚げ公演千穐楽から2週間後には、新たな座組で稽古をしていました。仕事でもないのに。うーん我ながら演劇バカっぽい。

稽古期間はおよそ3ヶ月間。
座組の中で1番年下として参加し、多くの先輩の元で試行錯誤する日々でした。
この稽古がまた凄まじいスピードで進み、稽古が終わる度に、「なんと俺は役者に向いていないのだろう」と思ったか分かりません。
この期間中、少しは俺いい演技できてるかも、と思ったことはほぼありませんでした。
日々更新される周囲の演技力と、日々迷走していく僕の演技。いやはや、もうごまかしなんて怠慢なもの、醸し出すことすらも恥ずかしい。
とにかく全力でやりきる他、示しはつかないのです。

演技のみに関わりませんが、何事も慢心とプライドこそが、人生の足枷になると思っています。
それは自分が今までの人生でよく分かっていて、しかし治すのが難しい場所でもあります。そして、その「分かっている」ことを1番「分かっていた」のが代表兼演出家の松本さんでした。

本公演はかなりの厳しさでやっていると噂の劇団動物園の稽古場は、客演公演という一種の演劇まつりのようなテイストの為か、終始和やかな雰囲気で進みました。
僕が自分の劇団の第1回公演で面白さを見出すために精一杯絞り出した、役者頼りで抽象的な演出(とも言えない演出)をしていたのはなんだったのかと思えるほどの、数十年の論理に基づいた、最高に泥臭く、しかしスマートで、イカした(死語かしら)演出が稽古場を包みます。しかもそれが一瞬の淀身もなく。すげぇ。
稽古場には日々「自分なりの結果」を持ってくる。
役者も演出家もそれが徹底されていました。


演劇をまとめる人は人をよく見ていなければならないと思います。

それは、今回の件や、高校時代の顧問を見て何となくわかってきていたことでした。
そして、明らかに自分にはこの視点が足りておらず、またどうすれば「人を見る」ことが出来るかすらもよく分からない、動く点Pのような掴みきれない視点。これからもきっと困り果てるんだろうな、と思いながら、演目内容も相まってどうしたら人を愛することが出来るのだろうと考えさせられた数ヶ月。

劇団動物園の稽古場は僕たちを包む大きな社会と同様に、人を「見る」ことで成り立っていました。というよりも、ある一定の人数を超えた先の演劇創作はもしかするとそれをしないと成り立たないのかもしれません。

僕が放っておくと勝手に追い詰められ自問するタイプだと恐らく見抜かれたのでしょう。特段何も言われることは無く、無言という究極のアドバイスと、自分の感情の機微のままに、僕はどんどんと思考の沼にハマっていきます。そして、行き着く結論は毎度「自分の努力不足」という結論に至るのです。
引き出しの無さも、俯瞰力の無さも、協調性の無さも、全ては日々の過ごし方や意識の違い。

そんな自分にとって、
「隣の役者と比べるよりも、昨日の自分と比較される」そんな稽古場は、ある種居心地がよく、時にめちゃくちゃ辛い環境でした。
しかし、決して役者に必要以上の無理をさせない。その塩梅がまた絶妙なのです。
適度なストレスと温かさ。これこそがまさに演劇創作の理想郷と言わんばかりの雰囲気でした。
これこそが演劇創作35年の境地かと呆然としました。ここまでたどり着くにはきっと想像もできない昭和と平成を駆け抜けた厳つい過去があったに違いありません。(想像です)


僕は高校生時代、彼らが用意した観客席でアトリエでの時間を楽しみながらも一方で、オリジナル脚本でも無く、道東から都会に積極的な進出をしていない、地道な地方アマチュア劇団の中のひとつだと言う風にも感じていました。

