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2021.08.31


高校生のとき、コンビニを訪れた。
今でも覚えている。中学の同級生がレジを担当していた。レジ打ちがとても速くて、すぐに会計が終わって、驚いた。
私は、こんなにレジ打ちを速くできないなって思った。そもそも、接客が出来ないなって思った。
不器用で、臆病だから。
これは、決めつけじゃなくて、事実として。

私の高校では、バイトをしていた人はほとんどいなかったと思う。
みんなが真面目だった、というより、勉強が忙しすぎて、バイトをする暇が無かったのだ。
私は、その高校では真ん中くらいの成績だったと思う。忙しいと言えるほど勉強をしていなかったし、部活に力を入れてはけど、休日全てを捧げるほどでも無かった。
私の高校は、進学校と呼ばれていた。

進学校の私と、バイトをしている同級生。
世間からみたら、進学校に通っている方が凄いと思われるだろう。同級生がどこの高校であっても、進学校に通っている高校生とバイトをしている同級生なら前者の方が珍しいからだ。
でも、私には、バイトをして、業務を完璧に身につけている同級生の方が凄く見えた。
同級生から見たら、そう思う私が嫌味に見えるかもしれない。
でも、その時の私にはそうだった。自分は無力だと思っていた。もう頑張りたくないと思っていた。社会に馴染めるはずないと思っていた。

いつしか、人生を進める気力を無くし、ずっと時が過ぎるのを待っていた。
人生を変えるんじゃなくて、人生が変わるのを祈っていた。
浪人時代、予備校のカウンセラーのすすめで心療内科に通いはじめたが、人生が変わるかもしれないと思って通っていた。

人生を進める必要があることも、人生を進めることの素晴らしさも知っていたし、人生を進めたかった、何かを一生懸命頑張りたかった。けど、ただただしんどかった。家に帰ったら、布団で寝て見たくもないスマホを見るしか出来なかった。

人生を進めなければならないと思ったのは、つい最近だと思う。
オープンキャンパスに行ったことも無い、センター試験後に初めて受験を検討した大学に入学し、大学卒業後のことを考えた。
周囲に、精神的に辛い思いをした人が多かったことがきっかけで、悩んでいる誰かの力になりたいと思うようになった。大学では心理学を専攻することにした。心理職になるためには、大学院に行くことが必要だ。
大学院に行くにはお金がかかる。さすがに両親に頼みたくはない。あれだけ堕落しても勉強しろとがみがみ言わなかった両親に恩返しがしたい。
とりあえず、院のためのお金を貯めようと思い、バイトを始めた。
対人緊張を抱えていたので、どんな人が来るか分からないコンビニや飲食店は怖かった。
塾なら、少なくとも暴力や強盗に遭うことはコンビニや飲食店よりリスクが低い。それに、1回働いてみたかった。私みたいな人がいたら、応援したかった。ちゃんと前を向けるように。
入ってみると、自分より何歳も年下の方相手なのに緊張しっぱなしだった。注意を沢山受けた。私のやっかいな性格が、不器用で臆病なところが仇として表れた。

バイト先を変えるのは嫌だった。塾はコスパが比較的高かったし、私についてきてくれる生徒に私からお別れを告げるなんて嫌だった。
収入はなかなか増えなかった。掛け持ち先を探したこともあったが、自分には無理だと思った。
コンビニのレジ打ちをあんなに速くできる自信は無かった。清掃をする度胸も精神力も無かった。次々増えるタスクを処理する飲食店の店員も向いてないとしか思えなかった。
そんな弱気なのに、自分に負けたくは無かった。こんな社会の困難を乗り越えずして、悩んでいる誰かの力になんかなれるか。もう甘えてられないだろう。
塾講師として、少しでも役立つ人間になるしかない。レジ打ちより勉強を教える方がまだ出来そうだ。ヘタレはヘタレなりにまだ自信のある分野で戦おう。

教育に関する本を読み始めた。幸い、父が教育関係者ということもあり、本は沢山あった。小さいころもよく分からず沢山読んでいたな、変わっていないな、と思いながらページを薦めた。
大学までの長い道も、本と過ごせばあっという間だった。

その効果もあってか、少しずつ塾のコマも増え、ありがたいことに社員の方から褒められることも増えた。
本やお笑いライブ、アイドルにかなり出費しても月に2、3万は貯金できるくらいに収入は増えた。
大学院の奨学金の存在も知った。努力すれば、かなり免除されるかもしれないということも知った。
安心した。今まで自分が自分の人生を進められなかったのは、不安だったからだということに気づいた。
自立できなくなるのが、頑張って報われなくなるのが、全部怖かった。

