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誰も救われない話をあえてする


最近は学校部活動をクラブチームに移行するための動きが活発化してきているというニュースがあった。

学校部活動で育ってきた私としては少し寂しい気持ちもあるが、デンマークで地域に根ざしたクラブ運営の様子をまざまざと見せつけられ、世間のニュースでも観たくもない部活動を観なければならない先生の声が時折届けば、嫌でも移行した方が良いのではないか?という気持ちになってくる。

クラブチームで子どもたちと関わっているといろんな話を聞く機会がある。

彼はおもむろに話し始めた。
クラブでハンドボールが出来てよかったという話から、学校で部活やってるんだよね、どうして?と聞くと、学校部活動では満足にハンドボールが出来なかったという。

話を聞くと、指導してくれる顧問は毎年変わる。それも、3年目になってやっと競技経験のある先生に変わったと。

しかし、若い上に指導経験はなかったため、満足な指導をしてもらえておらず、自分たちで練習を考える日々が続いたそうだ。

そこに蔓延防止法の施行なども相まって練習すらまともに出来ず、県大会に進んだものの、上位の学校との差を実感し、ハンドボールを教わることの出来る対戦相手を羨ましいと感じていたという。

顧問の先生はハンドボール経験があるのにどうして教えてくれないの?と私が気になったことを質問すると

高校までしかプレーしておらず、なおかつ男女兼任だそうだ。

あ、これは誰も救われてない状況なんだな。と思ってしまった。

部活動を歴任されてきた先生方もきっと不本意だったに違いない。だからこそ、一年だけの期限付きでなんとか乗り切っていかれたんだとおもう。唯一のハンドボール経験者の先生もおそらく、経験者だからという理由だけで顧問を任されたのだろう。

コーチングの熱意があったとしても、そのためにどうしたら良いのか具体的な方法まではカバー出来ていなかった可能性もある。

ここでハンドボールやれてよかった。はじめの彼の口から出た言葉の真意が理解出来た。

その中学からクラブに来ている子供は数人いる。彼らのような選手の受け皿になるクラブが存在することが素晴らしいと思う。

ただそんなクラブだって継続可能にしていくためには様々な条件がある。こと、ハンドボールとなれば競技人口が同じクラブが多いサッカーに比べると少なく、所属メンバーを満足に集められないとチームの運営は成り立たない。

部活で満足できない彼らがやっと見つけたハンドボールの出来る場所が、次の年には急になくなってしまう可能性を孕んでいるのだ。

私自身、ハンドボールは競技人口自体少ないと思っていない。
実際に2021年度の事業計画の中に、競技人口は9万人〜10万人の中で安定しているように見える。

問題は競技者の約75%が中高生で構成されているのにも関わらず、高校卒業時点で約80%が競技から離脱してしまうことだ。

ハンドボールをプレーし続けてもらう為には、ハンドボール自体に魅力を感じてもらうことと、ハンドボールをプレーできる環境が必要なんだろうなと感じている。

前者はコーチの役割が必要不可欠、礼儀や態度も大事だが、ハンドボールの技術戦術を落とし込み、ハンドボールを面白い!!!と思わせるコーチングが出来ることが大事なんだと思う。

後者はこれからのクラブチームへの移行にかかってくる。

部活動が完全に悪いとは思わない、学校施設を使用するため、授業を終えてすぐに練習が出来る。

が、そのために犠牲になる顧問の先生の自由な時間、家族との時間や、満足な指導を受けられない子どもたちの存在を考えると、どうしていく方が良いのかは割と明白なんだろう。

しかし、これまでの部活動で指導現場の土台を築きあげ、優秀な選手を多く輩出している部活はどの競技においても存在する。

彼らの功績は無視できるものではないし、これからも尊重されなければならないと思っている。

私のような素人が考えられることなんてほんのちっぽけだけど、まず認知しなくては考えることすら出来ないと思ったのでこの記事を書いた。

同時に現場の実際と選手たちの声を少しでも多くの人に届け、受け取った人が何かを感じて、ハンドボールを愛する子どもたちを1人でも多く育てるための環境づくりに尽力してくれるならこれほど嬉しいことはない。

2022年の今、フルタイムで働きながら日本リーグ参入を目指すハンドボールチーム"富山ドリームス"の選手として活動しています。ここでのサポートは自身の競技力の向上(主に食費です...)と、富山県内の地域との交流に使わせていただきます。