が、旗揚げ公演を終え、客演夏公演を終え、
「創作者」側に少し近づけたかもしれない僕の、今の率直な感想は主に3つです。これが結論。

①え?社会人が集まって劇団やるってヤバくね?
②35年間続けるって人望と愛、えぐくね?
③そもそもこんなアツい場だなんて知らんかった

①社会人が集まって演劇をやるのは、ヤバすぎる

どんなに時間の都合が着く公務員や自営業でも平均して週5日8時間は働いている。睡眠時間を削り、あまたの趣味を持つ演劇人たちが集まって、数ヶ月のときを共にしひとつの作品に向かって突き進む。
いやいや、これ「楽しい」以外の感情で動いてたら金稼げちゃいますやん。もうひとつ事業できちゃいますやん。会社建てれますやん。
好きという気持ちは偉大だ。そして、それをまとめてひとつの方向に導く代表という存在はもっと偉大だ。(僕はまだ、なりきれていない。)
そして、金にならない演劇を続ける団員の皆様、いい意味でおかしい。まさに演劇バカ。
というより金なんかより大事なものがここにはあるのだろうな。なんだか痛感してしまった。

②35年続けるって人望と愛、えぐくね?

35年である。僕が産まれる10年以上前から、もっと言えば僕の親がまだ制服に袖を通すか通さないかの頃から演劇に向き合っているのだ。
それも僕が歩き、喋り、児童から生徒へ、生徒から社会人へ、様々な出会いと別れを繰り返す20数年の間も、ずっとである。
途方もない長さだ。
僕の劇団Generalprobeはソロプロジェクトである。毎回公演ごとに新社会人のような若い世代(僕もそう)に客演として俳優に出演してもらっている。
未だ、劇団員は僕の他に居ない。
それは、もともと僕の実績や人脈が多くないのと同時に、前述した「人を見る」ということが苦手だからでもある。
僕以外の人間が僕の劇団を構成する以上、彼らの居場所を作る必要があるのだ。
そのためには、どうすべきか。
愛である。おそらく。多分。昭和かよって感じだけど、多分これだ。
その人それぞれにマッチしたコミュニケーションを行うことが出来るベテランの演劇創作者、そして社会人たち。恐るべし。まさに目指すべき境地。クリエイターとこの視点を併せ持つ存在は決して多くない気がする。

③そもそもこんなアツい場だなんて知らんかった

35年間続けたことによる地元への根ざし、錚々たるベテラン演劇人たちとの人脈、そして何よりもその経験が、確たるものとして鎮座しているのだ。温かさに包まれるような稽古場の存在はまさに地域演劇シーンの希望。質が良すぎて今の所到底追いつけそうにない。
コミュニケーションありきの演劇は、演劇が決して「演劇」としてのみ大切であるという視点を忘れさせてくれる。
面白い演劇と温かい座組が、必ず必要十分条件であるとは限らない。
しかし、これを両立出来る劇団は果たしてどれほどいるのだろうか。

高校生の時の自分に、「君がみている世界はまだまだ狭い」と言いたい自分と同じように、きっと数年後の自分も今の僕に「まだまだ視野が狭い」と言いたくなるほどに、僕はまだきっと何も見えていないのでしょう。

だからこそ、主体的に色んな場に足を運んでいって、たくさん吸収出来ればと思っています。
もちろん、行きたくない場所に無理やり連れていかれて「学べ!」などと言ってくる人の元では僕は学びたいものも学びたく無くなってしまうので、
「苦しさを選択すること」が何よりも必要だと感じます。人にとっては苦しいかもしれないけど、自分にとってはなんともない、そういう部分を見つけて伸ばしていくことこそ、差別化に繋がっていくと信じて。

第2回公演では、そんな2ヶ月超を過ごした僕が
学んだこと、得たことを最大限に取り込み表現するつもりです。

演劇は、誰にでもできる。

誰にでもできるものにおいて、若さというのは体力と感受性、そして流行の敏感さ以外で優れる点は少ない。
膨大な量のインプットとアウトプットの果てに、面白いものができるのだとしたら。
僕は、そして僕たちは、まだまだ足りていない。

3月の旗揚げ公演は脚本・演出・プロデュース、全てが僕の監督下で行った。
その中でも、人と関わる中では、時に自分の意向を押し通すことが是でないこともある。

しかし、言い訳せずに現時点でこれが面白いものだと言える作品でありたい。
そのために日々、膨大な時間を掛けて準備をしている最中である。
きっとこの作業が僕の人生を輝かせることを信じて。
そして、あなたの人生にもまた、少しだけ溶け込めるように。

11月、第2回公演、お楽しみに。
「青鬼」楽しかったなぁ。
見てくださった方々、劇団動物園の方々、
共に稽古場を踏んだ客演の方々、ありがとうございました。

2023年7月頃 記入。