自分の人生は自分で切り拓く、という言葉が好きだったけど、自分は特別だと根拠も無くずっと思ってたけど、本当は弱いんじゃないか?特別じゃないんじゃないか?って疑ってきた。
だって、他人といることを嫌がるくせに、他人の目を気にする。
他人の目を気にするくせに、自分の意見を言わずにはいられない。
人と合わせたくないのに、自分が外れていると言われるのは気に食わない。
それのどこが強くて、特別なのか。

私が好きな人は、みんな自信があって、強くて、でも繊細で、美しかった。
飾らなくて強い人ばかりだった。
私は、いじめられるのが嫌で明るい自分を作っていたし、自分に嫌いなところがあるところも無視して自分自身を好きなふりをしていた。それもいつしか本当の自分になっていたけど、それだけが本当の自分になるのが嫌だった。
暗くて、家ではあまり話さなくて、静かな夜が好きで、派手なものが苦手な私のことが無視されることが寂しいと感じた。
本当の自分を示せるほど強い人間じゃなかった。
他人の目を気にしているから。

どうして他人の目を気にしているのか。

私と同じ人がいなかったから。
私は、趣味も好きなものもあるけど、みんなみたいに上手く入り込めない。
推しが尊いという響きになじめなかった。
でも、感動は誰かに伝えたかった。
私と同世代の人間の、魂溢れるパフォーマンス、会ったことの無い大人が、世界に届けたくて若者に託した言葉、笑わせたいの一心で創られた作品、感動させようなんて思ってないのに何よりも美しい夕焼け。
伝えるのが下手すぎて、向いてそうと言われたブログも全然見られなかった。
人と違いすぎると生きにくいなって思った。人と同じ方が良いんだなって思った。

みんなが好きなものに入り込めなかったとき、私はこの世界に向いていないのかなって思う。
みんなと違うものが好きだって言っている人だって、好きになるものが違うだけで、みんなと同じように好きなように見えた。
自分は特別かもしれなかったけど、弱かった。

特別かもしれないけど、弱い私は、お金というみんなが安心するもので、将来の希望を見ている。
今の、自立していない暮らしはいつかは無くなってしまう。今日無くなるかもしれない。
それでも生きていけるのだろうか。
頼ることが下手だけど、自分で生きることも下手だけど、生きたいなんて想いは人一倍強い。
一生弱くいてもいいけど、一生自立していないなんて、それは嫌だ。
自立していなかったら、悩んでいる誰かに大丈夫って、この人を信じようなんて思わせられないでしょう。
傲慢だけど、私の人生を少しでも進めてくれた存在への恩返しとして、私も、誰かの人生を進める存在になりたいんだ。
止まっていたように見えていた時間も、なんとか這いつくばらせてくれた存在がある。
その存在のように輝くことが、一番の恩返しだと、改めて思った。
そう思うことが、誰かと一緒でも違っていてもなんでもいい。本心だから。

人がいないと生きていけないみたいだ。と聞こえてきた。そうだよ。
傲慢だって、聞こえてきた。そうだよ。そうじゃないと満足できないから。
自分が幸せならそれで良いのでは。自分だけ幸せでもつまらないよ。欲張りなのが私なんだ。
あなたは特別を気取りたいだけではないか?そうでもない。
文章、まとまってないですね。恋人が、分からないなら分からないで良いって教えてくれたから。
恋人がいるなんて、羨ましい。人生の価値は、恋人より恋人らしいものを見つけることにあると思うよ。あと、羨ましいって口に出せる人は美しいよ。

輝くってなんだ。きれいごとだ。

確かに抽象的だよね。
でも、みんなどこかできれいごとを求めてるって、知っているよ。

きれいごとのような言葉に、本当に救われたり、勇気づけられたり、するものなんだよ。
本心なら、きれいごとに見えるか見えないかなんて関係なく、感動するものだよ。
私は、思いやっているように見えるだけの言葉は大嫌いだけど、思いやっている言葉は大好きだよ。
きっとこれは、いくつになっても変わらない。

無駄なこと、どうせ叶いもしないくせに考えるな。

考えたいだけなんだ。こういうこと考えていると、どこかふわふわして、幸せなんだ。誰かの幸せを祈りたくなって、幸せになるから。私も、誰かに祈って貰えていると思うと、気持ちが楽になるなぁ。
きっといつかは切れるかもしれない縁だけど、ほんとの縁ならちゃんと繋がっていると思っているんだ。幻想的でしょ。夢想家なんだ。
いつかあなたの夢の中にもお邪魔させて貰うね。私は悪夢ばっかりだから、せめてあなたには良い夢見て欲しい。



そして、目を覚ました後も。

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